食ってはいけない

 土用の丑の日を過ぎてしまってからウナギの話を書くというのもいつも通り間の抜けた話だが、なに、土用の丑の日はもういちどある。捲土重来。

 とはいってもあまりウナギは好きではない。というか、ウナギの蒲焼きは好きではない。タレをつけて渋うちわで扇ぎながら炭火で焼くあの香り、甘辛そうなタレが焦げて山椒と混じったあの香りは大好きなのだが、食べてみると味は香りほどでない。その落差がどうも気にくわないのだ。ちなみに立ち食いソバにもそんなところがある。みりんと醤油の混じった強烈な香りにつられて店に入ったものの、味はうまくもなんともない。ただ立ち食いソバの場合は値段が値段なので、つい寛容になってしまう。ウナギ、高いんだよね。

 ところがこの蒲焼きを食すことのできない集団がいる。ユダヤ教徒である。
 旧約聖書では食べていいものといけないものをこと細かに説明している。
 レビ記によると、「ひづめが割れて反芻する動物は食べてもいいが、ひづめが割れているが反芻しない動物、反芻するがひづめが割れていない動物は食べてはいけない」とあり、親切にも食べてはいけない動物の例として、「らくだ、岩だぬき、野うさぎ、豚」が挙げてある。
 ひづめが割れていないうえ反芻もしない動物はどうかというと、「四つ足で歩き回る動物のうち、足の裏のふくらみで歩くものは汚れているから食べてはいけない」とくる。これで犬猫など食肉目の動物はすべて却下。さらに「地に群生する動物のうち、モグラ、トビネズミ、大トカゲ、ヤモリ、ワニ、トカゲ、スナトカゲ、カメレオンは汚れているから食べてはならない」ということで、爬虫類両生類も駄目。ま、カメレオンが大好物だという人はあんまりいないと思うけど。残りの動物、たとえば猿とかオオアリクイとかカピパラとかモモンガについては書いていないが、ユダヤの神様のことだからあんまりいい顔しないだろうな、食べたら。
 ちなみに食べてよい動物にしても、「教えにのっとって殺され、放血されたものだけが食べることを許される。動物の血はぜったいに食べてはならない。また自然死した動物、野獣に殺された動物も食べてはいけない」「牛、羊、山羊の脂肪はいっさい食べてはならない」という条件がつく。
 海中はどうかというと、「水の中に住むもののうち、ひれとうろこを持つものは食べてもいいが、それ以外は食べてはならない」とある。これで、エビ、カニ、シャコ、タコ、イカ、貝類、ナマコ、ホヤ、ウニ、ウナギ、ドジョウ、アナゴ、ハモ、アンコウ等が食品から除外される。
 陸海ときたら次は空である。鳥に関しては、「鳥のうちで以下のものは食べてはならない。ハゲワシ、ハゲタカ、黒ハゲタカ、トビ、ハヤブサ、カラス、ダチョウ、ヨタカ、カモメ、フクロウ、ウ、ミミズク、白フクロウ、ペリカン、野ガン、コウノトリ、サギ、ヤツガシラ、コウモリ」とある。これは品種こそ多いものの、ダチョウ以外には食いたいとも思わないので、あんまり被害はない。それともユダヤ人は、ほっといたらハゲタカも食い尽くすほどとんでもない連中だったのか。
 昆虫に関しては「羽根があって群生し四つ足で歩き回るもののうち、跳ね足で飛び跳ねるもの、すなわちイナゴ、毛のないイナゴ、コオロギ、バッタは食べてもよい。それ以外はすべて食べてはならない」とある。毛のあるイナゴってどういう虫だろうか。蜂の子やザザムシや蚕のサナギは駄目だが、イナゴの佃煮だけはかろうじて合格ということらしい。昆虫は足が六本だよ、などと屁理屈を言ってみても駄目である。ユダヤの神はどうせ、罰を与えておいてから足の数を数えるのだから。

 ユダヤ教には別に「乳製品と肉を一緒に調理してはならない」という掟がある。どうやら出エジプト記に「子山羊をその母親の乳で煮てはならない」と書いてあるのを拡大解釈したらしい。どう考えても、これは魏の曹植の詩「豆がらを燃やして豆を煮る」という文句のように、同族相食む悲劇を防止する言葉だとおもうのだが。ともあれユダヤ教徒は、乳製品用の鍋と食器、肉用の鍋と食器をべつべつに持っているらしい。敬虔なユダヤ教徒になると、乳製品用の台所と肉用の台所を作るのだとか。
 さらにこの言葉を拡大解釈して「親と子を一緒に食べてはならない」という掟もあるらしい。

