ジャンヌ・ダルクは変態か―私的唐沢俊一観(1)

ちょっと長い前置き

 唐沢俊一という作家さんに対して、私はそんなに悪い印象はもっていない。
 家の本棚にも、「トンデモ怪書録」の著書、「トンデモ本の逆襲」など唐沢純一が執筆している書籍、「脳天気教養図鑑」など唐沢商会名義で弟のなをきと合作した漫画、などが数冊並んでいるのだから、嫌いなわけではない。
 ただいちどだけ、個人的な嫌悪感を抱いたことがある。
 地獄大使を演じたことで有名な(私にとってはやはり地獄大使のイメージが強い。カイメングリーンの人間体も胡散臭くて好きだが)潮健児の自伝「星を喰った男」(ハヤカワ文庫)を読んだときのことである。
 潮健児とそれをとりまく大スター、監督らの破天荒なエピソードを楽しんで読み、最後に唐沢俊一が書いたあとがきを読んで愕然とした。
 いま手元にその文章がないのでうろ覚えだが、唐沢が潮氏を私物化しているというような非難に対し、逆ギレして相手を罵倒しているような文章だった。
 潮健児の役者人生とはなんの関係もない。
 なにより、詳しい事情も、その相手の個人名も伏せたまま書いているので、読者にはなんのことやらわからず、ただ唐沢がむやみに激怒してわけのわからないことを書き連ねている、という印象しか与えない。最悪な読後感だった。
 あまりに腹が立ったので、あとがきのページだけをむしりとって捨てた。

 いま、唐沢俊一が世間から受けている批判は、ひとつは他の書籍やインターネットサイトの文章からの盗作(パクリ)、もうひとつは文章に事実誤認や間違い、時系列の乱れや嘘が多い(ガセ)というのが多い。合わせてP&Gと呼ぶ。洗剤のプロクターアンドギャンブル社とは関係ない。悪魔信仰とも関係ない。それは冤罪。
 パクリは改めて言う必要もなく犯罪であり、これに関しては謝罪してそれなりの措置をとり、今後はこれに類した行為はいっさい行わないのが当然であると、私も思う。
 盗作で有名な最近の作家としては、立松和平、山崎豊子、池宮彰一郎、田口ランディ、中村克などが思いつくが、盗作も大きく3つのタイプに分類されると思う。
 第1は田口ランディのタイプ。もともと自我が希薄な人間が、漫画や小説、エッセイや精神病理、スピリチュアルの本を読むたびに、「あ、これはアタシの言いたかったこととまったく同じだわ!」とのぼせあがってしまい、ついには、「アタシの言いたかったこと」が「アタシの言葉」へと脳内変貌を遂げて、自分の文章として書いてしまう。自我と社会常識と罪悪感が欠けているくせに、「認められたい欲求」だけが豊富なのを特徴とする。自我肥大タイプとでも命名しようか。
 昔、統合失調症の人間が、有馬頼義の有名な小説をそのまんまミステリ雑誌に投稿し、編集者のチェックを逃れて掲載され、騒がれたことがあったが、それに似ているかもしれない。「最後のパレード」を2ちゃんねる、オリエンタルランドの社員教育用資料からのコピペで充満させた中村克も、今でも自分が悪いとは思っていないことなどから、このタイプと思われる。「すてきだなと思って」歌詞を盗作した安倍なつみもこのタイプかもしれない。
 第2は池宮彰一郎のタイプ。あまりに司馬遼太郎を愛読しすぎてしまったため、つい自分の文章でも記憶している司馬遼太郎の文体がそのまんま出てきてしまった。リスペクト過剰タイプとでもいえようか。
(私も、つい似てしまうことがある)
 筆者も自戒せねばなるまい。
 第3は忙しかったのか考えが安易だったのか、参考にしようと持ってきた本やサイトの文章を、そのまんま書き写してしまうタイプ。参考文献依存タイプとでも呼ぼうか。「光の雨」「二荒」の立松和平、「大地の子」「不毛地帯」「花宴」の山崎豊子。そして我らが唐沢俊一も、光栄にもこれら文豪に肩を並べるものと思われる。

