暴徒の七人男

 困ったことが沖田。困ったことというのは、もちろん医学的な見地から見ての話である。
 総司はときどき血を吐くし、自分で何をしていいか判らないことがある、と言う。勇は、自分も空腹を感じる、自分も何をしていいか判らないことがある、と言う。ぼくはと言えば、どうも傷の養生がよくない。悪いのは傷だ、ということはよく判っていた。というのは、少し前に石田散薬の広告を読んだばかりだったからで、それには石田散薬が効く症状が詳しく書いてあった。その症状が全部ぼくにあるのだ。
 そのなかで主なものは、「総司と仕事をしたくなくなる」という奴である。
 このことのためぼくがどんなに辛い目に会ったかは、まったく筆紙につくしがたい。まだあどけない切紙のころから、ぼくは自分より強い総司に絶えず悩まされてきたし、道場では一日だってこれを免れ得た日はなかった。
「おれたちには休息が必要だよ」
 と総司は言った。すると勇が、
「海へいこうじゃないか」
 という案を出した。ちょうど江戸湾には、メリケンとかいうところから来た黒船が停泊している。環境の変化はぼくたちの精神(勇の精神も含む)を楽しませ、勤労は食欲を増進し、快い眠りを与えるであろう、とのことであった。
 総司は、しかし勇がいつも以上に食べるような勤労は、危険なことになるかもしれないから、させないほうがいいと思う、と言い添えた。夏だって冬だって、一日は十二刻しかないのに、どうしてこれ以上食事をむさぼろうとするのか理解に苦しむ。もっとも、もしこれ以上食べるとすれば、大口人間として見世物にできるわけだが、というのが総司の意見であった。
 しかし、何しろ二対一である。動議は通過した。

 ぼくたちは地図をひろげて、プランを練った。
 次の晦日に隅田川から出発しようということにした。総司とぼくは午前中に出かけて、立会川へボートでゆく。勇は昼すぎまで江戸を離れるわけにゆかない身だから(彼は毎日、辰の刻から申の刻まで講武所へ猟官運動にゆくのである。ただし晦日は正午になると百姓身分だから叩き出される)、立会川でぼくたちと落合う、というわけであった。
 ボートは両国橋の下で待っていた。ぼくたちはそれに向かって進み、荷物を積み、そして乗り込んだ。
「いいですか、旦那」
 という人足の声に、ぼくたちは、
「大丈夫だ」
 と答えた。こうしてわれわれは、しばらくわれわれの家庭となるはずの海の上へと向かって進んだのである。

 ぼくたちはボートを優雅にあやつり、海を下っていたのだが、流れる舟の上に二人の男がいるのに気がついた。彼らは両方とも、ぼくが人類の顔にそれ以前もそれ以後も見たことのないような、悲惨な困惑しきった表情で、顔を見合わせている。何かが起こったことは明らかだったので、ボートを近づけてゆき、一体どうしたのかと訊ねた。彼らは怒った口調で、
「舵が流れたんだ! しっかり褌で縛りつけていたのに、振り向いてみたらもう見えない!」
 舵の卑劣な態度にすっかり憤慨している、といった顔をした。
 ぼくたちは彼らを収容した。男のひとりは長州藩士の吉田寅次郎、もうひとりは金子重輔と名乗った。ふたりは黒船に乗り込もうとして舟をこいでいたのだと言う。
 二人の目指すところは、黒船に乗ってメリケンへ行き、すぐれた科学技術を学んで、長州藩を幕府に対抗させるが、やがて薩摩に裏切られて失脚、長州支持の公家も失脚して逃亡……いや、まだ七卿都落ちは未定だった。

 鮫洲が見えだすと、ぼくたちが最初に気がついたものは、桟橋のひとつの上にある勇の羽織であった。そして近づいてみると、その羽織のなかには勇がいた。
 勇はかなり変てこな人物と一緒だった。ひとりは目つきの鋭い小男、ひとりはかなりぼさっとした感じの大男である。総司が、
「なんだね、その人たちは? 新しい弟子かい?」
 と訊ねると、勇は目を異様にキラキラさせながら、
「違うよ。旗本の勝麟太郎さんと、その門人だ。勝さんは講武所頭取の男谷様のご親戚であられる。ぼくを教授方へ推薦してくださるそうだ。黒船に興味があるというので、一緒に行くことにした」

 もっともこの勝麟太郎と名乗る男とは、すぐに別れねばならなかった。
 鮫洲の桟橋を出たばかりのとき、その男は船縁から身を乗り出して、今にも落っこちそうな危ない様子だった。ぼくは助けてやろうと思って近寄り、肩をつかまえて、
「おい、もっと引っこみなさいよ。海のなかへ落ちてしまうぜ」
「ああ、いっそ、そのほうがいい」
 というのが、その男のたった一つの答えだったし、そしてぼくはその瞬間、彼のそばを離れねばならなかったのである。
 三年後、ぼくはその男に、江戸城の大広間でばったり会った。彼は海軍の話をし、自分がどんなに海に通じているかを熱狂して語っていた。
「おれが船に強いかって?」
 と彼は、おとなしそうな蘭学書生がうらやましそうな口調で訊ねるのに答えながら、
「べらぼうめ、あたぼうよ。でもな、打ち明けて言うと、いっぺん、変な具合になったことがあるんだ。ハワイの沖合だったかな。船がその翌日、難破しかけちまったけどな。ま、俺さまの大活躍がなかったら、咸臨丸はあのまま海の藻屑だったろうな」
 ぼくは言った。
「こないだ、鮫洲桟橋のところで、船酔いして、海の中へ投げ込まれたいくらいだと言った勝さんじゃないですか?」
「鮫洲?」
 と彼は不審そうな顔つきをした。
「ええ、浦賀沖へ行く船ですよ。三年前」
 すると彼は顔を赤くして、
「ああ……そうです。やっと判りました。あれは、ほら、黒船のせいですよ。あんなでかい船が、石炭の臭いをまきちらすのは、初めてのことでした。ねえ、そうじゃありませんか?」

