Evangelion Genesis y:x 更新日誌(2000 年 7 月)

[過去の日誌目次へ] [前へ] [次へ]

7 月 31 日。
丸川トモヒロ 『成恵の世界』角川書店
ようやく入手。ちなみに 6 軒目。 2 話ほどしか覚えてない(印象に残ってない)が、 実際には 2/3 位は連載で読んでいた ── って、初出の号数(7 冊) と話数(9話) があってないんですけど。いつのやつを見落としたんだろ。
タイトルはもちろん A. E. Van. Vogt 『非(ナル) A の世界』からだし、 サブタイトルも『闇の左手』や『赤ちゃんが来た』があるトコからして 残りもどーやらネタがあるようだが、 「成恵の正体」、「成恵絶体絶命」の二つがまったく分からん。
「香奈花が知ってる人はもういない、一緒の時間を生きてる人は誰もいないの!」
「そんなことないよ、私達がいるよ」
「優しいフリしないで!! どうせ離れてっちゃうクセに!!」
SF 的シチュエーション、ではあるかもしれないが、 そーゆーのが主題になっているわけではない。 SF 的には .... などということをチラとでも思うとネタを潰しかねないが、 そーゆー読み方はしなくてすむようには出来ている。 とはいえ、生粋の宇宙人たる父親のほうが 地球でしか生活したことがないと思われるハーフの娘よりも 遥かに地球人的(日本人的)思考を持っているってのはどーしてだ? とか、いろいろ言いたくなることもないこともない。

今日(7/31) の朝日の夕刊のトリケラトプスとかなんとかいう書評欄に 高屋奈月『フルーツバスケット』が出ていた。 これよか(白泉社モノなら)『君の瞳は三日月』や『かたつむり前線』 のほうが素直でいいなぁとか、こういう話を書くのに リアリティのない設定に行かざるをえないって少女マンガって袋小路なんかなあ、 というあたりの見解は理解できるし納得もする。似たようなことは思ったからな。

ま、それはともかく、これを褒めてる評者んとこの文章に、 「.... と普通の 3 倍ものエッセンスを詰め込んで、 電車ん中で軽く読みとばす人にはナンだが花ゆめ読者には必須の ...」 とかなんとかいう箇所があった。 なんも気にせず読みとばしたトコだが、 読みとばしたという事実そのこと自体に「ううむ、いかんな」と思った次第。 つまり、『フルーツバスケット』の密度の高さは高さとして、 それを「花ゆめ読者が当然としている」というところを自明のように読み流した点が色々と。


7 月 30 日。
いろいろネタはあれど、これを上回るネタなしってことで、 今日の午後 6 時 40 分すぎのこと。
「あ .... さ、『さくら (CC さくら)』録ってない〜〜〜っ!!」
ビデオの電源が入りっぱなしになっていた(タイマ録画が効かない)。 『さくら大戦』でも見ようかと思ってスイッチいれたとこで めんどくさくなってそのままほったらかしにしてあった。
『CC さくら』の見逃しは初。1 期後半から始まっていた保存録画パーフェクトも途切れた。 ええと、「さくらのひつじ注意報?!」ですか、 ..... web 上で粗筋を読む ... これなら、まあ、いいか ...? (いやよくない)

この一件のため、est の面倒見を一時中止(やる気がなくなったともいう)。 est は立ち上がるには立ち上がるが remote からは使えない状態でほったらかしになっている。
ところでその est だけど、K6-2-500 (定格 2.1V 〜 2.3V) を発熱を抑えるため 250MHz で駆動し、電圧をどこまで下げられるかみたところ 1.3V で動いた。 1.3V 未満は設定がなくてテストできなかっただけで、 もっと下げても動くかもしれない ... ええいシリコンのバンドギャップ 2 つ分(トランジスタ 1 こ分) ちょうどの電位差でなんで CPU が動くんだ?
それはともかくとして、 クロック 1/2 の電圧 2/3 ってとこで 1/2 x (2/3)^2 として発熱は元々の 1/5 になった ... とゆーのは過大評価だが、 真面目に計算するのはめんどくさい。実際には 30% ダウン位かな? 手で触っていられる程度には落ちた。


7 月 27 日。
ほぼ2 ヵ月ぶりに psyhe (Psion5) 復活。 なんつーか、限りなく不便でした ...
しかして何時の間にか arm 用コンパイラがおかしくなっていることが発覚。 make しなおしたカーネルがブートしない。昔のソースでも同じだったのでソースが悪い訳ではなく、 昔のカーネルバイナリはブートするので(カーネルとは別に用意されている) ブートローダがおかしいわけでもない。 カードを初期化しても症状が同じだったのでカードが悪いわけでもないと。
コンパイラの入れ換えって、とってもめんどくさいんですけどぉ、 とゆーとこでバックアップを探ったら コンパイラもあった(偉いぞ > 昔の私)。 これはきっと正しいに違いない、そうであってくれ ...

