Genesis y:2.2 看病
"May I stay here?"


ピンポーン ‥‥

「まだ朝 6 時よ ‥‥ 誰よ ‥‥ まったく」

たまたま起きてたからいいようなものの。

「はい? あ、おばさま、おじさま? 何です? こんなに朝早く」
「シンジがねぇ、ちょっと風邪ぎみなの。
今日は学校休ませるから、学校の方にそう言っといてもらえるかしら?
あと、それと学校から戻ってから看病なんてしてもらえると嬉しいな。
‥‥ 明日までちょっと出かけるのよ ‥‥」
「え、はい」

風邪?

「別に学校休んで看病してくれてもいいわよ」

瞬間、心を読まれたような気がした。顔は ‥‥ 赤くならなかったでしょうね。

「なんであたしがそこまで?」
「じゃ、よろしくね」

このおばさまの表情、いつも笑ってて全然読めないのよねぇ。
からかってるのか、言葉通り頼んでるだけなのか ‥‥

それにしても、相変わらず仲のいい夫婦だこと。息子放っておいて ‥‥
でも、ああいうの、いいなあ ‥‥

あたしはしばらくマンションの下を行く二人の後ろ姿を眺めていた。
ほら、いまも。

おじさまからは、後ろに居るおばさまは見えないはずなのに、
おばさまがこちらを見上げてほんの僅か立ち止まっただけで
おじさまの足も止まってる。
声を掛けたようにも見えないのに ‥‥

「さて、シンジが風邪で休みなのは、そのまま言えばいいとして、
あたしが休むのは、どうしようかしらね」

看病で休む、とは言えないし、風邪で休む、というのもわざとらしい。
けど、

「風邪、でいっか」


「ばーかシンジ」

おおっぴらにシンジと一緒にいられるので、ついはしゃいでしまった。
シンジは風邪だったんだっけ?

「あ、アスカ ‥‥」

あ、やっぱり迷惑そう。
ごめん、ちょっとはしゃぎすぎた、ね。
でも口から出る言葉は、

「バカは風邪ひかない、って聞いてたけど、ひくバカも居るのねぇ ‥‥」

になる。なんでだろ。
シンジが眉を顰めてる。
すっごく気まずくなった。話を変える。

「シンジ、朝食べた?」

ちがうぅ ‥‥ 病人に食欲がある訳が ‥‥

「ううん」

やっぱり食欲、もないのかな ‥‥

「ちょっと? 食欲もない位なの?」

それに返事するかのように、シンジのお腹が鳴った。
シンジがようやく笑ってくれた。‥‥ 苦笑いだろうけど。

「あんた ‥‥ ちょっと、待ってなさいよ」

病人食ねぇ ‥‥ すぐに用意できるかしら ‥‥
ちょっと疑問に思いながら、あたしは台所に向かった。

「ご飯は、ある。けど ‥‥ おかゆになってるはずないわよねぇ ‥‥」

当然だ。
でも、おかゆ作ってたら、一時間位かかっちゃう ‥‥
一度、シンジの部屋に戻る。

「シンジ ‥‥ ?」

ご飯でいいかどうか、聞こうと思ったけれど ‥‥
このバカ、朝食も待たずにさっさと寝てしまっている。
はあ ‥‥

「いいけどね ‥‥ これでおかゆ作る時間できた訳だし ‥‥」

でもあたしは何か全然、頼りにされてないようで悲しかった。

「病人は寝てれば治る、って言うけどさ ‥‥」

ちょっと目頭が熱くなってきた。

「バカシンジ ‥‥」


お昼。
ひととおりのものが用意できたので、シンジの頭元に置いておこうと思い、 シンジの部屋に入ると、シンジが何時の間にか起きている。
起こしてしまったのだろうか?

「あ、起こしちゃった?」
「ん、ちょうど目覚ましただけだから」

シンジがこう言ってもちっとも信用できない。
あたしが起こしてしまったとしても、けっしてそうは言わないだろう。
こういうところは、シンジは優しい。
本当のこと言ってくれても、いいのに ‥‥

「あれ、そういえば、アスカ学校は?」

今頃、そのことに気がつくバカ。

「あんた、まだおかしいようね。今日は土曜で学校はお休みよ」

なんであたしが嘘ついたのか、あたしも知らない。どうせすぐにばれるのに。

「そうか ‥‥ それで母さん達 ‥‥」

なんで納得するかなぁ?
シンジってば、本当に頭、もうろうとしてるんじゃ ‥‥
あたしはようやく本当に心配になってきた。

「ほら、あんたの昼ご飯。ちゃんとおかゆにしといたわよ」
「お昼?」
「あんた、あたしが朝ご飯作るの待たずに熟睡しちゃったでしょうが」
「ごめん ‥‥」
「いいわよ。病人は寝てる方が治りが早い、ってのは真実なんだから。
起きたんなら、そのシャツ脱ぎなさいよ」
「え」

