妖異赤子譚

 赤子は怖い。これは「あかご」と読んでいただきたい。「せきし」も別の意味で怖いが、その怖さについてあまり詳しく述べると右翼テロの凶弾に襲われたりするのでご遠慮したい。

 何が怖いといってその生態だ。赤子には人間社会の論理も倫理も通じない。夜中に突然目を覚まして泣き出したりする。隣の家にも迷惑だしこちらも翌朝起きなければならない身だ、どうだろう、その用件は翌朝まで持ち越しにしては頂けないだろうか、いや決して忘れたりはしない、誓って翌朝あなたの相手をしてあげるから今のところはなんとかご容赦願いたい、と情理を尽くして説得しても聞きはしない。ますますけたたましく泣きわめくだけだ。ところが、やかましいわい、といって撲殺したりすると今度は殺人罪で検挙されたりする。赤子は人間社会のルールを守らないくせに人間社会のルールに守られているのだ。理不尽だ。狡い。卑怯だ。

 まともに言葉を喋らないのも怖い。まともに言葉を喋らないのはホーキング博士もそうだが、あちらは人工音声やマジックハンドなどの助けで話しもすれば文字も書く。意志疎通は充分できるのだ。ところが赤子の場合、人工声帯からテレパシーまであらゆる手段を尽くしてもその意志をこちらに伝えることはない。辛うじてできることは泣くだけだ。腹が減れば泣く。ウンコをしたら泣く。退屈したら泣く。痛ければ泣く。痒くても泣く。擽ったくても泣く。たしかに声帯が未熟なことはわかるが、もう少し意志疎通の手段を考えたらどうだ。話せなくても、例えば手話という手もある。四肢が麻痺していても、呼吸でモールス信号を送った人もいるのだ。泣けばすむと思うようでは、その根性、松田聖子にも劣ると言わねばならぬ。

 赤子という字面も怖い。あかご。まるっきり妖怪である。内田百間(月)は怪奇小説で「赤さん」という呼び方を使っていた。これもなかなか怖い。しかし、赤子にはかなうまい。なにしろ赤子は野にも山にもいる。
 山にいて笹の茂みの陰で泣いているのは山赤子だ。捨てられて泣いているように見えるが、その泣き声で猟師や木こりを呼び寄せ、崖下に転落させる邪悪な妖怪だ。山赤人は似ているが山部赤人の省略形だ。1字しか省略していないが。田子の浦に棲息する。
 川にいて葦の茂みの中で泣いているのは川赤子。泣き声で漁師や船頭をおびき寄せ、川に落として溺れさせる邪悪な妖怪だ。こいつは成長するとモーゼになる。妖力が上がって海の水すら自在に使える妖怪になるぞ。
 濡れ赤子は産まれた直後、濡れ半紙を顔にかぶせられて間引かれた赤子だ。昔は農村でよく見かけたが、最近は見られなくなった。代わりに増えたのが箱赤子。駅のコインロッカーの中で泣いている。泣き声で駅員を呼び寄せ、ダイヤを狂わせる邪悪な妖怪だ。
 母親に抱かれて泣いているのは抱かれ赤子。乳を吸っているのは乳吸い赤子。普通の赤子と思って安心してはいけない。油断すると乳頭を舌で転がす前戯赤子になったりする。乳頭を鋭い歯で噛み切る噛み切り赤子や、そこから流れる血をすする血吸い赤子になったりもする。

 すやすや眠っているからといって安心してはならない。寝顔を見てみろ。ちょっと顔が変わっていないか。変わっていたらそれは取り替え赤子だ。悪い妖怪があなたの赤ちゃんに化けているのだ。赤ちゃんはすぐ顔立ちが変わるなどというのは、あれは悪い妖怪が流したデマだ。あなたの本当の赤ちゃんは妖怪にさらわれてしまった。
 取り替え赤子を見分ける方法はひとつしかない。赤子の目の前で、卵の殻だけを熱湯でぐらぐら茹でるのだ。これを見て笑い出し、「ワシは何百年も生きているが、こんな馬鹿なことをする奴は見たことがない」としわがれ声で喋ったなら、それは間違いなく取り替え赤子だ。でなければ野村監督が憑依したのだ。
 そんなことを喋らず、ただ泣いているのも大抵は取り替え赤子だ。ただにこにこ笑っているのも、十中八九は取り替え赤子だ。
 躊躇せずにその熱湯を赤子にぶっかけるのだ。運が良ければその瞬間に取り替え赤子は消え、代わりに本当の赤ちゃんがにこにこ笑っているだろう。
 運が悪くても取り替え赤子は死ぬ。でないと悪い妖怪は貴方たち大人にも魔の手を伸ばし、そのうち取り替え親爺や取り替え奥様にされてしまう。最悪の事態は防いだのだ。やむを得ない。赤ちゃんはあきらめなさい。

 みなさまもくれぐれも赤子にはご注意を。


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