 ガセに関しては、私は微妙な気分である。
 なにしろ私はネット雑文書きのはしくれ、雑文書きといえば息を吐くように嘘をつく、雑文書きは7つの事実に3つの嘘を混ぜないと生きられない生物、雑文書きの書くことはどんなにもっともらしくても信用するな、嘘ついたら雑文千本書〜かす、という雑文書きである。
 おなじ雑の字を冠する雑学に嘘が混じっていてもそれはいたしかたないのではないか、とつい思ってしまうのだ。
 それなら雑煮は嘘が入っているのか、雑貨屋には嘘が売っているのか、雑食動物は嘘を喰うのか、雑民党の東郷健は嘘つきか、と糾弾されてしまうかもしれないが、雑誌には嘘が書いていることがあるし、雑木林にはウソが住んでいることはあるよなあ。
 ただし、嘘を入れることで話がより面白くなる場合に限る、という条件がつく。すんませんこの条件自分でもときどき守ってません。

 ただ、最近の唐沢俊一の本を立ち読みしたりネットでの引用を見たりすると(すんません最近買ってません)、別の批判的な感情が襲ってくることが多い。
(なんか、薄くねえか?)
 という感想である。
 「トンデモ怪書録」や「トンデモ本の世界」のように、一冊の本を紹介するというスタンスの文章だとそれなりに読めるのに、人物伝や事件について書いた文章を読むと、ひとつのネタで文章が終わってしまっていることが多いのだ。他のネタもあるのに、それと組み合わせることで話がもっと膨らませるのに、と感じ、ネット雑文の先達・呉エイジ氏の言葉を借りると、

「ひねらんかい! もっとひねらんかい!」

 と言いたくなってしまうことが多いのだ。

唐沢俊一「世界ヘンタイ人列伝」第4回「聖女かヒステリー性変態か ジャンヌ・ダルク」について

 世の中には奇特な人がいるもので、そんな唐沢俊一を精力的に追っかけてくれる篤志家が、少なくとも2人は存在する。
 ひとりは「トンデモない一行知識の世界2」の人、もうひとりは今回多くを参照させてもらった「唐沢俊一検証blog」のkensyouhanさん。
 その「唐沢俊一検証blog」で、唐沢が「熱写ボーイ」なる雑誌に連載をしていることを知った。このブログでとりあげてくれなかったら、絶対に知ることはなかったと断言できる。
 どうやら投稿写真がメインであるらしい、その雑誌に、唐沢俊一が「世界ヘンタイ人」としてとりあげている人物は、というと。
第1回 上杉謙信
第2回 武烈天皇
第3回 ヘリオガバルス
第4回 ジャンヌ・ダルク
第5回 野口男三郎
 渋い、渋すぎるよ。
 この人選は「熱写ボーイ」の読者層をまったく意識していないだろう。
 勝手な推測で申し訳ないのだが、「熱写ボーイ」の読者の90%、いや99%は、唐沢俊一の著書を読んだこともないし、猟奇事件や変質者のレポートには興味のない人間だろう。ならば以前の著書と同じネタを使い回すことに躊躇せず、もっと入門書的なポピュラーな人物を選んだほうがいいんじゃないのか。
 まあ上杉謙信は、NHK大河ドラマ「天地人」の人気にあやかったというところで妥当か(もっともドラマの主人公、直江兼続は養子の上杉景勝のお小姓さんだったんだが)。しかし武烈天皇は、あまりにも悪行がステレオタイプ過ぎる。どうせなら悪行の元ネタ、殷の紂王のほうがよかないか。酒池肉林というエロチックなネタもあることだし。ヘリオガバルスはまあいいとしても、ジャンヌ・ダルクや野口男三郎をヘンタイにこじつけるくらいなら、正真正銘のヘンタイ、ジル・ド・レエと、阿部定か出歯亀をとりあげたほうが書きやすいし、読者も喜ぶと思う。あと選ぶとしたら、ロリコンの写真家ルイス・キャロル、ショタホモの肉屋さんフリッツ・ハールマン、娼婦を憎む殺人鬼切り裂きジャック、同性愛と近親相姦の文豪バイロン、ナポレオンに憧れた食人大統領ボカサ、このへんでいいんじゃないだろうか。

