遅剣

 豊後臼杵藩の家臣久保田十兵衛が、いずこより来たとも知れぬ流れ者に殺されたのは、慶長三年の秋のことであった。
 臼杵五万石の家中でも名だたる一刀流の使い手として知られた十兵衛は、城下にある梶派一刀流道場の師範代でもあった。そこへふらりと訪れたその流れ者は、星野芋殿と名乗り、一手所望したいと告げた。師範の五十嵐鉄斎は外出していた。
 背は高いがひょろりとしており、身動きもさほど敏捷でなさそうだと見てとった十兵衛は、無造作に道場に出た。
「当流は素面素籠手、木刀にて試合と定めておりますが如何」
「それで結構」
 そんなやりとりの後、十兵衛は枇杷の木太刀を構えて道場の一方に立った。星野も木太刀を持ってゆっくりと対局した。星野が大きく上段に振りかぶった構えを見た十兵衛は、それが薩摩示現流特有のものであることを感知した。示現流の特色は、太刀筋の素早さと力強さである。これとまともに撃ち合うのは得策ではない。相手の初太刀を受けるなり外すなりしてから反撃するのが常道である。
 十兵衛の予想通り、星野は凄まじい気合いとともに突進してきた。その木刀がまっすぐ頭上を襲うと感じた十兵衛は、みずからの木刀を両手で構え、その斬撃を受けようとした。
 受けた。と、そう思った。しかしなにも来なかった。一拍、二拍しても星野の剣は来なかった。いぶかしく思った十兵衛は、わずかに受けの構えを崩した。そこへ木刀が襲ってきた。構えの崩れた受太刀は斬撃を受け止めきれなかった。
 星野が足早に去っていくと同時に、門人は駆け寄って十兵衛の死骸をあらためた。星野の木刀は十兵衛の頭蓋骨を噛み割っていた。十兵衛の木刀は惨撃を受けきれずに押し潰され、十兵衛の鎖骨もろともへし折られていた。

 その夕、師範代の通夜を行っている道場を訪れたふたりの山伏がいた。深編笠をとった山伏のひとりは壮年、ひとりは少年だった。壮年は堀川国安、少年は堀川安之進と名乗った。国安と以前から昵懇であった道場主の鉄斎は、ふたりをこころよく迎えた。
「少々立て込んでおりますゆえ、なんのもてなしもできぬが、まずはゆるりとお過ごしくだされ」
「何かござったのか」
「仕合で師範代が果てましての」
 鉄斎は門人から聞いた詳細をふたりに伝えた。
「薩摩示現流にまぎれもないとは思うのじゃが、ただ常の示現流とは違い、太刀が三拍も四拍も遅れてくるとか。そのために十兵衛は受け損ねたとのこと」
「ふうむ」話を聞いた国安は、しばらく腕を組んで考え込んでいた。
「その男の話、聞いたことがある」
「なんと」
「名を独活野とか鵜殿とか申さなかったか」
「芋殿と名乗っておったそうじゃ」
「それじゃウドノじゃ」
 堀川国安は、薩摩で聞いた話を語った。

 星野はもと薩摩郷士であった。薩摩ではほとんどの侍が示現流を習う。示現流では、技術はさほど重んじず、太刀の力と速さのみを鍛える。
 しかし星野は、力は充分にあったが、天性神経が鈍く出来ておったか、どうしても太刀の運びが遅い。年下にまで撃ち込まれ、あれは力だけの木偶の坊じゃ、独活の大木じゃと嘲られておった。
 剣の天分の無さを嘆いておった星野は、ある時ふと考えた。太刀を揮う速さのあまり受け切れぬのも業じゃが、逆に遅すぎて受け切れぬという業もありはすまいか。その業こそ己が行くべき道ではあるまいか。
 それからというもの星野は、ひたすら太刀の動きを遅くすることに修業した。たんに遅くするといっても、構えで遅さを気取られるようではどうにもならぬし、そこに力が籠もっていなければならぬ。数年の修業ののち、まったく普通の太刀運びと見えながら、二拍も三拍も遅れてくる難剣が完成した。
 星野はこの剣でかつて彼を打ち据えた者どもを逆に打ち据え、かつて嘲られた「独活の大木」から取って芋殿と改名し、武者修行に出たという。

「なるほど」鉄斎は頷いた。
「そんな剣だ。まっとうな流儀で永く修業した者ほど、このような剣には脆い。呼吸がまったく違うからじゃ。しばらく様子を見たらどうか」
「いや」鉄斎は頭を振った。
「弟子を討たれては捨て置けませぬ。このままでは臆病者と嘲られ、門人も逃げていきましょう。彼の者の逗留する旅籠に、すでに意志を伝えております」
「そうか」国安はそれから何も言わなかった。

 五十嵐鉄斎と星野芋殿の仕合は、翌朝早くに行われた。星野の斬撃が遅れてくるのを予測していた鉄斎は、受けの構えを崩すことなく待った。待ち続けた。待ち続けて死んだ。
 上段から振り下ろされるかと思われた星野の木太刀は、ゆっくりと旋回して横殴りに軌道を変えた。肋をへし折られた鉄斎は血を吐いて絶息した。

「やむを得まい」国安は嘆息した。
 刀鍛冶として高名な堀川国広の弟、国安と、その甥、安之進の目的は、そもそも臼杵藩にはなかった。彼らは石田三成の名家老、島左近の命で、薩摩の島津家へ密書を送った帰りであった。太閤秀吉の逝去直後で、豊臣方と徳川方に勢力が二分されつつあり、政情騒然とした折であった。
 先を急ぐ二人ではあったが、豊臣の陣幕に参ずることを約している、太田氏の家中で起こりつつある騒動を見過ごすわけにはいかなかった。
「しかたありませんね」安之進は微笑した。
「おいおい、仕合に出るのはおまえなんだぞ」
「わかっています」安之進は微笑を崩さなかった。
 国安はひそかに舌を巻いた。
(こやつ、剛胆なのか、それともわかっていないのか……)

 その夜、前日と同じ旅籠で、書状を受け取った星野迂殿は眉をひそめた。書状には、「翌朝卯の刻、城下より二里の弁天原にて、野仕合つかまつりたく候」と書いてあった。

 約束の刻に弁天原で向かい合ったふたりは互いに一礼し、真剣を抜いた。星野芋殿は肥後同田貫二尺八寸、堀川安之進は正宗造りの堀川国安二尺三寸。
 中段に構えた安之進の、まだ前髪も上げぬ若さを侮ったか、星野は大上段に剛刀を振りかぶり、一気に勝負をつけるべく突進した。安之進はやや太刀を上げて防御の姿勢に立つ。星野はかすかに笑いながら、凄まじい気合いとともに同田貫を振り下ろす。
 しかしそのとき、原の外れから駆けてきた男が、星野の同田貫より速く、星野の胴を両断した。星野の剣はまったく間に合わなかった。
 星野を斬った男は堀川国安だった。
「野仕合なれば伏兵も助太刀もありじゃ。悪く思うなよ」
 星野芋殿の骸を見下ろしながら、国安は呟いた。
「いくさの場では役に立たぬ、道場のみで通用するような剣を磨いた、お主の不見識ゆえの死じゃ。南無阿弥陀仏」
「おじさん、山伏でしょ。なむあみは真宗ですよ」
 安之進は朗らかに笑った。


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