Genesis y:19.1 傍観者
"OUTSIDE"


ミュンヘン市郊外にあるネルフ、ドイツ支部。 それに隣接するヘリポートに彼は立っていた。

かつての極東、今は世界の中心となった亜熱帯の島国で起きている軍事的な衝突。 その事件に対処しているネルフ本部への支援のために支部が送り出すことにした兵器と人材。 兵器そのものは先にトリエステ港に送られており、 今飛び立った飛行機はドイツからの最終便だった。

「生きて帰れよ」

そうつぶやく声には、いつもなら根拠に無関係に溢れる自信も、 普段のように韜晦したところもなかった。 彼はその弱々しさを自覚し、顔をしかめて苦々しげに舌打ちした。
しばらく前に語られたことを思い出し、ふと顔を上げる。

「‥‥ つまり、これか」

三日ぶりの晴れ間を縫って飛びあがった VTOL 機を見上げる。 先程から感じている微妙な感覚、感情 ── アルは暫く言葉を探し、適当な言葉「疎外感」、を捜しだした。

「‥‥ そういうことも、あるだろうさ」

目の前の VTOL 機に乗る人達の一人 加持リョウジから言われたことを反芻して肩をすくめ、彼は飛行機に背を向けた。
周囲の人々も、すでに戻り掛けていた。 2015 年 7 月の久しぶりの晴れ間を惜しむ人はその場に多かったが、 後始末としての仕事はまだ山と残っていた。 もっとも、ドイツ支部の存在意義の 1/3 が日本に向かっており、 一段落つけば支部は大いに暇になるはずではあった。

アルは今飛び立ったばかりの、彼女 ── あるいは彼が辿るルートを思い浮かべた。
ミュンヘンからベネチア、スエズ、マラッカ、そして日本。

「けっこうあるな」

どうにも止められぬ感覚が、彼を包んでいた。


2015 年 6 月。
使徒襲来の報を受け、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなっていた支部も収まったと思うころ、 今度はセカンドチルドレンによるエヴァ弐号機の起動に成功し、 静かなる興奮が支部を満たし始めていた。
廊下を歩きながら、アルはそんな空気を冷やかな目で眺めていた。

「加持さん、これ頼まれていたやつ、と、これ」

加持の部屋の戸を叩き、ディスクを二つ手渡す。

「はいよ、」

加持も振り返りもせずに、受け取ったそれを端末に突っ込み、 しばらくキーをたたいてから彼に椅子ごと向き直った。

「どうだ? そっちは」
「静かなもんですよ。‥‥ それにしてもマルドゥク機関って使えたんですねぇ」

支部はほとんどこの話題一色。

「はは、ルーレットでもやってるかと思ったか?」
「違います?」
「違わんな。今は違うだろ?」
「三人、揃い踏みですから。クジよりはマシなんでしょうかね」
「‥‥ そういや、たまにはお前も相手してやってくれよ?」

栗色の髪、碧い眼の少女の顔を思い浮かべる。
今ごろはシミュレーションプラグの中でエヴァの操縦の訓練の真最中のはずだった。

「乗り換えられたってことになってますよ?」
「右も左も分からんうちに押し付け ‥‥ ほいよ、返すぞ」

加持が端末から自動的に吐き出されたディスクを取り出し、彼に渡す。

「どうも。‥‥ そりゃ被害妄想ってもんです」
「しかしなあ、君はそのためにここに居るんだろう?」
「多分。先月まではそうだったかも」

あまり困ってないような表情の加持に彼は片目をつむってみせた。

「そういうことにかけては君は上手いな」
「ありがとうございます」
「おかげで俺がついてくことになったぞ?」
「‥‥ 日本?」
「そうだ。‥‥ 残念だったな」

それは思ってもみないことだった。
にもかかわらず残念だったと思うところがあるのに気付き、彼は内心で驚いた。 表情には一切ださなかったつもりだったが、 眼の前の加持がしっかりそれを見抜いたことを半ば称賛、半ば諦めの混じった気持ちで眺める。

「人類普遍の原理さ。別に心を読んだ訳じゃないぞ」
「‥‥ そうですか」
「いろいろ理由はあるだろうが。 たまには戦場にでたくなるもんだ。‥‥ 困ったことだがな。
最前線。分かるか? その意味が」

彼は憮然とした。

「ずっと戦場に居ますよ。 シミュレーションプラグにこもりっきりってのとは違います」

やや皮肉げに言葉を返す。
シミュレーションプラグ、エヴァのエントリープラグを模したもの。
弐号機の起動に成功してまだ日が浅い惣流 アスカ ラングレーにとっては エヴァのエントリープラグよりも馴染み深いもの。 しかしシミュレーションでは模擬できない部分も多いはずで、たとえばエヴァを動かした時に 搭乗したパイロットが感じるはずの加速度、衝撃はあまり正しくない。 そのため、 支部ではシミュレーションプラグによるパイロット促成にやや危惧する人々もいた。