 さて、「唐沢俊一検証blog」では「熱写ボーイ」の連載を随時とりあげて検証してくれているのだが、その「二十一世紀のジャンヌ・ダルクよ。」では第4回のジャンヌ・ダルクについての文章を検証している。私はこのブログにコメントを書こうとして手持ちの本をひっくりかえしているうち、ジャンヌ・ダルクに興味を持っていくつか調べたことがあるので、蛇足ながら付け足しさせていただきたい。
 蛇足であるから、kensyouhanさんが既にツッコんでる箇所についてはめんどくさいから飛ばす。

 この文章を書くためにいくつかの本を購入したが、もっとも購入に困ったのが、唐沢俊一の連載している「熱写ボーイ」だった。
 なにしろ普通の本屋で売っていない、紀伊国屋やジュンク堂などの大型書店でも取り扱っていない、新宿のエロ本屋にもバックナンバーがない、東京三世社の公式サイトでもバックナンバー販売はしていない。
 ようやくアマゾンで古本を扱っていることを知り、注文したが、最初は怖かった。なにしろエロ本の古本である。ページに陰毛がはさまっていたり、数ページがカピカピの糊状のもので接着されていたりしないだろうか、と。
 ところが安堵したことに、届いた雑誌はいわゆる新古本、雑誌の上部に赤線がひいてある、いわゆるゾッキ本であった。考えてみれば当たり前のことで、どこの古本屋が使用済みのエロ雑誌を引き取るだろうか。
 雑誌の表紙は掲載するとどう考えてもプロバイダの利用規約に反するのでやめておくが、黒線で目線を消した女性の陰部露出写真がたくさん掲載され、「巨乳美少女 おしゃぶり上手」などというキャッチコピーがでかでかと書いている。唐沢俊一の連載は、と探すと、左下の片隅(ほんとうにいちばん片隅)に「*世界ヘンタイ人列伝」と小さな文字で書かれているだけだった。
 雑誌の内容は、というと、私が15年ほど前に買っていた「投稿写真」をアイドルパンチラ写真投稿兼ぴんから体操投稿兼アイドル情報雑誌と定義するなら、これは素人ハメ撮り陰部露出写真投稿オンリー雑誌、とでもなるのだろうか。
 女性陰部写真のオンパレードに圧倒されつつページをめくると、あった、ありました。巻末近い86ページに見開きで、ソルボンヌK子のイラスト付きで「世界ヘンタイ人列伝 第4回 魔女かヒステリー性変態か ジャンヌ・ダルク 唐沢俊一」と。

 これを見て最初に連想したのは、私が25年ほど前に買っていたロリコン漫画誌で見開きページのコラムを連載していた、蛭児神健だった。
 知らない人が大多数だと思うから説明しよう。蛭児神健とは1970年代末から80年代前半にかけて、コミケ・ロリコン商業誌等で活躍していた怪人である。昭和33年7月生まれだから、唐沢俊一と同年齢(2ヶ月後輩)になる。ハンチング、サングラス、マスクで顔を隠し、マスクに切れ込みを入れてパイプを咥え、黒いトレンチコートで会場をうろつくその姿は、絵に描いたような変質者として一部の絶賛を受ける。1979年、吾妻ひでおと結託して幻の黒本と呼ばれるロリコン同人誌「シベール」を刊行し、自分でも「幼女嗜好」などロリコンポルノ同人誌を多数発刊、斯界の重要人物となる。吾妻ひでおのキャラ(眉毛がつながって目が半開きの変質者と、ハンチング、サングラス、マスク、パイプ、黒のコートの変質者)としても知られる。1984年、編集長としてロリコン漫画雑誌「プチ・パンドラ」を発刊するが、そのころから精神的にヤバくなってきたのか、大塚英志や白倉由美への悪口、果ては自分の雑誌で連載していた漫画家を糾弾するようになり、それが自分への嫌悪感にはねかえり、坂口安吾いうところの「フツカヨイの赤面逆上」を欄外に手書きで書き殴るに至った。「プチ・パンドラ」が休刊してからどうなったか、しばらく消息がわからず、精神を病んでいるとか仏門に入ったとか様々な噂が流れる。2005年に角川書店から刊行された「出家日記」により、ようやく本人の筆によるその後の経緯が判明した。出家して結婚し、現在は仏僧として生活しているとのこと。ちなみに山本弘の愛読者でもある。
 そういえばあの人は昔から宗教マニアで、自分の稚拙なイラスト付きで、「宗教なんか嫌いだい」と、いろんな宗教に関する雑学を書いていたなあ。物騒な人が仏僧になるとはこれいかに。
 蛭児神健と唐沢俊一には共通点が多い。昭和33年生まれ、ともに世間から「オタク」とみなされる人物であったこと、雑学ライターとして活動していたこと、自己をアピールするファッションスタイルを持つこと、どちらかというと悪趣味なこと、などがあげられるが、逆に相違点の最大は、唐沢俊一は「傷つけるタイプ」なのに対し、蛭児神健は「傷つくタイプ」だったことだろう。

