少年少女犯罪について考える
さて。
昨今少年犯罪がブームですね。
十七歳だとか、伊代はまだ十六だからとか、アイドル歌謡的なノリで。
しかし「少年犯罪」と称することに、フェミニズムの人は異議を唱えないのでしょうか。少女も犯罪してるのに。しっかりしろよ田島。激増する少年少女犯罪を防止するために、何をなすべきか、という議論も盛んです。
少年法を改正しろとか、十五歳になったら精神鑑定を受けさせろとか、十五歳になったら別の養魚池に移せとか、二十歳以上の大人は皆殺しだとか。十把一絡げに「犯罪」としてしまうのでは解決策も浮かばない。まず現在の少年少女犯罪を分類し、犯罪の性格を明らかにすることが、防止につながると思うのです。いまの犯罪は、おおまかに二つに分類できるのではないか、と思うのです。
第一の犯罪。
五千万円恐喝事件とか、世田谷の連続ひったくり事件とか、女子高生耳そぎ犯罪とか、女子高生コンクリ詰め殺人とか、そういうのですね。
それにしてもあの耳そぎ女子高生、凄いですね。
耳そぎといえば「世紀の悪役」「リングの殺人者」キラー・コワルスキーの専売特許だったのですが。
あの女子高生、学校で、「キラー・コワルス子」とあだ名が付いてないか、女子プロからスカウトに来ないか、などと不謹慎な妄想が渦巻いてしまうのですが。
それはともかく、これらの犯罪は営利犯罪です。
金とか、女子高生の肉体とか、そういう利益を求めての犯罪ですね。
いわゆるプロの犯罪者です。いや女子プロではなくて。こういう犯罪には、「犯罪は引き合わない」ということを思い知らさせるのが、一番の防止策です。
すなわち検挙率の向上と量刑の重量化。
検挙率向上のもっとも効果的な手段は、学校の中に派出所を置くことです。
むかし学校にいた、配属将校のようなものですね。
配属将校は評判が悪かったのですが、「浮き世離れした学生たちに、軍というものの実体を見せる効果はあった」と評価する声もあったのです。配属警官は、学校のいかなる犯罪にも介入します。
「三組の突元君と谷田君が四組の三島君を殴った」「二組の後藤君が四組の三島君の給食費を盗んだ」などという犯罪事件から、「四組の安井君が三島君の弁当を食べた」「七組の宇都宮君が授業中にワインを飲んでいた」「一組の神崎君が女子更衣室を覗いていた」などという些事に至るまで。
むろんほとんどが書類送検にも至らない説諭で済むことですが。
しかしこれにより、配属警官が学校内部を把握し、より大きな犯罪を防ぐことができるのです。
「学校から縄付きを出したくない」などという事なかれ主義の校長や教頭には去ってもらいます。
「生徒は私が守る」などというGTO、金八先生、黒岩先生にも去ってもらいます。
黒岩先生はどうでもいいですね。あの人、生徒は守るけど、生徒以外は平気で殺しますから。さらに量刑の向上。
つまりは少年法の改正なんですが、ここで重大なことを忘れている人が多すぎます。
義務あるところに権利あり。
少年を大人扱いするならば、別なところでも大人扱いしろよ、ということですね。
たとえば選挙権です。犯罪の時だけ大人扱いして、選挙権は無しでは、片手落ちではないですか。
自民党の人は少年法の改正は声高に訴えるくせに、この辺の話は頬被りするんですね。
その理由は明白です。
年少者の選挙権が増えるほど、自民党に不利になるからです。ですから以下の改正を同時に行うことを要求します。
少年法改正。十五歳以上の犯罪者は成人と見なし、成人と同様に扱う。
選挙法改正。十五歳以上に選挙権を与える。二十歳以上に被選挙権を与える。
労働法改正。十五歳以上はソープでもフィリピンパブでも労働が可能。
淫行条例の撤廃。
いや私はフィリピンパブの常連でもないし、援助交際もやったことありません。信じて。問題は第二の種類の犯罪です。
サカキバラ君とか、博多バスジャッカーとか、あっちの方です。
彼らは犯罪による利益を求めていません。殺すことによる快感を除いては。
さらに最初から死を覚悟しての犯罪です。死ぬ気の人間ほど強いものはありません。
したがって量刑や検挙率向上によって防止することはできません。だったら望み通り殺してやれよ、という声もあるのでしょうが無視します。
被害者の立場で考えろ、という声も無視します。
ここは近代法学の立場で冷静に考える場所です。仇討ちとか報復とか、そういう野生の思考について考える場ではありません。彼らを早期に精神病院にでも放り込めば、という意見もあります。
でも無駄でしょう。
事前に精神鑑定しても、彼らは正常と診断されるに違いありません。
彼らは「犯罪」という行為にだけ異常であったのであり、それ以外では正常でした。
もし彼らを異常として裁くなら、たぶん日本人の一割は異常と診断されるでしょう。
そして神経科病院は正常人で溢れ、本当に助けが必要な患者は見捨てられるでしょう。彼らはもともと真面目な生徒だったようです。
あまりにナイーブで、あまりに真面目だったため、ふつうの人間が小三くらいで身につける「世間智」というものを、ついぞ身につけなかったらしくて。
何かを信じたいが信じるものがない、その懊悩から犯罪に走ったような。だから何かを信じさせればよいのです。
学校で宗教を教えればよいのです。
道徳の時間とか、うざったい授業は撤廃。宗教の時間に改正。ただし学校は不偏不党の場ですから、特定の宗教に偏することはできません。
だから比例代表制。
日本国における信者の数に比例して授業時間を決めます。
年間百時間の枠とすれば、曹洞宗十時間、浄土真宗九時間。
創価学会三時間、成長の家二時間。
カトリック三時間、プロテスタント二時間。
五時間は比例代表に満たない諸派の時間です。むろん宗教の時間は教師が教えるのではなく、宣教師に来てもらいます。
イスラムの時間はみんなでメッカの方向に礼拝します。
ゾロアスター教の時間は、死んだ友達をハゲタカに食わせます。
原理研の時間は、東大生が来て下手なガリ版刷りの漫画雑誌を配ります。
踊る宗教の時間はみんなで無我の踊りをします。
ハレークリシュナの時間もみんなで踊ります。
ヘビ教の時間は、みんなでマムシやコブラと一緒に踊ります。
ブードゥー教の時間は、みんなで塩を口に含み、マイケル・ジャクソンの「スリラー」に合わせて踊ります。
みんなで踊れば少年少女犯罪も消滅。カルマも消滅。