「いや、違うな。むしろ彼女の方が戦場にいるね。 君は安全なところを見つけ出すのが上手すぎる」
「‥‥ そりゃまあ、それが仕事ですから」

それで何が悪いのかと思い、彼はいごごち悪そうに椅子に座り直した。

「そう、その方がいい。いつもはな。
でもな、アル。何かを手にするには、何か代わりに代償を支払わなきゃいけないし、 『安全』を代金として支払うこともあるんだ」
「見通し立てずに虎口に飛び込むのは馬鹿のやることでしょ?」
「危険に晒すのは『命』とは限らんさ。 『プライド』なんてもんを危うくすることもあるかもしれない。
忘れるなよ。『心』は高価いんだ。全人格をもってぶつかっている人達を 安全な外から眺めていただけじゃ、出来ない取り引きもあるんだってことを。
良心まで売り渡した奴が一番強いんだ」
「そうでしょうね ‥‥ でも、まだ要らないんですよ。そういうの」

肩をすくめてアルは加持の視線を黙って受け止め、加持の内心のため息に無言で反抗した。 知らないうちから要らないと言う、その意味 ── まだ残っている理想主義、潔癖性、 を加持は正しく知っていたし、アルも知っているつもりでいた。

「‥‥ まあ、いいか。トリエステまでは来るんだろ?」
「あ、ベネチアになりました? ラッキー!」

エヴァンゲリオン弐号機とそのパイロットを日本まで回送するための 積み込み港としてアムステルダム湾のケルン新港とアドリア海のトリエステ港が検討されていた。
日本までの輸送距離が僅かに長くなるが国内にあるケルン市ケルン新港、
航路がやや短いとはいえ外国の大ベネチア市トリエステ港。
弐号機は特 A の軍事機密であり、その輸送には神経を使う。 国内のケルン新港の方がいろいろと都合が良いのだが、と首を捻った加持だったが、 すぐアルの喜びの理由に思い当たった。

「なんだ、ベネチアに賭けてたのか?」
「ケルンの方が仕事は楽そうですから。
ベネチアに決まった時にも楽しみがないとね」
「‥‥ ほんとに押えどころが堅いな。君は」

この彼のスタンスが後に 石橋を渡る時には(叩いて渡るのでなく)救命胴衣をつけてボートを脇に抱え渡る と評されることになる。
3 対 1 の賭け率にほくほく顔のアルを眺め、 加持は苦笑いをしながらトリエステに決まった理由を告げた。

「国連がな、流氷で船が痛むのは嫌だとさ」
「‥‥ そんな理由で ‥‥?」
「まったくだな」


2015 年 11 月。
アレクとアル、廊下での会話 ───

「あれが一度電話したことがあったんだがね、 脇で聞いていたら、鏡の向う側と話しているようだったよ」
「‥‥ 元気、という訳ではない?」
「ふん。一応、親だからな。 たいした付き合いでもないが、違うことくらい分かるさ」
「ああ、こないだの使徒戦の?」
「そう。活躍の場、全部サードの子供にとられてまだぐずっとるようだよ。
‥‥ 多少は子供らしいところもな、むしろほっとしとるが」
「葛城三佐の指揮は珍しくまともなもんだったらしいですから、 独りで先走って叩かれるのも良い経験でしょう」
「葛城三佐か ‥‥ ネルフの七不思議だな」
「あと六つ? たった?」
「‥‥ と七十くらいあるな。確かに」

顔を見合わせて笑う二人。

「もう恐くはない?」
「さあな。顔も見んうちはなんともなあ」

首を振りつつ立ち去るアレク。 微笑みながらそれを見送るアル、 その手には加持の死亡のことが記されたメモが握りしめられていた。


2015 年 12 月。

「オニオンスープ二つ、ハンブルグステーキ二つ、焼き方は共にレアで、 それにホウレンソウとソーセージのソテー一つ ‥‥」
「おい」

遠慮無しに料理の列を並べ立て始めたのに慌てたアレクが横から口を挟んだが、 聞こえないふりをしてアルは続けた。

「それから ‥‥」
「ちょっとまて」

無理矢理アレクが手で遮り、アルはアレクへ微笑んだまま向き直った。

「はい?」
「私のおごりだとか言わなかったか?」
「大丈夫、あなたが出してくれます」

不機嫌なアレクに彼は静かに断言した。
むしろアレクの方が自信をなくす。

「‥‥ そ、そうか ‥‥?」
「で、あとは ‥‥」

半信半疑のアレクを放りだし、彼は再びメニューを指しながら料理を並べ始めた。
使徒との壮絶な戦いをくぐり抜けた後、第三新東京市が交通遮断に入って一ヶ月。
先日、ついに第三新東京市の交通規制が解除され、 それと同時に始まった新ミュンヘン市計画のロードマップを覗いていた彼には、 ひとつアレクに伝えられることがあった。