さて、次は est も直さんといかんのか ── やはし、もすこし安定性を重視して設計しなおそう。 順繰りにどれかが不調になってるんでは面倒みきれん。


7 月 26 日。
Linux カーネルの 2.2.14 → 2.2.16 移行で、 SCSI CDROM で audio を鳴らしている時に音量調節が出来なくなっていた。 カーネルソースを追ったところ、 SCSI の ioctl まわりがまるで別物のごとく書き換えられている。
「をいをい、そりゃあバグの一つや二つ出るだろうよ ...」
ともかく volume 調整など細々としたことを担当していた sr_audio_ioctl() の中身があらかた空になっているので 委託先を探してみれば、mmc_ioctl() のようだ。 こいつがまた sr_audio_ioctl 時代とは発想からして質の違うコードになっていて、 いやまあ、どちらかというとベタベタな sr_audio_ioctl から真正直な mmc_ioctl という感じで良くなってんだけど、 でもきっとこいつがどこかでバグってるに違いない。

というわけで 2.2.14 から sr_audio_ioctl() の一部をパクって戻したら volume も効くようになった、 よしよし ── つうか、なんで 2.4 も登場間際になった今ごろ 2.2.x (安定版カーネル) をこんなに大きく変える ...?
こりゃあ 2.2.16 の寿命も長いことないかな。

ちなみに mmc_ioctl の中をちゃんと追うには SCSI-2 の仕様書がないと辛く、 手もとにあるとはいっても どっかその辺の山ん中 (そーゆーのは「ある」とは言わないかもしれない ...)。


7 月 25 日。
安息日である。 昨夜は 1 週間ぶりくらいに夜寝たし、 今日は腹一杯ゴバン食べた。

ちゃんと書くと、 眠った時刻が「夜」の範疇だったことはあったけど、 そーゆー意味でなく、「夜になったから寝る」という論理で寝たのが久しぶり。 また、日周リズムもへったくれもなくなってくると 食べる回数が増えるぶん意識的に食べる量を減らすので、 ここしばらく腹八分目という状況はなくなっていた。

こういう食わなくてもいい(食えなくなる)状況に合わせて覚悟(?) することを 「身を潔斎する(清める)」と言うことにしている。
健康管理法が断食修行みたいなもんになるのと、 瀧に打たれて精神集中するに近い activity に上げるという観点からである ...。


7 月 23 日。
『キノの旅』ふたたび。
すいません、ごめんなさい、もうしません、 わたしがわるかったです、あやまります、まいりました ...

ネタを割ることになるから詳細は書かないけど、 一言に書いたやつ、もう一度読み直したら 感想がおもいっきり滑べってるじゃん。 他にも仕掛けがないか確認しちまったが、他の仕掛けについては問題なさげ、 「レールの上の三人の男」についてはオチが無いように見えるけど、無いんでいいんだよねぇ ── と書き掛けて、この話でも自分の理解がコケてたことを発見。 こいつも二人目に出会ったとこでオチが見える ... などというタルい話ではなかった。 いきなり一人目で気付かなければいけなかったとは ... これってキノも一人目では気付いてないよね? キノが問題の所在に気付いたのは二人目だと思う。

このぶんだと他のやつの解釈理解もアヤしい。 『迷宮物語』(眉村卓) のつもりで鑑賞してたのではマズいと。 推理小説なみの気構えが要るって、どっかに書いておいてくれ ...
ああいう表紙とシュールな扉絵でそーゆー心構えが出来るもんではない。


7 月 22 日。
日誌の全てのパラグラフ(<P>) に <a name="日付_連番"> タグを付けるテスト。 素直に web 日記システム入れろよという話もないではないが、 HTML タグの透過性とポータビリティに不安があって どれにしたらいいかよくわからんかった。

ちなみに、 この場合の HTML タグの透過性とはコメント <!-- 〜 --> の中に 任意の HTML タグが書けてしかもコメントの外側の世界と整合する、 つまりコメントを外した時に中から現われた <A> タグによってリンクが崩れないことであり、 ポータビリティとゆーのは、 その日記システムを通さずに手で直書きしたものが容易に整合すること、 つまり日記システムが吐く HTML ソースが (namazu や robot からの機械可読性が良いだけでなく) 人間にとって読みやすく書きやすいものであり、 ついでに逆向きの変換がおおむね可能であることである。
とのへんが「ポータビリティ」の話かというと、 計算機が無いトコにも portable (持ち運び可能) という位の意味。

で、タグ付けるフィルタ書いたんだけど フィルタを一度通ったトコにもう一度フィルタをかけてもタグが変化しない (という性質のことをなんて言ったっけ ... )ように書いたつもりだったが 見事にコケた。重複したタグを手で 5 個ばかし取り除くはめになった。