 閑話休題。唐沢俊一の連載に話を戻そう。
 唐沢は信仰生活とは人間の本能に逆らった生活であって、かなりの神経性ストレスがたまる生活であると前置きして、つぎのように書く。

キリスト教の修道士たちの、俗世を捨てて神と共に生きるエピソードを集めた書物はたくさん出ているが、それらを読んでいくと、
「こいつら、変態じゃねえの?」
 という気分にさせる逸話が満載なのだ。

 その例として、ハンセン氏病の病人の身体を洗った膿汁や肉片まじりの水を聖水と信じて飲み干した修道女の話と、猫のゲロが自分を戒める神のお告げと信じてそのゲロを飲み干した修道女の話を紹介している。
 どう考えてもこの話題、「熱写ボーイ」の読者層を無視してるだろ。
 掲載雑誌が「スカトロ耽美館」だったらこのエピソードで大喜びする読者がいるかもしれないが、露出傾向があるだけであとはノーマルな性嗜好の「熱写ボーイ」読者なら気持ち悪いだけだろう。
 どうせなら、神に「着物を脱ぎなさい」と言われ、愛の臥所のなかで神の欲情に身をまかせたマルデブルグのメヒティルド、イエス・キリストと心臓を交換し、「神秘的結婚」を行ったと主張したが、じつは修道女とのレズビアン体験をイエスに投影しただけと暴露され、投獄された尼僧院長ベネディッタ(いずれも山折哲雄「神秘体験」講談社現代新書より)や、息子イエスの前で聖母マリアとまぐわい、最後にはイエスに顔射する幻想を抱いた俗人信仰者ヴェイエルス(ブクテル&カリエール「万国奇人博覧館」筑摩書房より)のような、ストレートにエロチックな話のほうが読者も喜ぶと思うんだが。

 で、唐沢はそこから論を進め、

 しかし、猫のゲロ食いなどはまだ、スケールの小さい宗教的狂気にすぎない。そのようなヒステリーが最も大きく世界史を動かしたのは、かのジャンヌ・ダルクをもってその代表とする。
(中略)
 現在では、ジャンヌが聞いた神の声とは、ジャンヌ自身の心の声だったのではないか、という説が精神医学の研究からなされている。その説によると、ジャンヌはロレーヌの村で飼っている牛から結核をうつされていたという。そして、その結核菌が脳に感染し、ジャンヌは幻覚性の癲癇を起すようになったという。彼女が聞いたという声も、この癲癇の発作によって聞こえた幻聴ではないか、というのである。
 フランスを救った聖女が聞いた声が牛の結核が元になった幻聴というのはナンとも興ざめな話だが、また、ジャンヌのヒステリーは思春期における性的欲望の突出によるもの、という説もある。肉体が求める性欲と、信仰心が求める純潔性の桎梏によるヒステリーがあのような狂気とも思える行動に彼女を走らせたのだ、という。

