魘される

 このところ体調がいまひとつのせいかエアコンを切ると夜中に寝苦しくなるせいか、なんだか眠りが浅いまま夢を見ては、魘されてばかりいるような気がする。

 先週はずっとファイナルファンタジー10に魘されていた。
 まあこれは簡単な理由で、このゲームをやっていたからだ。
 眠ると夢の中にスフィア盤が出てきて、ああ、成長しなきゃ負けちゃう、進まなきゃ負けちゃう、と強迫観念が私を苦しめるのだ。しかしせっかく順調に進んでも、LV.3ロックが行く手を阻むのだ。そしてユウナレスカが私を襲うのだ。ないすばでぃの露出狂の姐ちゃんやー、と喜んでいったら途端におぞましい姿に変わって私を苦しめるのだ。世界地図がぐるぐる回って、いつまでたっても行きたいところが見つからないのだ。そして生ける者はシンにいつ殺されるかと毎日をおびえて暮らすのだ。いっそ死ね。死んでしまえば無限の可能性があるぞ。なにしろスピラでは死者も気合いしだいで結婚もできればメシも食え昇進すらするという素晴らしい話だ。FF10知らない人にはなんのことやらの話ですみません。

 ところが今週は自然主義に魘されているのだ。
 これは明らかに、自然主義の作家、岩野泡鳴のことを調べているせいだ。
 岩野泡鳴は通称「偉大なる馬鹿」と呼ばれ、筒井康隆の小説の登場人物がそのまま現実に生活したような人間だった。あっちこっちで女を作ったり借金を作ったり缶詰工場を造ったり蜂蜜を作ったり思想を作ったりしたが、そのすべてに失敗した。いや、借金を作るのだけは大成功した。しかも自分が偉くて天才だと死ぬまで信じていた人で、漱石や鴎外は二流作家、通俗作家とぼろくそにけなし、講演会で「おれは宇宙の帝王だ。否、おれが宇宙そのものなのだ」と高らかに宣言する。しかし宇宙の帝王のくせに、淋病をうつした愛人を入院させる金がない。かんざしを買ってやる金すらない。しょうがないからまた講演会に出かけ、冒頭で「オレは淋病だ」と怒鳴って聴衆をあぜんとさせる。
 こういうむちゃくちゃな人生をありのままに書いて、「私小説なのに抱腹絶倒」というすばらしい評価を得た人なのだ。町田康の小説の主人公が異常に行動的になったようなもの、であろうか。
 ……などと偉そうに書いてきたが、まだ私は岩野泡鳴の代表作「泡鳴五部作」を読んでいない。他の人が書いたことをつなぎあわせて、こんなもんではないかと想像しているだけなのだ。読んでみたいなあ。わくわく。

 こういう岩野泡鳴に夢の中で襲われるのだから、魘されないはずがない。それにしても泡鳴だけでなく、田山花袋、徳田秋声、島崎藤村までもがいっしょになって私を魘すのだ。ときには葛西善蔵もグルになって魘すのだ。集団で袋叩きとはちょっとずるいんじゃないか自然主義。
 夢の中で私は、自然主義スゴロクに閉じこめられるのだ。もうこれはどこに行っても、缶詰工場が失敗して破産したり体臭のする布団に襲われたり嫁が逃げ出したり嫁から逃げ出したり嫁がぼろぼろの服でムシロをかぶり「子供が泣くので帰ってきてください」と訴えてきたり子供の知能が進まないので夫婦共謀して殺してしまったり鶴見祐輔に資金援助を断られたり学校を首になったり借金を断られたりまだ夜明け前だったり大家の子供と喧嘩した実子を殴ったり水面をあてどなく見つめたりいっそ心中しようと橋から飛び降りたら下が雪で助かってしまったりでもそのはずみで財布を落としたり、とにかくどのマスに止まってもいいことがまったくないのだ。でも止まったら死ぬのだ。そういう強迫観念が私を苦しめるのだ。
 しかもサイコロが自然主義サイコロだから、ぜったいに割り切れる目が出ないのだ。自然主義にはハッピーエンドはないのだ。あがりがないのだ。だから永遠に自然主義スゴロク地獄をさまよいつづけるしかないのだ。
 そしてスゴロクだけでなくモンスターと化した作家諸氏が私を襲う。二流作家で通俗作家の夏目漱石と森鴎外が私にダブルアタック。無能でお坊ちゃんぞろいの白樺派はやたらに長生きを私に見せつける。志賀直哉などは偉そうな面をして偉そうなことを私にほざきに来る。尾崎紅葉が私を蹴倒す。泉鏡花ひきいる化け物軍団が私を襲う。菊池寛と芥川龍之介が私を抹殺に来る。青鞜社と田中玉堂が不倫して私を踏みつけにくる。

 それなのに私をこのスゴロク地獄に落としたはずの自然主義諸氏は、なぜかこのスゴロクから自由に逃げていくのだ。これは自然主義熟練者にのみ許される技で、差別に耐えきれなくなったり姪と近親相姦していたたまれなくなったり借金でどうにもならなくなったりすると、すべてを振り捨ててテキサスや台湾やフランスや樺太や日光へ逃げていってしまうのだ。自然主義エスケープという大技である。だれでもできることではない。
 そして残された私ひとり、自然主義スゴロクの中を死ぬまでさまよいつづけるのである。疲れ果てて路傍に息絶えようとすると、いつの間にかフランスに逃げたはずの島崎藤村が近寄ってきて、「死ぬときの気分はどんなものかね」と聞いてくるのである。

 そして今夜も眠りが浅い。


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