7 月 21 日。
Psion5 の EPOC 向け日本語メーラである JM5 のソースの 7 割ほどが パックスシステムズの J MAIL に盗用された(のではないか) ── という事件が起きている。 web (蜘蛛の巣)だけあって驚異的にリンクがあっちこっちに飛んで見辛いが、 盗用の調査のための 解析ページも公開されている。
また、 今回の盗用という問題の位置付けと見解に関しては 近藤さんのページ が分かりやすい。

EPOC 方面に JM5 というモノがあることは知っていたが、 ソースが公開されているとは知らなかったし、もちろん使ったこともない。 ついでに OPL が逆コンパイル(OPL 方面では逆トランスレートと言うらしい)できるのは いかにもありそうなことだとは思ってたけどみたこともやったこともなく、 これから先 JM5 と付き合うこともありそうにない。

が、まあいいか、ってとこでPSION 階層 に抗議バナーを張っておいた。
しかしね ... この抗議バナーの張り方についても、ごちゃごちゃしててよくわからん。 もすこし JM5 側の体勢もちゃんと整備しておいて欲しい。

忘れたころにやってくる、アニメ散見。

『CC さくら』
もはや何故これが首位なのかそろそろ不思議になってくるが、 対抗馬が『さくら大戦』しかない現状では安泰が続きそう。
ケロベロスが大きくなれるようになって、 応分の責任を負わなければならなくなった状況下では さくらが動けない。相手がクロウカードであればこそ、箱庭的としてさくらに何やらせても 問題はなかったけれど、何が何故起きるのかその機序が分からない現状では ケロベロスの立場としてさくらに自由に行動させるわけにはいかない。 この縛りがかなり鬱陶しい。
要するにさくらカード篇は保護者がついているゲームであり、 クロウカード篇よかさくらの position が悪くなっている。 さくらの笑みの格が落しめられている訳だ。

『さくら大戦』
可もなし不可もなし ... 程度のこれが 2 位にいるってこたー、 WOWOW とか BS 行かないとまともなんがないってことか?

『コナン』
しばらく見るとこなし。もちろん期待も失望もない。
ところでコミックのほうの 27 巻〜 28 巻と跨いだ、猟師に狙われてんじゃないかと 灰原と光彦が逃げ回る話だけど、さすがに原作者は灰原の使い方を心得てるんだよなぁ。
灰原は犯人を当てる必要はない、 本人の見聞きした範囲内で正しく論理的に慎重に行動していればいい ── というやつ。 これがゲーム(三人の名探偵って、いつから灰原がそんなに真面目になった ...?) や映画になると何故か変な扱いになるのが不思議。

『メダロット魂』
脱落決定。うう、『メダロット』は あんなに面白かったのに、なんでここまで下らなくできるの ...?


7 月 20 日。
時雨沢恵一 『キノの旅 ─ the Beautiful World ─』 電撃文庫
キノは 4 つの国と 2 つの地域を訪れる。 もちろん当地の住人にとっては合理的で妥当か、あるいは合理的で妥当だった世界だ。 キノはそれぞれ 3 日間だけ滞在して、その国を出る ──

短編集 ... というよりは散文詩に近く、 おおむね期待したとおりに良かったけれど、 幾許かの欲求不満が残った。 他の小説を読んでても感じることのあるクラスの欲求不満の一種で、 今のところ何故おきるのか、どういう時におきるのか 等が良く分かっていないため、説明は不可能である ...

自分の領分を侵されないかぎりにおいてキノは何か働きかけることはなく、 コメントすることもない。キノの判断の妥当性というか、行動に歪みがないあたりは 受け入れやすそうな人物なんだが、 自分自身を(物理的にも精神的にも)確実に安全圏に置けるという自信が せっかくの話の深みを削いでいる。 これだけダークでシュールなとこばっか見ておいて、 恐怖とか嫌悪を完璧に跳ね返してるんだもん(これだけ強固なのは出自的にもとても謎だ)。 主人公のフリして水先案内人だから、しょうがない意味はあるんだけれど。

計 6 話とプロローグ、エピローグ。 どれか一つを選べといわれて選びとるようなもんではなく、全体で一つの物語。 あと一息という感もあるが十分に面白かった。 ただ、その「あと一息」の部分が鍛えてどーにかなるようなものではないと思うだけに 次回をどういう風に期待していいかがよくわからない ...。

この話、この一言。

「平和には、犠牲が必要なのです。 そしてそれは、絶対に自分の子供であってはならないのです」
よい言葉だと思う。 そして、この台詞に対して抵抗するのもそれほど難しいものとは思わない。 キノが「ボクにはわかりません」と逃げるのも理解できなくはなく、 作者が抵抗を放棄したセンスも納得できないわけではない。 それでもやっぱり、たかがこの程度の言葉を言われっぱなしにしておくのは こちらの鼎の軽重が問われているような気がするのである。
7 月 19 日。
est を(おそらく)熱暴走でふっとばした。 被害総額は Win コア含めておよそ 300MB ( C:全部 ).
かくあるを予想して計算結果そのものは随時 atropos に samba 経由で送り付けていたのでデータ的な被害はほとんどなく、 アプリも多くは (半ば read only 化された) D: に突っ込んであるので 再インストールに大きな問題はないはず(と思う)。