 このユダヤの掟を日本の食生活にあてはめると、なかなかに怖ろしいことになってくる。
 冒頭のようにウナギの蒲焼きは駄目。江戸名物どぜう鍋も駄目。茨城名物あんこう鍋も駄目。京の夏の味覚、ハモの吸い物も駄目。アナゴ丼も駄目。寿司ネタではウニとアナゴとタコとイカと赤貝と青柳と小柱とミル貝とホッキ貝とシャコとエビと甘エビが駄目。天ぷらではエビとギンポと小柱かき揚げと子エビのかき揚げが駄目。
 そして豚肉がダメというから、トンカツも豚しゃぶも豚キムチも焼き豚も角煮も野菜炒めもホイコーローも酢豚も駄目。ベーコン、ハム、ソーセージも全部駄目。
 そして乳製品と肉を一緒に調理できないのだから、牛や羊の胃袋の酵素(レンネット)で作る伝統的なチーズは全部駄目。肉をバターで焼くからステーキも駄目。サラダオイルで焼くからと泣きついても、血のしたたる肉はもともと駄目だってば。バターでタマネギを炒めてから肉を入れるので、シチューやカレーも全部駄目。正式のインドカレーはバターでなくギー(羊の脂)で炒めるからいいかと思ったが、「牛、羊、山羊の脂はいっさい食べてはならない」にひっかかるので、やっぱり駄目。パンの生地には牛乳とバターが入っているから、それと肉を一緒にした肉まん、ピロシキ、カレーパン、コロッケパン、焼きそばパン、すべて駄目。ハムサンドもホットドッグもハンバーガーも駄目。チーズとベーコンやサラミを一緒に焼くからピザも駄目。ベーコンやサラミは豚が原料だから、もともと駄目か。
 そして「親と子を一緒に食べてはいけない」のだから、親子丼、鮭イクラ丼は駄目。子持ちシシャモも駄目。子持ちガレイの煮付けも駄目。子持ちの鯉こくも駄目。子持ちコンブは親子が違うからオッケー。でもタラチリに白子を入れるのは駄目。

 日本で生活するのも大変だ。金がないとき、昼飯を食おうと外に出ても、ハンバーガーが駄目、カレーが駄目となると、あとは立ち食いソバか牛丼くらいしかない。でも普通の牛丼はきっとユダヤの戒律通りに殺していない肉だから駄目。そば屋でもエビ天、イカ天、かき揚げは駄目。たぬきうどんも、それらの天ぷらを揚げた天カスかもしれないから駄目。素うどんでも食いましょうか。
 きょうは面倒だから出前でも取ろうかといっても、ピザは駄目。ハンバーガーも駄目。フライドチキンはコロモに牛乳が入っているらしいので駄目。寿司は三分の一くらいしか食えない。そばやうどんはいいけど、天ぷら系は駄目とくると、出前の条件「二千円以上から配達いたします」を満たすのは大変だ。素うどん五人前注文しますか?
 夏は北海道に行って思い切りうまいものを食いまくろう、と思っても、タラバガニとズワイガニと毛ガニとボタンエビと甘エビとウニとハッカクとホタテとホッキ貝と豚丼が駄目。鮭イクラ丼も駄目。ラーメンもトンコツとチャーシューが駄目。ジンギスカンくらいしか食べるものがない。ジンギスカンの肉も、脂身は慎重によりわけてね。かくして北海道グルメツアーは崩壊。
 では海にでも行こうか、といっても、海の家でメシが食えない。カレーが駄目ラーメンが駄目焼きそばが駄目サザエの壺焼きも駄目。それなら自分でバーベキューでも、と用意するにしても、イカもアワビもホタテも豚肉も駄目。すみっこでほそぼそ、キャベツとモヤシを焼いて食べるしかない。牛肉を焼いてくれよお。ロースは脂身があるから駄目なんだよお。ヒレをおくれよぉ。おっと、その市販の焼き肉のタレは使っちゃいけない。どこでどうして作ったかわからない、畜肉エキスとやらが入っているからね。
 ならば花火見物、と意気込んでも、夜店の屋台ではたこ焼きとイカ焼きとお好み焼きと焼きそばとスルメとノシイカが駄目。ワタアメでも食べるよりしょうがない。

 なんだか生きている値打ちがないような気になってきた。
 とはいってもどこにでも抜け道はあるもので、中国に住むユダヤ教徒は豚肉を食べているそうだ。レッテルを「羊肉」として自分をごまかしているらしい。日本の坊さんが「ウサギは鳥だから食べてもいいのだ」と屁理屈をこねて「一羽、二羽」と数えるようになったのと同じことか。
 ということでひょっとしたら日本にいるユダヤ人は、トンカツを「ビフカツ」と呼んでいるかもしれない。ユダヤ人留学生はハンバーガーを「コッペパン」と呼んで食べているかもしれない。茨城在住のユダヤ人はあんこう鍋を「鯨鍋」と称して賞味しているかもしれない。

 そう、なぜか鯨は食べてもいいのだ。クジラは水中に住むうろこのない生物なのだから駄目なはずだが、どういうわけかいいのだ。グリンピースがなんと言おうと、食べていいのだ。その理由はよくわからないが、いろいろと調べてみたところ、
「あいつ、ヨナを食ったから、しかえしに食べていい」
 ということらしい。なかなかさばけた神様だ。

*追記。間違えていました。中国で豚肉を「羊肉」と称して食っているのはイスラム教徒だそうです。ユダヤ教徒は中国で豚のうまさを知ってしまってからユダヤの教えをすべて捨ててしまい、漢民族と同化してしまったそうです。ううむ、教えに背いて豚肉を食べながらコーランを唱えるイスラム教徒と、豚肉に感激してユダヤの教えを捨て漢民族の中に溶けてしまったユダヤ教徒、どっちが敬虔だったのでしょう。


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