 と書いている。
 ジャンヌ・ダルクを「ヘンタイ」とする根拠は以上。

 おい。
 それって、なんか間違ってね?
 それは変態ではなく、単なる病気じゃないか。
 ちなみにジャンヌ牛結核説は、ウィキペディア「ジャンヌ・ダルク」の項目で紹介されている早川智「ジャンヌ・ダルクと神の声」(「産科と婦人科」71巻6号)からの引き写しであろう。ヒステリー性の幻覚説は、早くも1908年刊行されたアナトール・フランス「ジャンヌ・ダルク伝」に掲載されたパリ大学のデュマ教授の「ヒステリー症状による偏側幻覚・幻聴説」がある。
 もっとも歴史家の多くの意見によると、中世の人間は精神医学など知らず、奇蹟や化現、神や天使や聖者の啓示があたりまえのこととされる世界に住んでいたのであり、現代の合理精神で当時の人間の心性を判断するのは危険である、ということになる。

 いや、そーじゃなくてー。
 唐沢がジャンヌを変態にしたければ、もっと強力かつ説得力のある根拠があるのだ。
 はっきりいって唐沢は長蛇を逸している。
 ジャンヌ・ダルクについて書くつもりなら必須といってもいい一次資料、「ジャンヌ・ダルク処刑裁判」(高山一彦編訳:白水社)の冒頭、「予審審理」にこう書いてある。

 ジャンヌと名のり俗に"乙女(ラ・ピュセル)"とよばれる女が、誉れ高き勇士達によりわが司教管区において逮捕されたことは祝福すべきことである。この女はかねて女性にふさわしい貞潔を忘れ、破廉恥にも女の慎みを捨て、恐るべき大胆さで下卑た男性の衣服を着用しているという噂が多くの地方に拡まってきた。さらに、傲慢にもこの女はカトリック信仰に背いて正統な信仰箇条に抵触する数多くの事を実行し、公言し、流布する事に怖れを感じていないと伝えられた。かかる行動により、この女はわが司教管区のみならずフランス王国内の多くの地方において、重大な犯罪を犯した者と見なされるに至った。

 つまりイギリス側がジャンヌ・ダルクを断罪した最初の罪状は、女性でありながら男装したこと、異性装趣味(トランスヴェスティズム)なのである。ジャンヌが変態というなら、これをとりあげずしてどうするつもりだ。

 もちろんジャンヌには男装をする必要があった。それは、甲冑をまとい戦争に参加するからには、男の服を着なければどうにもならないからであり、男ばかりの戦陣で男性の性欲を刺激しないためであり、牢獄では自分の貞操を守るためであった。
 ジャンヌ本人は、男装についてこう言っている。

 私の行いはすべて神の命令によるものです。神が他の服を着用せよとお命じになったなら、他の服を着ていたでしょう。神の命令であったからです。

 余【筆者注:ボーヴェー司教ピエール・コーション】は、同女【筆者注:ジャンヌ】が妥協するつもりなら、先ず、男の服を捨てる意志があるかという余の問いに答えるよう命じたが、同女はその点についてはお告げを受けていないから女の服はまだ着ることができない、と答えた。

 被告ジャンヌが男の服装、すなわち短い上衣、男の頭巾、胴衣を再び着用したところから(同女は以上の衣類を我等の命令によって一旦脱ぎ捨て、女性の服を着用していたものである)、我等は同女にむかい、何時、いかなる理由から再び男の服を着るにいたったかを尋問した。これに対してジャンヌは、少し前から自分は男の服を着用し、女の服を脱ぎ去ったものである、と答えた。
 何故男の服を着たのか、誰が着るように仕向けたのかと問うと、自分の意志で着たもので、誰からも強制されたものではないし、自分は女の服より男の服の方が好きだ、と同女は答えた。

     (前出「ジャンヌ・ダルク処刑裁判」より)

 いちど女性の服を着ることに同意した後、ふたたび男装に戻った事情については次回検討することにするが、ジャンヌが"声"の命令、もしくは自分の好みによって男装していたことは間違いないところなのだ。

 さらに、ジャンヌ・ダルクについて、このように書いている人もいる。

 それにしてももし彼女が、求婚者や結婚を迫る家族から逃げ出したいと思っていたとすれば、――公判記録は、彼女が村から逃げたがっていたことを推測させる――お告げがその少女の心情に、都合よくできていたことも、もう一方の事実なのである。

     (村松剛「ジャンヌ・ダルク」中公新書より)

 ここで博覧強記を誇る唐沢俊一なら、ハタと膝を打つべきだろう。
 真っ先に連想するのは、種村季弘「ぺてん師列伝 あるいは制服の研究」(河出文庫)所収の「女ペテン師ザビーネの冒険」でなければならぬ。

