横浜ベイスターズに就いて

 横浜ベイスターズには平静な気持ちではいられない。1998年に優勝して以来のチーム軌跡が、わが阪神が1985年に優勝してからの軌跡とぴたり重なっているからだ。

 1998年の横浜は前年二位だったものの、優勝候補にあげる解説者は皆無だった。優勝候補は連覇を狙うヤクルト、投手陣が整備された中日、そして何より大量の補強(多くは間違った補強だったのだが)をなした巨人だった。横浜はリリーフエースの佐々木、強力打線は評価されたが、先発投手陣の弱体から、打ち合いになる前に粉砕されるものと思われていた。阪神もそうだった。お互い、ノーマークからの優勝だった。
 横浜の優勝を支えたもののひとつは、権藤監督の継投策だった。先発投手が五回まで持てば、あとを島田、五十嵐、阿波野がつなぎ、八、九回をリリーフエース佐々木が締める。これは五回まで先発、六回を福間、それ以降を山本和と中西のダブルストッパーで締めた阪神継投策と同じ思想だ。とにかく五回まで三点以内に抑えれば、あとは何とかなる。その確信が投手を勇気づけた。ゲイル、池田、野村、中田、仲田。はっきり言ってへっぽこな先発投手の球に力がこもった。
 もうひとつはむろん、強力打線。三十本塁打を誇る一番、真弓が出塁すると、二番の小兵弘田がすかさず送る。ここで登場するのはバースだ。外角球を軽く当ててレフト前にタイムリーか、内角球を振り抜いて目の覚めるようなライトスタンドへのツーランか。仮にバースを歩かせても次は掛布だ。岡田も狙っている。出した走者のひとりひとりが大きな傷口をひらく。さらに勝負強い佐野、もしくは長崎。相手投手ははっと気付く暇もなく、満身創痍になってマウンドで大往生。
 横浜打線も強力だった。石井、波留の俊足一、二番コンビは足が速いだけでなく三割の巧打を誇るので扱いにくい。彼らを出してしまうと首位打者鈴木、勝負強いローズ、駒田の餌食になる。下位打線の進藤、佐伯、谷繁まで打ちまくるので始末におえない。この点では、七番以下の平田、木戸、投手がお休み処だった阪神より優れている。

 優勝の翌年は三位。それはリリーフエース山本和のリタイアから始まった。前年終盤のアキレス腱断裂。中継ぎの福間も酷使のためか調子が出ない。その分、中西に負担がかかる。先発はせめて七回まで持たせたい。ゲイル、中田は自信を失った。獲得した山内新一も調子が出ない。五回まで先発投手、6回を福間、あと山本和と中西という必勝の継投パターンが崩れ去った。このあたり、リリーフエース佐々木がリタイア、中継ぎの五十嵐が倒れた横浜に似ている。
 わが阪神の誇る新ダイナマイト打線は、事実上崩壊した。掛布は小さな身体で本塁打を狙って大振りするため腰を痛め、深酒の不摂生も祟って選手生命を縮めた。自棄になった掛布が飲酒運転で捕まったのは翌年のことだったか。岡田も85年が最高の輝きで、これ以上輝くことはなかった。オカマと同衾するスキャンダルが伝えられたのはこの頃だったか。弘田や長崎は既に峠を過ぎていた。ただひとり、バースだけが強く、頼もしく、美しかった。このあたり、今年の横浜打線に酷似している。駒田は老化し、鈴木もチャンスでの快打が減った。波留も粗さが目立った。進藤はチームを去ることを選んだ。そんな中でただひとりローズが奮闘した。

 新ダイナマイト打線を再強化するために吉田監督が選んだ道は、新しい血の導入だった。田尾である。中日ドラゴンズで長年中心選手として活躍し、首位打者までもう一歩と迫ったこともある。その時の首位打者が同僚の長崎だったことは因縁か。西武ライオンズでは期待はずれだったが、長年慣れたセリーグではやってくれるはずだ。三割は堅い。何かをやってくれるはずだ。真弓一番、田尾二番、バース三番の破壊力は85年以上と予想された。しかしそうならなかった。個々の力はありながら、打線に繋がりがなかった。無駄な安打が多すぎた。崩壊する投手陣を打線は止められず、この年最下位に落ちた。
 それから阪神は、崩壊していった。あれほどの打線から掛布が引退し、バースは解雇され、真弓は腰を痛めた。和田や八木、中野ではチームを支えきれなかった。気がついたら十二球団最弱と揶揄されるほどになってしまった。投手陣はもともと弱かった。あれから十二年、干支はひとまわりしたが阪神はまだ立ち直れないでいる。
 横浜は今年、チーム打率二割九分四厘という偉業をうち立てた。阪神でこれ以上の打率を残しているのは、坪井、矢野と和田のたった三人(和田は規定打席不足だが)だけである。しかし無駄打ちが多く、13安打で1点などといった試合が多かった。今年、打線の再強化のため、横浜は江藤の加入を狙っている。さてどうなるか。私は見守っているところである。広瀬のような目をして。


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