 もうひとりの坂本と名乗る若者は、陽気で愉快で頭の悪い奴で、敏感さなどというものは土佐のシバテンくらいしか持ちあわせていない男だった。刺客に狙われても、狙われていることに気がつかないし、もし斬りつけられてもいっこう平気だろう。
 おまけにひどく臭うのだ。風呂に何年も入っていないらしい垢じみた臭いはともかくとして、もうひとつ妙な臭いがするのである。
 ぼくが訊ねると、
「これはえげれすという国で流行っている、ぱーひゅむというものじゃきに。わが国では龍涎香ちゅうて、龍が海に垂らした涎が固まったものちゅうとるが、えげれすの人は偉いきに、まっこと詳しく調べて、鯨が食べたが消化できんかったものが、胃の中で固まったものじゃちゅうことをつきとめたそうじゃ。消化胃石の正体石ちゅうわけじゃな。それを鬢つけ油に溶かしたもんを塗るのが、あちらの武士のたしなみじゃ。どうじゃ、ええ香りがするきに」
 たしかにすばらしい香りで、三尺玉二百発分のすさまじい芳香をはなち、その香りは三里の彼方にまで達して、その地点にいる人を二百丈ばかりつきとばすこと請合いといった香りであった。何しろジクジクにじむのだ。ぼくはぱーひゅむほどジクジクにじむものを他に知らない。坂本をボートの舳先に立たせたのだが、艫のほうにまでにじんで行って、ボートじゅうにしみこみ、途中の道筋にあるあらゆるものにしみこんだ。そして更に、海の水にまでしみこみ、景色に浸透し、大気まで台無しにしてしまった。
 こんななりでいながらこの男、十七つの加尾という娘を誘惑したこともあるという。なんでも、加尾お嬢さんに向かって、うららかな調子で、
「さあ、いらっしゃい。脱藩をしてもらいます」
 加尾は最初、彼が何のことを言っているのか判らなかった。ようやく言葉の意味が呑込めると、そういう脱藩に適したドレスを着ていないからと断ると、彼は相変わらず陽気に、
「なあに、ぼくが教えてあげます。なかなか面白いもんですよ。高マチ袴をはいて、ブッサキ羽織をひっかけ、宗十郎頭巾をかぶって、細身の大小を腰に差せばいいんです」
 さすがにこれは加尾の兄に止められたそうだが。

 おまけにこの男、さっき乗せたふたりとしきりに密談する。こっそりと聞いてみると、どうも黒船に乗り込むとか、船に乗ってメリケンに送ってもらうとか、おだやかならぬ話である。
 われわれは勇敢さに関しては誰にもひけをとらないつもりだが、法と秩序を愛するものである。幕法を破って異人に話しかけ、あまつさえ勝手に国土を離れるなどという行為は、断じてとらないところのものである。
 この雲行きの変化に、総司は鹿爪らしい顔で船端にへばりついていた。
「もうすぐ浦賀だ。黒船を見たら、品川に戻るさ。」
 と勇は言った。われわれは座ったまま、前途のことを思いやった。寅の刻に黒船に乗り込んだら、卯の刻までには幕吏に知れるだろう。まあ辰の下刻にはお縄を頂戴するだろう。尋問が済むとすぐに投獄。
 ぼくたちはすっかり神経の具合がおかしくなっていたので、吟味の模様をあれこれと思い描いた。ぼくたちは事情をお奉行さまに説明するのだが、誰ひとり信用してくれない。ぼくたちは打ち首獄門の刑を宣告され、母親は傷心のあまり死んでしまう……。
「このボートから離れないなんて決心したのが残念だ」
 と勇は答えた。しばらくのあいだ沈黙が続いた。
「この、糞いまいましい、棺みたいなボートに乗って死んじまう決心を固めてさえいなければなあ」
 と総司は、悪意にみちた視線で、ボートをじろりと睨みながら言った。
 誰も口をきかなかった。みんな顔を見合わせ、めいめいが相手の顔のなかに自分自身の卑しくて罪深い思考を見ているようであった。われわれは黙りこくったまま風呂敷を出し、中身をあらためた。それから海を見、近くにある船着き場を見た。幸いあたりに人影はない!
 ぼくたちは浦賀で三人をだました。幕法が怖いから逃げだすのだとはどうも言い難かったのである。ボートとその中のもの全部を、巳の刻までにととのえておくように、と命令して、彼らに預けたのだ。そしてぼくたちは、もしも、と言い添えた。もしも何か不測の事態が起き、ボートへ帰れなくなったら、飛脚をよこすから、と。

 ぼくたちは浦賀の料理屋に席をとり、そこから通りを見おろした。
 通りは混雑していた。黒船が大砲を撃つたびに群衆はどよめく。砲音におびえた子供は泣き出し、女は子供を連れて逃げまどい、そして武士たちは慌ただしく駆け回る。そんな中、見たことのある男が二人、後ろ手に縛られ、役人にいかめしく囲まれ、駕籠に乗せられて護送されている。
 勇は手を杯にもってゆきながら言った。
「ぼくたちの今度の旅行は愉快だった。母なる江戸湾に心から感謝する。それにつけても、ぼくたちは、ちょうどいいときに黒船と別れたもんだ。《よくぞボートを逃げだした三人男》のために乾杯!」
 あのような黒船と対抗するには、よほど度胸が据わった、彦根候のような人物が幕府の中心にいなければなるまい。来年も井伊年でありますように。


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