くだらなき哉人生

 Xジャパンのヒデとかいう男が自殺したそうだ。

 Xジャパンについては多くを知らぬ。たしか髪を立てたりして耽美行動に耽っているバンドだったと思うが、定かではない。Xというバンドを発展させてXジャパンとかX韓国とかXオランダとかXクロアチアとか、前田日明率いる格闘団体「リングス」のような世界戦略を図っていたのが印象に残る程度である。
 ヒデという個人についても知識がない。いやしくも耽美の団体において、ヒデという名前はいかがなものか。ヒデなどという名前では、大工か仕置人になるしかあるまい。たとえ音楽界に身を投じたとしても、ロザンナという女性を配してムード歌謡を歌うのが精一杯だと思うのだが。

 そんな自分の名前を悔やんだのであろうか、ヒデは自殺した。私は最近インターネットで怪しげな情報を収集するのを楽しみにしているが、そこでは尾崎豊の自殺も伊丹十三の自殺も新井将敬の自殺もすべて他殺ということにされている。筆者の趣味により、下手人は石油メジャーだったりアメリカ金融コングロマリットだったり日本医師会だったり自民党大蔵官僚閥だったり英国貴族だったりする。英国貴族もいい迷惑である。
 そんな憶測もあるが、まあ自殺で間違いないだろう。動機は何であろうか。

 本人は「薄っぺらい人生だった」と遺言めいたことを言い残していたそうだ。馬鹿な若年男女をだまくらかす自らの音楽活動に、疑問を感じたのであろうか。
 しかし私だったら、「薄っぺらい人生」などと言われたら喜んでしまう。「くだらな」などというフレーズを掲げている私としては、死んだ後で知人から「くだらない奴でした」と言われることが目標である。「薄っぺらい人生でした」というのも可である。

 そういう人生観で生きている人間は少数派らしく、そのために世間に誤解を与えることもある。先日、友人の知っているワインの店に出かけた。店主自身、ワインが好きでたまらぬらしく、喜々としてラベルの説明をしてくれる。そこで世界的に高名なワインの鑑定士の話が出た。なんでも、弁護士をやっているうちワインの魅力にとりつかれ、家業を放擲してワインの世界に飛び込んだそうだ。
「道楽者ですね」と私が口を挟んだとき、店主の笑顔が一瞬、わずか凍り付いた。気を悪くしたらしい。おそらく、ワインに魅せられて店を開いた店主は、その鑑定士と自分を重ねて考えていたのだろう。その人物を「道楽者」の3語で誹謗されるのは、許せなかったのだろう。
 ああしかし店主よ、その時私は最上級の敬意を表して「道楽者」と言ったのです。世間一般から見てくだらないことに血道を上げ、人生を賭ける道楽者こそが、私の目指す人生の師表なのです。

 ドラゴンクエストというゲームでは、戦士とか僧侶とか職業を選んでプレイすることができる。職業の中でも、その熟練度によってさまざまな階梯があり、高位の階梯になるほど難易度の高い技を繰り出すことができる。
 手元に資料がないので正確には思い出せないが、たとえば商人は「でっち」(得意技:そうじ)から「ばんとう」(得意技:おじぎ)、「おおばんとう」(得意技:会計計算)を経て「だんな」(得意技:吉原通い)「おおだんな」(得意技:代官と結託しての御禁制商品の抜け荷)と進み、ついには商人の最高峰、「ろすちゃいるど」(得意技:陰謀)になったと記憶している。

 私が目指すのは遊び人の道である。遊び人の道は「まにあ」から始まる。得意技は収集である。切手やテレカなどを山のように集め、見せびらかして相手に心理的ダメージを与える。
 次に進むと、「けんきゅうか」になる。正道に戻ったかのようだが研究の内容は世のため人のためにまったくならない。私のアイドル研究のごときものである。得意技は独断。ファーブルは昔この世界にいて、「虫けら研究家」として名を馳せたのだが、残念ながら昆虫学として後世に認められてしまった。
 「けんきゅうか」を極めると、「じじょうつう」にランクが上がる。この職業は、日刊ゲンダイでは毎日のように登場するが、生きて動いているのを誰も見たことがない謎の人である。得意技は流説。誤った情報を垂れ流し、世間を混乱させる。
 遊び人もいよいよ高位になると「こうずか」を名乗ることができるようになる。これは何か面白そうなくだらなイベントがあると集まってくる、謎の人である。多くは遺産で食っていると伝えられる。株をやっている人も多いらしい。余談だが小学館の学習雑誌で長期連載をしていた「おはよう!姫子」で、武道の達人だった姫子の祖父は、やはり株で暮らしていた。大きな屋敷の主人で、毎日働かずに素振りばかりしていた人物の職業としては、他になかったのだろう。得意技はもちろん集結である。個々の力は大したことないが、集まるとキングスライムのごとく好事家パワーを発揮する。たとえば奈良のホテルで、「ディナープロレス」を開催するくらいの力を持つ。
 さらに上位の遊び人が、いよいよ「どうらくもの」である。自分が選んだ道のためには、財産も人生も捨てて構わないという、破滅派の遊び人である。先ほどのワイン鑑定士をはじめ、茶道の千利休、和歌の紀貫之、俳句の松尾芭蕉など、その世界では聖人視されているものが多い。得意技は身上つぶしである。つぶすと周囲から、「モットモダー、モットモダー」と歌ってもらえる。
 そして遊び人の最上最高の称号が、「たわけもの」である。たわけものには道楽者のような得意分野はない。したがって斯界で名人として尊敬されることもない。たわけものは人生のすべてが得意分野である。もはや役に立つとかたたないとか、そういった価値判断を超越したところにある。俗世での些事では、たわけものが役に立つことはあるまい。しかし世界が危機に瀕したとき、これを救えるのはたわけものの他にはいないと断言できる。「榎の巨木は地上では何の役にも立たないが、しかし天を掃く箒が入用なら、これを用いる以外にはあるまい」と司馬遼太郎は「けろりの道頓」で書いたが、そんな人物である。得意技のような些少なものは持ち合わせぬ。存在自体が必殺技ともいうべき人物である。

 ああ、そして私は、その死に臨んで、「くだらねー」と言って死ねるであろうか。


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