球技進化論

 ちょっと球技の進化論を考えてみた。

 歴史的にどうか知らないが、球技の原型はハンドボールのような、手でパスしては敵陣にあるゴールにボールを叩き込むゲームだろう。
 しかし、これでは敵陣に叩き込むのが容易すぎる。莫大な点の取り合いとなり、ボールの奪い合いのような興趣に欠ける。もうちょっと、パスやゴールが難しいゲームにしないと面白いゲームにならない。
 そこで足しか使えないルールにしたのがサッカー。ゴールをずっと高い位置に移動させたのがバスケットボール。馬に乗ってスティックで蹴らねばならぬルールにしたのがポロ。敵味方の間にネットを置いて人間は敵陣に入れないようにしたのがバレーボール。これが球技の基本形から変異した4種類の第1変異形態である。

 この4つの変異型からさらに特殊化したものが第2の変異形態である。サッカーのボールを変形させて転がる方向の予測がつかなくさせ、手でパスする方式に戻した(ただし、やはり簡単すぎるので前方へのパスは禁止した)のがラグビー。ポロが馬から下りたのがホッケー。バスケットボールとバレーボールには第2変異形態というほどの特殊化はない。せいぜい、ルールの細分化や人数の違いくらいである。待てよ、足バレーってのがあったか。でもあまり普及していないし、まだ変わり種程度の扱いだ。

 さらに、第2変異形態がさらに特殊化した第3変異形態もある。ラグビーでは既に、軽快に走るフォワード、重量で押すバックスなど、メンバーの役割分担がはっきりしているが、これを更に特殊化し、攻撃時と守備時でメンバーを変えてしまうようにしたのがアメリカン・フットボール。また防具を強化してタックルの規則をゆるめ、より格闘性を強化してもいる。ホッケーにアイススケートを履かせ、動きをスピーディに、また困難にしたのがアイスホッケー。ホッケーを個人競技にしてしまい、各人がゴールに入れるまでの打数を競うようにしたのがゴルフ。そして、ホッケーのルールを非常に特殊化させ、一言では言い切れないような複雑なルールにしたのが野球である。あなた、野球を知らない人にルールを簡単に説明できるか。

 生物の進化論と同じく、ここには、「特殊化したものほど適応できる範囲が小さい」という法則が成り立つ。世界でもっとも普及している球技はサッカー、次いでバレーボール。どちらも球技の第1変異形態である。これは器材が安く済むというだけでなく、ルールが原型に近いためわかりやすく、どの民族も入っていけるためだと思うのだ。
 もちろん例外もある。バスケットはルールが単純に過ぎ、単なる背高競争と堕してしまったため、衰退してしまった。ポロは馬を調達するのが難しいため広まらなかった。

 逆に、第2変異形態以上に特殊化した球技は、一定の文化的範囲以上には普及しない。ラグビーはアングロサクソンとその文化的影響を受けた地域のみ。ゴルフも同様。野球はアメリカとその文化的影響を受けた地域のみ。アメフトに至っては、ほぼアメリカでしか行われない。

 第3変異形態をさらに特殊化した第4変異形態の球技を想像してみよう。アメフトはやはり、更に格闘性を強化し、肩や腕から棘やら刃物やらを突きだして走り、相手選手の首を刎ねるのだろうか。いやいや、これでは永井豪の漫画になってしまう。アイスホッケーのスケートで顔面を攻撃してもいいというルールはどうだろう。これも永井豪か。ゴルフは通常、4人で1グループを作ってラウンドを廻るのだが、4人で球はひとつだけ、というルールはいかがなものか。もちろん、球を奪った1人だけが得点できるのだ。ジャンボ尾崎と丸山と芹沢とタイガーウッズがクラブで血みどろの殴り合いをし、芝を深紅に染めながらボールを奪い合うのだ。いやいや、どうもプロレスが好きなものでどうしても格闘性を追求してしまう。そういえば、球技ではないが、「日米対抗ローラーゲーム」はどうなったのだろうか。

 第3変異形態の球技の中でも、ルールの点でもっとも特殊化した球技は野球である。そこでだ、野球を更に特殊化させ、第4変異形態にするとどうなるか。例えばゴルフのように個人競技にすると、これはホームラン競争となる。バッティングセンターだ。
 世界でもっとも特殊化した球技は日本でのみ行われている。これは、主に子供と酔っぱらいによって行われる。時間帯によって棲み分けが行われ、子供は昼間、酔っぱらいは深夜に行う。投げられる一定数のボールのうちどれだけを打ち返したかで争うルールだと思われがちだが、実は違う。ネットの後ろで声援を送る女性の黄色い声が多い方が勝ちなのだ。しかも女の年齢が若く、ファッションがケバいほど得点は高くなる。野球は男のロマンと言われる所以はここにある。


 戻る           次へ