ま、CPU 稼働率 100% が 10 時間ほど続いては Rain の効果なんかない。 ファンレスの、たいして大きくもないヒートシンク(50mm x 80mm x 20mm) を CPU と CDROM との間のあるかなしかのすきま(23mm) につっこんだ状態で、 しかも電源ファンの風量おとして K6-2/500 ( コア 2.0V の 450MHz 駆動と 余裕もたせたとはいえ) 動かしてよくも 10 時間も連続で動いたもんだ、と感心する。 overclocking なんてしてないけどなまじの overclocker よりよっぽど条件悪そうだ。 ヒートシンクで焙られ続けている CDROM ドライブのほうはまだ普通に動いてるが、 こちらもいつ灼けるやら。

ふっとびかたが分かったので、熱対策としては CPU を mP6 に戻すか、 あるいは K6-2 をコア 1.9V の 250MHz 駆動で動かすことになると思う。 温度計も買ってきたので、何度くらいでふっとぶか、次回が楽しみである(?)。

est は使ってる時間とメンテしてる時間とでは下手すると後者のほうが長い。 ふっとばしても困らないような使い方しかしてないから 安定性にぜんぜん神経回ってないってのが大きいけど、なんとなく本末転倒かな〜


7 月 16 日。
今夜は月食である。
皆既中も雲が出てたけど、うざったけど、とりあえず見られた。よしよし。

日食と違い、月食の場合はあんまり周囲の状況が普段と変わらないので、 地上の俗世(?) と天上のショウの組合せが少しシュールである ── 日食の場合、 近くに誰かしら上を見上げてる奴がいるので 天の力が地上に影響を及ぼしている姿が目に止まるが、月食の場合は たいがい地上は上を無視してるから。

今回のように、皆既が比較的早い時刻だと特にその傾向がある .... が、 特別長い皆既ということがニュースで言われていた結果、 隣の家でも月食を眺めてたりして、日食ほどではないにせよ そこそこ地上への影響はあったようである。

atropos のカーネルを 2.2.16 に移行。 しばらく IrDA コードを追うつもりなので、 IrDA コードが全面的に書き直されている 2.2.15 以降にしておく必要があった。
2.2.16 の移行テストは先週くらいからちょろっとやったけど、何故か TV を映そうとすると kernel (の bttv ドライバ) が null pointer error 起こして下さった。 一度エラー起こすとドライバが死んだままになり、 リセットしないとテストできなくなる(死んでるのは bttv ドライバだけなので、 システム的な不安はないけど ...)ので、テストループが長く、 チェックがめんどかったので断念していた ... ら、昨日あたりから 現行の 2.2.14 でも同じ症状が出たのでやむなく真面目にチェックした(今日中に 解決しとかんと『CC さくら』が見られん)ところ、 ドライバでなくアプリの xawtv 側の問題と判明。

「てーことはつまり、アプリから適当に叩くとドライバを panic させられるってことかい」
カーネル 2.2.xx になってまだその手の手抜き (API の引数チェックの省略)があるんか。
(その昔、linux kernel が 1.0.x を名乗っていたころ、 システムコールの引数チェックがけっこう手抜きで、 引数チェックの厳しかった *BSD よりそのぶんだけ速度的におトクだった ... という話がある。 知らない奴に linux の速度的優位性を説明するのにたまに使われていたそーな)。

ちなみにその問題とやら、設定ファイルの ~/.xawtv にゴミが混じってたってだけ ... xawtv の version up ん時に make install が要らんことをしたらしい。


7 月 15 日。
昨日は『成恵の世界』を買いに行ったハズだが、 『スパイラル』の衝撃で忘れてたらしい。 で、今日また本屋に行ったら手に取ったのは『名探偵に薔薇を』(よくまだあったな ...) だったりして、やっぱり衝撃は大きかったらしー。
ちなみに『成恵の世界』は無かった。うぐぅ ...

