ある書簡「3 話」

From: 神木
At: センチメンタルジャーニー BBS
Date: Fri, 10 Jul 1998 20:12 +0900
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自分家の感想でのセリフスナップショットは SJ では 7 話以降でしか
やってないけれど 3 話でやるとすれば

  「勝ったつもりでいるだろうけど、偶然だからね。偶然」
  「はい」

になるし、セリフとしてはこの部分がいちばんこの話を象徴しているし、
キーとなるところだし、いちばん感動したところでもある。
「名場面」というには「絵」がまったくないので投票にあたって怯まざるをえず、
新大阪駅で優にくっついていくことを決心する琴音や、あるいは坪尻なども考えたんだけど
セリフだけとはいえ、やはりこのシーンの上をいくものではないと思った。

琴音が救われたと自分で思ったのは、もちろん高台で流れ星を観ることが
できたときだけども、しかしそれは「ピュアな愛が(男に)あることの証拠」
でもなんでもない。
優の「観られればまた会える気がする」という別の話に変質してしまっており、
実はなんの救いにもなっていない。まだ琴音が気付いていないだけで。
そういう非常に薄っぺらい、危ないところなんだけども、それを優もしっかりと
知っているということを琴音も知ることによって、「それでいいんだ」というところに
繋がる。捻れていた論理がここでようやく輪を閉じ、確固とした救いとなった。

それと同時に、単なる「天使」でない、確かに優もまた危うい線の上を
歩いている(ただしそのことを自覚している)一人の「人間」であるということを
なにげに明らかにした会話でもあって、
ほんとうに天使だと思ってしまえば、それもまた琴音の救いにはならない。
天使にできることが自分にできることとは限らないから。優の行動が人の行動として
意味をもつかもしれないと琴音が思うことこそが琴音を支えるのであって、
言葉で語った部分の影響はむしろ小さい。それは会話になっていない会話や、
どんどん捻れていく論理、さっぱり効果のない説得などに現われていると思う。


 > ワタルさん

琴音とミサトの類似性がでてきているけれども、ミサトが救われることが
なかったのは誰も頼ることができなかったからであり、他人にすがるための
適切な一歩を踏み出せた琴音が救われたからといってミサトが救われたとはみたくない。

他人に合わせて行き先を変えるというのは、旅の責任を相手に
負わすことになり、これは一人旅という自己責任のゲームの世界からすれば
限りなくルール違反に近い感覚がある。
「助けて」と思うだけでなく、それ相応の一歩を踏み出したということ、
彼女の意思と行動の成果のこととして、優と会おうと会うまいと
遅かれ早かれ適当なブレークスルーを得て彼女は救われただろうと私は思うし、
また行動に踏み出したことによって救われる資格を得たんだと思う。

確かにミサトに琴音のようなコトができていたら! と思いはした。
でも A にできたからといって B にそれが容易であるとは限らない ...
そういうことができないというところまでひっくるめてミサトなんだと思うから。


そういう琴音とたいした摩擦もおこさずそばに置いた優の優しさ、
といったものがよくつたわってくるってところもやっぱり指摘しておきたいな。

琴音からすれば、あるいは天使にさえもみえたかもしれない、
でも本当はせいぜいがとこ「ちょっと変わった女の子」なわけで、
端から観ていてさっぱり実感できないけれども、琴音がそばにいることで
多大な負荷がかかっていたはず。雨のさなかに宮島に向かう、そういった
ほんの僅かの僥倖に賭けるという心の内まで琴音に説明すべき義理はどこにもないし、
個人の価値観の上にあって説明はほとんど不可能だし、
優にしてみれば「もうやめよ?」なんてのは余計なお世話以外のなにものでもない。
現実の行動としても、そういう僥倖に賭けた行動というものは琴音の人に
くっついていく行動に比べれば何程のこともなく、
それはごくふつうに有り得ることで、別に人に説明すべきものでもない...
それならよっぽど琴音の行動を説明していただきたいところ。
それでいながら琴音を受け切ったということ。そういうところも
私は見逃したくはない。


とかなんとかムツかしいことを考えながら見返していた訳ではなく、
久しぶりに絵も観て、優の表情にずっと萌えまくりであったことよ ...

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