 ザビーネ(ゾフィー)アーピッチュは、ボヘミアとザクセンの国境をなすエルツ山地にほど近い、ドレスデンとツヴィカウを結ぶ線の北西に位するザクセンの小邑ルンツェナウの道具職人ヨーハン・アーピッチュを父として生まれた。一六九二年の事であった。一人っ子であったがあまやかして育てられたのではなく、躾のきびしい寄宿学校で教育を受けた。だから当時の女の子としては異例の、読み書きの素養をともかくも一人前に身につけた。
 学校を了えると父の仕事場で道具職人の徒弟として働いた。ザビーネこと洗礼名ゾフィーは、ようやく背丈の高い、すらりとした、齢頃の少女に成長する。女性としての難を言えば、いくぶん身体の線が固くて女らしいふくらみに乏しい。それに足が並外れて大きい。顔には天然痘を患ったあとのアバタがパラパラと散っている。つまりどちらかといえば男の子といった方が通りが早かったのである。
 (中略)
 一七一〇年、十八歳になったザビーネの前に求婚者が現れる。森の猟番のマチアス・メルヒオール・レーオンハルトである。齢頃の娘に求婚者が現れるのは、それ自体としてはいささかも不思議はない。しかしこの場合は取り合わせが極端にすぎた。レーオンハルトとの結婚は、森の猟番の女房として一生涯単調で孤独な森の生活に明け暮れすることを意味する。見知らぬ町の広場の歳の市の賑わい、謝肉祭の仮装行列、旅籠の酒場の陽気なビールの飲みくらべと旅人のほら話は、どこへ行ってしまうのか。未知の遠方に憧れるザビーネに、かつての寄宿学校の悪夢のような監禁生活の再来を思わせる猟番の暮らしは終身刑も同様と思われた。
 (中略)
 ザビーネは土壇場に追いつめられた。両親が婚礼の打ち合わせにレーオンハルトの家に出かけた日曜日、ザビーネは父親の衣装箪笥から男物の下着と祝日用の黒のフロックコートを取り出してそれに着替えた。行きがけの駄賃に小銭を少々失敬すると、いまや鼻につくほど住み馴れたルンツェナウの町におさらばを告げたのである。男服に変装したのは、おそらく単に、女の身なりで街道筋をうろついていればかならずや無頼漢どもに手籠にされて、淫売屋に売りとばされるのが関の山と承知していたからであろう。

 男装してカール・ギュンターと自称したザビーネは、兵隊に取られて脱走したり、ライプチヒの宿で娘に惚れられ、結婚を迫られて逃げ出したり、おしのびで旅行中との噂のザクセン選帝候太子フリードリフ・アウグストに間違えられたりしたあげく、成り上がりの郷士を爵位詐欺にかけて一七一六年に捕らえられた。ライプチヒ陪審裁判所の判決は意外にも軽く、国王の減刑指令もあって、一年の禁固ですんだという。ジャンヌ・ダルクより格段にいい環境の牢獄で、個室を与えられ、男子服で散歩したという。

 ちなみにザビーネ・アーピッチュは、出獄した一七一七年十月十五日まで、その長の放浪生活にも拘わらず、驚くべし金無垢の処女を守っていたということである。どこまで果報な女(男?)であろうか。

 同じように結婚生活を嫌がって男装して出奔、波瀾万丈の生活を送ったにもかかわらず処女を守りつづけたふたりの女。しかしその結末は両極端である。ひとりは異端者として灰すら残らぬ火あぶりの刑に散り、ひとりは平和理に元の家庭に戻ることができた。
 この好対照を語ることによって、トランスヴェスティズムの話がよりふくらむというものではないだろうか。ついでに、トランスヴェスティズムは別名エオニズムとも呼び、その語源はアニメ「シュヴァリエ」の主人公のモデルとなったフランスの女装外交官、デオン・ド・ボーモンであると一行知識をつけ加えれば、さらによろしいのではないだろうか。
 ふたたび呉エイジ氏の言葉を借りれば、

「ひねらんかい! もっとひねらんかい!」

 と叫ぶところである。


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