城平京 『名探偵に薔薇を』 創元推理文庫
なんつーか、最初の 30 ページくらいで一旦飽きました。 耐えて 100 ページくらい読むとだいたい造りと言わんとするとこがみえて あとは一気呵成。やや凝りすぎかもしんないけど、 前評判の悪さのわりには面白かったぞ。

わりと良かったな〜と思うとことして、 犯人さんがそこそこ頭の回る臨機応変な動きをしてるので状況が止まってないことだな。 『スパイラル』でも共通することなので、そーゆー話が本業なんだろう。 そのかわり、トリックはわりと静的で、 犯人さんは時系列的にいろいろ何かをこなす必要はなく、 状況作っての一発芸な形をもってくる。 第二部は状況がシンプルだったのでオチは読みやすかった。 なにぶん謎解きよりは探偵さんの問題のほうに集中すべき話なので オチが読みやすくてもべつにかまわんし。

「夕奈さえ許してくれれば、
私は真実を求めることが罪かも知れないと考えずにすんだろう」
「真実を求めることが罪ではない」と運命で決まってる訳じゃない。 「一生にわたって苦しむことのないよう、罪を償わせるのが一番だ」と瀬川自身が 語るように、「真実を求める」ことには数量化できる意義と価値がある。

逆にいえば、「真実を求めない」ことがその価値以上ならば、 この論理のもとでは「真実を求めることが罪になる」可能性がある。
それが現実のものとなったから瀬川は苦悩するハメになったのであり、 「真実を求める」ことの立脚点を瀬川は反省しなければならない。 そこから逃げ続けるかぎり一生にわたって苦しむことになるだろう。 と同時に、一生にわたって苦しむことを可とするならば (本人がそーしてるのに他人がそーしていけない訳はない)、 犯人の告発に時限を切る必要はなかった。 この話での瀬川みゆきの最大の失策はそこにある。


7 月 14 日。
雑誌からネタもってくるのはネタばれ防止のこともあって いちおー禁じ手ということにしてあるが、 読んだ衝撃が大きく、1 時間くらい他の何読んでもつまらなく感じたので書く (もちろん大半はコメントアウトしたのでソースでどーぞ)。

水野英多/城平京 『スパイラル』 in 「ガンガン」 8 月号.

どんな思想にもぜったいに動かせない、妥協できない聖域はある。 たとえば「ザンヤルマ」の万里絵の発想のように 自分の命の保全は全てに優先するといったことだ。 それはある種の限界や制約になるけれど、 そういう「限界があること」を認めさえしていれば、 どんな思想信条を奉じていても安全だ(その場で解けるかどうかはともかく、 どんな問題も取り扱う方法がある)、と思っていた。 それが自身の思想信条への信頼感とゆーものである。
不完全性定理の絡みでこれを崩す方法があるけど、 それは論理とゆーものを扱うことによる制限であって、 思想信条とゆーものの問題点じゃないからどーでもよろしい。

今回の歩の行動や判断にとりたててマズいところはないと思う。 自分でも同じ行動をするだろうし、振り返って反省すべきところもない。 ゲームとしても相手側が特に反則技を使った感はない。 それでいてなお確実に叩き潰されたんだから ...

今話についていえば、ゲームを受け入れたこと自体がミスだった。 詰めろに入ってたんだから五分五分のゲームを受け入れる必要はなかった。
しかしそれは本質じゃないだろう。 そーゆー論理でいいなら、相手側有利の段階でこのゲームを提案されていたら 受け入れざるをえなかったんだし、そしたら同じ結論になったんだから。
ほんの僅かでも不利になっちゃオシマイだってか ...?


7 月 13 日。
gnugo とその X 用 client の cgoban をインストール、 何年ぶりかに gnugo の相手をした。

いやあ、ずいぶん強くなったねぇ。 コンピューターに四子置かせて百目半の逆コミでだいたい互角、 ざっと 10 級くらいか。 以前やった時は五子置いたくらいではコンピューター側は全滅してたからなあ。

定石をほとんど知らないのは単にデータベースの問題だからどーでもいいとして、 大きな欠陥は石の生死をまるで分かってないことだろう。 死んでる石から平気でヨセるし、自分から自爆することもある。 四子置かせると序盤が終る時点では盤面互角に少し届かないから 序盤だけなら 7 〜 8 級位あるんだけども。

市販のソフトは初段には届いたのかな?


7 月 12 日。
例によって書いたのは 13 日だったりもする。 しかも日が経って書くのが面倒くなったという話もあり ... が、まあいいか。
小笠原祐子氏(社会学助教授)の投稿で、『交通死』のレポートを学生に課したところ、 おおむね(小笠原氏の予想に反して)加害者に同情的なレポートが少なからずあったこと、 それはおそらく「人それぞれ」といった個人主義の中途半端な浸透が原因だろうか ── という話。

第一に。どんなに冷静に客観性を追求して書かれていようと、 司法が加害者に手厚い理由については被害者側から推測した文章しかないんだから、 「もしかしたら納得できる理由があるかもしれない(ないかもしれない)」 というバイアスがかかるのは精神的に健全な証拠なんではなかろうか。 もちろん二木氏のケースのように被害者が徹底抗戦するケースは 加害者側も(妥協するつもりがないなら)努力しなければならないのは当然のことで、 加害者に同情する必要は全くない。

