狸の災難

 その場所で狸を見たのは、これが二度目だった。
 最初は三日前の夜。車で家に帰る途中、この畑をうろつく一匹の獣をヘッドライトが照らした。
 最初は野良犬かと思ったのだが、犬にしては足が短い。胴が長い。尾が太い。やがて振り向いたその顔は、まごうことなき狸であった。瞳がヘッドライトの光を受けて反射するが、その光に力がない。よく言われていた、「狸はの、目の光りもどんくさいんじゃ」というのは本当だとわかった。
 その狸はしばらくこちらを見ていたが、やがてヘッドライトの届かぬ陰に逃げていった。

 そして昨日。時間は同じ、夜になりかけの頃。場所も同じ畑だ。しかし今回の反応は違った。畑から下りて、すたこら逃げ出したのだ。
 それはいいのだが、問題は逃げ出した先が、この車の走る道路だったということ。
 のたのたと逃げる狸は、とうてい自動車の速度にかなうわけがない。すぐに追いつかれた。急ブレーキをかけようと思った刹那、ようやくおのれの無謀さに気づいたらしく、道路からとびのき、危機一髪で道路脇の下水溝に飛び込んだ。
 狸というやつは、犬や狐と違い、道路に出たところで追われると、脇に逃げようとしない。まっすぐ道路を走って轢き殺されるのだと聞かされ、事実道路で死んでいる狸をしばしば見かけたのだが、自分があやうくその実例をもうひとつ作るところだった。

 あそこは狸の通り道になっているのかもしれないと思い、その翌日の昼間にその畑に行ってみた。
 別に変哲もない、枝豆やナスが植えられている畑だった。
 うろうろしていると、犬に吠えつかれた。わんわんという甲高い声と、ぎゃんぎゃんというへちゃげたような声。振り向くと、農家の庭先につながれた二頭の犬がいた。白っぽい柴犬と、その子供らしい、黒っぽい子犬。
 犬が吠えたためか、その家の主人らしい、手ぬぐいの上に麦わら帽子をかぶった老人が出てきた。

 挨拶をして、狸の話を聞いてみる。
 老人は麦わら帽子をいじりながら教えてくれた。
「わしんとこはの、ほうじゃ、あそこに穴を掘っての、食い残しじゃの魚の骨じゃの茶殻じゃの、捨てよったんじゃ。埋めて置いちょったら肥やしになるけん。ほしたらの、埋める前に、狸が来て食いよったんじゃ。食い散らかしもせんし、畑をめげもせんし、まあええか思て放っとったら、毎晩来るようになっての」
 老人は畑の隅を指さす。それは、確かに狸を見たところだった。

「悪さはせんじゃろうと思っとったんじゃが、いけんのう、狸め、シロにサカりよったんじゃ」
 老人はいまいましげに白っぽい柴犬を指さした。
「ほんで産まれたんがあの餓鬼じゃ」
 柴犬の横にいる、むくむくとした黒っぽい子犬を指さした。
 そう言われてみれば、毛の色といい、ずんぐりした体型といい、あの鳴き声といい、どことなく狸を思わせるようなところがある。
「マミ犬ちゅうやつじゃ。シロも何がよかったんなら」
 老人は呆れたようにつぶやいた。

「狸は阿呆じゃて、その仔のこいつも阿呆じゃ。ちぃと目ぇ離したら、川にはまりよるわ、家ん中小便しまくりよるわ、わやくちゃじゃ。おまけに臆病もんでの、雷が鳴っただけで目ぇむいてひっくり返りよる」
 だからこうして母親と一緒に繋いでおかねばならんのだ、と老人は言った。
「狸の仔は狸じゃ。ほんまに間抜けで、役立たずで、どもならん」
 子犬はこちらを向いた。小さいがくりくりした目は愛嬌がある。が、愛嬌だけではどもならんのだろうなあ。

 私が持っていた菓子を投げてやると、そのむくむくとした子犬は疑うこともなくかぶりつき、嬉々として食うのであった。
「ほうじゃろ、がっつきよって、こげなマミ犬は育っても、家の番にも猟にも使いものにならん。ほんまに無駄飯食らいじゃ」
 父親と自分のことをこのように罵られながらも、その子犬は、短い尻尾をちぎれんばかりに振りながら食い続けるのであった。


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