もともと熱で赤い顔をさらに赤くしてシンジがどもった。
こいつは ‥‥

「なに勘違いしてんのよ!」

そういう勘違いされると、あたしも恥ずかしいんだからね。

「静かにして ‥‥」
「ごめん」

ようやく、初めて素直に謝れた。あたしはほっとした。
シンジも意外だったらしく、ぽけっとあたしを眺めている。
あたしは本題に戻る。

「でも、あんたそのままだと風邪、悪くするわよ。そんなに汗べったりじゃ」
「あ、そうか ‥‥」
「あんたの着替えとタオルは持って来たげるから、さっさと脱いどきなさいよ」
「うん ‥‥」

なぜか顔が火照ってきた。逃げるように部屋の外へ出る。

戻って見ると、やっぱりシンジは寝ている。
ここまでくると、もう慣れた。 あたしは枕もとに着替えその他をそっと置いた。


夜。夕食も食べ終って、後片付けを全部終えて、シンジの部屋に行く。
今日は、これ以上居てもあたしのやることは残っていない。
ここに居る名目がない ‥‥ 残念ながら。

シンジの額に触れて、熱を看る。

「やっぱり、まだ熱あんのねぇ ‥‥」

だから、心配だから残って看病したい、とは言えない。

「じゃ、あたしは帰るからね。おとなしく寝てんのよ」

これも、自業自得、か。残りたいと言えない自分を心の中で嘲いながら、
シンジに背を向けると、シンジがあたしの腕を引っ張った。

「シンジ?」

何か用があるのだろうか? あるなら ‥‥ 嬉しい。まだ居られるから。

「え、えーと」

シンジの百面相。
結局、シンジは何か言い出す前に手を離した。

「ご、ごめん」

もしかして、あたしはシンジの手と、シンジの心の中の葛藤の片方を ‥‥
信じて良いのだろうか?
あたしを引き留めたいと ‥‥ シンジが思っていると、うぬぼれていいのだろうか?

「‥‥ ここにいてあげるね。シンジ」

この一言。今日のこの一日の残りの力、すべて振り絞った。
今、あたしはちゃんと笑えているだろうか? 真っ青になったり、していないだろうか ‥‥

「だめだよ、そんなの!」

シンジがとび起きた。病人のくせに ‥‥
もうあたしも引き返せない。どっちにしても。

「病人に拒否する権利は無いわ」

シンジを寝かしつけて顔を布団で塞ぎ、押入れから毛布を引っ張りだした。
あたしもこの部屋で眠る構え。

「‥‥ 本気?」

シンジが亀のように首を出して、こちらを覗いている。
ちょっとシンジを見られない。あたしのことがもし、本当に迷惑だったりしたら ‥‥

「だから、病人に拒否する権利は無いの」
「そうか ‥‥ そうだね。ごめん。アスカ」

シンジが謝った。あたしは驚いてシンジの方を見てしまった。
‥‥ その瞳にあるものは、‥‥ 拒否ではなかった。多分 ‥‥

「僕が眠るまででいいから、
居てくれる? そのかわり、眠るまでだけでいいから」

あたしはまだ、ここに居ていいのかどうか自信がなかったけれど、
もうどうしようもなかった。

「うん」

あたしは一言だけ、返事を返した。


シンジの寝顔を眺めながら、 時々額のタオルを取り替えているうちにあたしも眠ってしまっていたらしい。
姿勢が悪いせいか、眠りも浅い。
体がふっと浮く感じ ‥‥ これは ‥‥ 誰かがあたしを抱き上げている ‥‥ ?

「やっぱり女の子なんだなぁ。それにしても ‥‥」

なにやら声が聞こえる。
あたしは布団の上に置かれたらしい。
そして ‥‥ 毛布?
ここでようやくあたしは目が覚めた。もっとも目はつぶったまま。
何があったか想像するに、シンジがあたしをベッドに寝かせた、というところだろうか。
シンジの話しかける声が聞こえてきた。
あたしが起きてるのがばれてる ‥‥ なんてことじゃないでしょうね ‥‥

「アスカ ‥‥ ごめんね。
女の子にこんなところで寝させちゃって ‥‥」

起きてるあたしに話しかけてるにせよ、寝ているあたしに話しかけているにせよ、
あたしはここに居てもよかった、それだけ聞ければ、あたしは良かった。
ようやく昨晩からの緊張が解け、眠りの底に落ちかけて、

「アスカ ‥‥‥ 大好きだよ ‥‥」

この一言にあやうくとびあがるところだった。
この一言でわかった。シンジはあたしが起きていることを知らない。
知っていて ‥‥ こんなことを言えるようなら ‥‥
それはシンジではない。
それでもあたしは、あたしが起きている時に言って欲しかった。


4 時間後。いちおう、ぐっすり眠ったはずなのに頭が重い。

「あれ?」

なんのことはない、結局シンジから風邪をうつされていた。

「とりあえず、学校には嘘ついたことには、ならなくなったわね」


作者コメント。 2 万ヒット記念の片割れ。というわけ(何がだ)で、アスカ一人称。
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