第二に。先月のザンヤルマの剣の感想んとこで、異なる意見が対立する状況こそが望ましい、 と書いた。止揚できるならそれにこしたことはないけれど、 たいがい意志決定問題ってな未来のことが問われてるので正しい答なるものはなく、 どーせどの意見にも一理くらいはあることになっているから、 あとは価値観と説得力の問題になる。
対立する状況では(理解できる他の意見をも吸収するなりなんなりしたあとで) 十分に自分の意見に自信を持った奴の意見が通るのであり、 その結果についてはそいつが責任を負えばいい。 「人それぞれだし全体の意見については平均とればいい」というのは プロセスが中立的すぎて責任とるやつがいなくなるが、 それってつまり 自分の意見を押し通した結果に責任とれないような連中しかその場に居ない訳で、 もはやどんな方法で意見を集約してみても大した結果はでてこんと思う。 自分の意見こそが正しい、と思ってるような奴が 他人と意見を摺り合わせるときに単純平均させるはずはない。

『ファイナルの密使』にて遼と万里絵が対立した時に、 市をまるごと道連れにするのを覚悟した遼の意見を通せば、 得られるであろう結果(壊滅した市)は遼が責任をもたねばならないし、 鷺澤啓那を撃ち殺して市を救うなら、 終ったあとで啓那を殺した責任を万里絵は取らねばならない。 自分の意見を押し通した結果についての責任がとれるかぎりにおいて、 あとは声が大きいほう(十分に自信があるほう)が勝つにすぎない。 ... 『ファイナルの密使』では、 論理的なものとして主張した(相手の主張に説得されうる)万里絵と、 論理もへったくれもない(妥協の余地のない)遼の対立になったんで 遼が勝ったのは万里絵が遼の主張に耳を傾けてしまったからだ ── (しつこいよーだが)万里絵から見て本当に妥協の余地がないと思うなら、 妨害した遼ごと殺してしまうという解があったんだから。

話を論壇に戻して、 小笠原氏は

「しょせんいろいろな考え方があるからと、 初めから議論を高める努力を放棄してはいないか。
個人主義志向を無批判に是とする教育は、そろそろ見直すべきときに来ている」
と結論づけた。 んだけども、 単純平均とる人ばっかのところに利己主義者 A が混じってたとすると 間断となく A が主張することによって、
(時刻 t での全体の意見 + A の意見) / 2 = 時刻 t+1 での全体の意見
となるから次第に A の意見に染まってくる訳で ... 第二次世界大戦直前に チェンバレンがヒトラーに妥協しまくっていった結果、 足して二で割るどころかヒトラーの主張ほとんどそのまま丸のみしたことになったように。

単純平均をとる社会は見た目は確かに無知無策無能なんだけど、 一応ちゃんと声の大きいほう(努力したほう)がのさばるようにできている。 慣性はすさまじく大きいので動かすほうも大変そうだけど ...

「初めから議論を高める努力を放棄」することは本人の損失に繋がるんだから、 つまるところ「異なる立場の人々に心を重ねる努力」することは義務でなくていい。 異なる立場の人々に心を重ねた人が得をするようにできていれば十分だし、 実際そういう風になっている。 つーとこで、システム自身はモンク言われる筋合いはないと思う。


7 月 11 日。
あんまり見過ごす気にならない話が新聞に載ってたので その件については明日書くとして、今日はその準備として。
二木雄策 『交通死 ─ 命はあがなえるか ─』 岩波新書 (赤518).
四捨五入すると、被害者は死んでしまうので裁判は加害者有利になりやすい、 そのうえ被害者の家族は裁判に関わることすらできない、これはおかしくないか、 じっさいこのテの裁判はどういう状況にあるんだろう? と調べてみたら惨澹たるありさまだ ── といった話。

娘を自動車にハネられて亡くした父親の書いた本だが (新聞にあったように)そら恐ろしいほど論旨展開は着実で、 仕事の合間にかき集めてきたらしいデータの多さに悲嘆の深さはかろうじて知れるだけだ。 ... が、筆者の経歴(経営学教授)を知れば評価は少し変わり、 自分のもてる力を振るって立ち向かう姿が浮かび上がる。 まだ五分五分にはほど遠いが、司法の原理原則の壁を敵に回して十分に戦になっている。 (これくらいの力を有している場合にかぎられるけれど、筆者の主張とは違い) 被害者と加害者でそこそこ拮抗したな、という風にも思えないことはない。

司法の原理原則の壁だって単に無慈悲なつもりで設定された訳じゃない。 復讐を禁じる法哲学のもとで全ての法を一貫させようと苦悩してきた法律屋さんの知恵の集大成である (たぶん ...)。

筆者の問いかけは掲示された事実とあいまって非常によく納得できるものだけれど、 そこに至る論理構成を直接「被害者(の家族)の感情をもっと考えてほしい」 をもとにして組み立てられると頷けなくなってしまう。 復讐を禁じた時点で被害者の家族の感情を軽視することは決まったようなものだから、 この根幹をどれくらい揺さぶったのかを評価する前には yes とも no とも言えない。 問題が難しすぎて私には何の感想も持てない。 ── もすこし尊敬できるような構成にしてくれ > 法律屋さん、ってことはいえる。 ここまでおおざっぱだとは思ってなかった。でもこれは脇筋。

結論はそのままでいいから、なんとかして復讐という概念を回避した構成ができなかったのか、 と思うのであり、また、そういう構成にしなかった、 すべてを直接扱った構成になってるあたりに筆者の想いがあるんだろうけれど ...
ああ、だから男女差別な逸失利益算出法を突破口にした構成はよく理解できる。 でもこんどは本質外の部分でのコートテクニックにしか見えないってのがなやましい ... (法哲学的な影響の少ない)逸失利益算出法を改正したって問題が解決したことにはならないんだから。

ちなみに新聞ってのは 11 日付の朝日新聞の朝刊の論檀。 論檀んとこは著作権的にいろいろあるらしく朝日の web には載ってなかった。


7 月 9 日。
『CC さくら』さくらカード篇、素朴な疑問。
いまやクロウカードがそのままでは使えないんだから、 毎日一枚でもいいからとにかく少しずつカードをさくらカード化しておくべきなんではなかろーか。 戦いの直前になってカードを on demand で変換していたんでは時間的にも魔力的にも損だと思うぞ。

半日寝込むとなるとなかなか難しいか? でも いきなり寝込むよりは周りの人間もびっくりしないし、本人も予定が立てやすいんではないかな。
とりあえずウインディ、フライ、ジャンプの三枚くらいは変えておかんと。 これらのカードが要るような場面はいちいちカードを変換しているヒマがないだろうから (どっかから落っこちて死んでる)。


7 月 8 日。
昨日の日誌は書いたはいいがメールサーバの調整で気力が尽きたので put もせずに死んでいた。 で、無事復活してるかというとそうでもなく、やっぱり気力 empty 状態である。

空はこんなにも青いのにぃ〜 にぃ〜 にぃ〜

いや、なんとなく。


7 月 7 日。
雨ん中をチャリでコケた ... という話でも書こうかと思っていたが、 もちょい重大な話があったのでそっち。

.... いやあ、eva/novel/index.html のファイルが ss/index.html のものと置き間違っててリンクが辿れない状態になってるなんてぜんぜん気付かなかったぞ。 月頭に両方同時に修正するので確かに間違いやすく、 間違えて put したことは実は 2 度や 3 度ではない(ひらきなおってないで自動化しろよ ... > 私)が、 1 週間もほったらかしというのは 確か初めてのはず。

ついでにメールサーバが依然として安定してないので、 「リンク先がナイぞ」メールも危うく闇に消えるところだった。 ... いや、テスト的に自動運転させたら昨日から今日にかけて 闇に消えた ML なメールが分かってるだけで 28 通ある。使えん ;_;
# 「リンク先がナイぞ」メールありがとうございます。

kensyu (私) あてのメールを 自動スクリプトのオーナーである root (そりゃ確かに root も私だが)が受け取ってしまい、 もちろんこの二つのアカウントで LAN 内の delivery の行方は違うので、 特に複雑なアクションの ML なメールが闇に消えてる。
root から su kensyu -c fetchmail しても fetchmail の受けとり人の名義は root のままらしい(ンなバカな ...)。 popclient ではこれで受けとり人の名義が kensyu に直ってたんだが、 もしかしてこの部分 popclient のセキュリティホールになってたのかしらん?

もちろん kensyu なシェルから手で fetchmail を動かせばちゃんと受け取り人は kensyu になる。 が、それではいつまでたっても自動化できない ...
ふつーに sudo しろよ > 私

昨日、各方面に戦列復帰宣言してきたんだけど、やっぱりもすこし寝てることになりそーである。


7 月 6 日。
『ヒカルの碁』の話。

『ヒカルの碁』の非ヤオイ話というのもないことはなく、 「筒井の碁」『神の悪戯』ってのがある ... 書き掛けで止まってるけど。

碁で「神の手」なるものが成立するかというと、... ありえないんじゃないかなぁ。
コミが 5 目半 〜 6 目半ってことは 一手の価値は 11 〜 12 目ってことで、 これを大きく超えるような手を打たれるようでは碁は終っている。 一手の輝きで勝てるような場面ができるくらいなら そこに至る手順で大負けしてるはず。本末転倒だと思う。

神の手(という考え方)のモデルではないかと思うのが秀策(佐為本人だな ...)の 「耳赤の一手」 (形勢不明の難局のさなか秀策の手をみた井上幻庵の耳がごく僅か赤くなったのを 医者が見咎め、 「動揺した証拠だ、たぶん秀策が勝つでしょう」と予言したという逸話) だけど、これも元はと言えば 井上家の秘策にかかって 序盤のうちに劣勢になったとこからの巻き返しの中で放った手だし。

そーいや、ヒカルは家で棋譜を並べて勉強してることになってるけど、 そのわりに棋戦をまったくしらない。 いったい誰の何の棋譜を並べてんだろう... と周りの連中は 不思議に思ったりしないんだろーか。 やや手が古い感じあるとこからして、 自宅に秀策とか道策あたりの碁譜が山のようにあって、 それを並べてんだろーな、と思われてるとか、 しかも棋譜は途中までしかないのでヨセを勉強する機会がないんだろーな、とか ...

ヒカルが ヨセとか目算が下手なんは 佐為と打ってたんでは途中で潰されるので最後までいかず、 ヨセとか目算する機会がないからなんだろうな。たぶん。佐為の教育に問題アリだと思う。


7 月 5 日。
浅野りん 『PON!とキマイラ』 (3) エニックス
「ガンガン」注目株予備軍の一つ。面白いことは面白い。 人間関係が 適度に個人レベルの敵対関係を主としたものになっていて、 わりと好みな造りである。 ... んだけども、 話の存在感つうか 読後感に「ああ読んで良かったなあ」みたいなもんがなくて弱々しいあたりが 所詮「ガンガン」かもしんない。作者本人の性格的なもんか?
性格破綻者を主人公とみまごう位置に置き、 脇役その一が残り全員より存在感があるという一風変わったフレームワークの中で 決めどころを着実に押えてくるギャグは鮮やかなんだけどねぇ。

で、買って読んでみて思ったんだが ... 服のセンス良いな。 ナナメ読みでは気付かんかった。表情のおさえかたといい、うまい絵を描いてる。


7 月 4 日。
まるまる 1 ヵ月ばかし、日誌を除いて全ての方面から手をひいてたんだけど とりあえず落ち着いたってとこで、 各方面に戦列復帰の予告をして .... まわろうかと思ったけど せっかくだからもうすこしサボってることにした(をいをい)。

「読んde!! ココ」をきっかけにして est の整備をちょろっとしたが、 K6-2 500MHz (を 450MHz 駆動) と Millenium G200 AGP を突っ込むに及んで 主機 atropos のスペック (K6-III 400MHz, Mystique220 PCI) を部分的に超えた。 スペックが周囲のマシンより落ちるのは 24 時間運営のマシンの宿命のはずだが、 そーゆー事態になったのはこれが初めてである、うーん感慨深い ... つうか、 ようするに est などで「スペックを改善しよう」と考えることがなかったからだけど、 今回の目的の VNC の速度改善には CPU の更新 (mP6 200MHz → K6-2 450MHz) は ほとんど関係なかった。 しかも (CPU が律速と想像していた)「読んde!! ココ」の認識速度もぜんぜんかわらんかった。 うぐぅ。
ビデオカードの更新 (S3 864 PCI → Millenium G200 AGP) のほうは VNC の改善に そこそこ効いた。

なるしまゆり 『プラネットラダー』 (3) 集英社
少年魔法士とあわせノリにノってた時期だったんだろう。お気に入りなお言葉:
「確かにその案は考えたけど、気に入らないの … なんとなく気が進まない。
人生なんてものに意味なんてないと思うけど、 さらにその価値までなくなるような気がするのよ」
懐の窮鳥を猟師に売り飛ばすような「その案」とやら、 非難はされても卑劣だと糾弾されるほどの案だとは別に思わないが、 確かに「人生の価値までなくなる」ような気がしないでもない。

私信.
『ヒカルの碁』の二次創作サイトでかつヤオイでないとこ というのは心当たりがない。 ふだん寄るのは『ヒカルの碁』の碁の方面のサイトだから、 二次創作(碁寄りなので当然ヤオイの気はまったくない)が置いてあっても それがメインでない(ので数量とも少ない)。 そのへんからリンクを漁ってみても、 確かにうまいことまともな二次創作サイトが出て来ないな。


7 月 1 日。
月末ネタやったら翌日は何か書かないと月末な意味がないのだな ....

やたらに日射しが強くて日射病の前駆症状を感じたので コンビニ行って水を 2 リットルばかり補給。一気に 1500ml 位飲めたところからして かなり危ない状態だったらしい。 夜になってまだ 500ml ばかり残ってたのを思い出して駅でラッパ飲みした。

... いやあ、なんかどっかに旅にでかけた帰り道のような気分。 残った 200ml ほどをそのままゴミ箱行きにすれば完璧だが、 さすがにそんなもったいないことはしなかった。

旅行中は健康状態と荷物の量の軽減が最優先になってる、という話でした。まる。


[SS 目次へ] [y:x 目次へ] [前へ] [次へ]