側からウエーターが立ち去った後、アレクはアルに問いただした。

「ほんとうに私が出すんだろうな?」
「最長で 2 ヶ月、多分、1 ヶ月ほどの時間、どうです?」
「‥‥ なんだ?」
「もうすぐ帰国してきますよ。来年の ‥‥ そう、2 月か 3 月」

みるも無惨にうろたえるアレクを、アルはしばらく見ないふりをしていた。

「分かった。出すから ‥‥‥‥ 頼む」
「何を?」
「いろいろと、だ」
「事と次第によっては、」

眉を顰めたアレクの顔に浮かび上がったものを見て、すぐにつけたす。

「‥‥ いえ、条件闘争じゃありません、 内容によっては必ずしも話を聞くとは限りませんよ、 ってことです」
「すまん、当然だな。いいだろう」
「‥‥ と」

話が簡単にまとまったところで、アルは運ばれてきたスープを一口すすり、スプーンを置いた。 アレクも気付いた風に動きを止めた。

「‥‥ かわりましたか?」
「多分」
「他は ‥‥ どうでしょうね。これはこれで美味しいからいいですが」

料理の味付けが変わった。つまり、料理人かあるいは仕入れか方針が変わったか。
美味しいと評判になっていて、 彼らも何度か食べたことのあるハンブルグステーキの出来を二人は少し心配した。 料理人が入れ替われば同じ店でも味はまったくあてにならない、 料理人の裁量の余地の大きい料理の場合は特に。

「ここも終りかな? ‥‥ 旨かったんだがな。
‥‥ で、どうしてそれが分かった?」
「第三新東京市、例の LCL 化都市ですが、」
「ああ、ちょっと前に公開されてたな」
「あれ ‥‥ 次はここです」
「それで?」
「多分、向こうから人、呼んでくると思うんですが、 そのメンバーの一人ですね。
‥‥ 僕なんか何回もまだ食べてませんよ、あれ」

ウエイターがサラダを並べる間、二人は黙った。

「君は良いんだよ。その年で何度も食べたことがあるというのが変だ」
「そりゃ差別ですよ。で、たとえば何を?」
「ああ、いや、特に今は何も。‥‥ そうか。戻ってくるか。
君が大学へ入ったのは、いくつの時だ?」
「僕は ‥‥ 14 だったかな?」
「あれは 10 だ。あの時はどう応えていいのか分からなかった ‥‥」
「そんなもんですかね」
「君への妬みはあっただろう? それに、妬まなかったと言えるか? 人は理解の及ばないものには恐怖するものだ。
自分にそんな感情があったなどと、認めるのは論外なのさ」
「‥‥ で、捨てた訳ですか?」
「‥‥ そう。あえて言い訳すればそういうことになる。
‥‥ 神とは便利なものだ。 祈っている間はそういうことも忘れていられるのだからな」
「無神論者のような言い方をなさる」
「ここは無神論者の巣窟だからな。郷に入れば郷に従うだけだよ」

理解の及ばないものには恐怖する。 一瞬、鼻先で嘲った、それは彼には別の意味を伴って聞こえていた。
使徒。
他人。
言い替えれば、安全なものしか理解しない、理解できない。
もの思いに耽った彼に、アレクがいぶかしんだ。

「どうした?」
「いや ‥‥ ああ、 フレイアの側でそういうことは言えないな、と思ったんですが」
「あの黒い箱にマイクなんかついてないさ ‥‥ と思うが、 もしかしてついてるかな?」
「さあ? 聞き流してくれればいいんですけどね」
「君は気にするか?」
「実は気にしませんが。大抵はだます側ですからねぇ」
「『宗教は聖職者にとって、寄付金を巻き上げる魔法の杖であり、
商売人にとって、飯の種であり、
詐欺師にとって、ペテンの原点である』‥‥ 誰だったかな?」
「なんだかうちのボスが言いそうですね。それ。
とりあえず、飯の種なら外に一杯ならんでますが ‥‥」

目の前にステーキ皿が並べられていく。
窓に目を向ければ、暮れた外にはクリスマスのイルミネーションがそこら中に並ぶ。

「‥‥ ホワイトクリスマスも嫌なことの象徴になってしまった」
「そうですか? セカンドインパクトの ‥‥ ということであれば、もう気にする人はいそうもない。
ではなくて ‥‥?」
「それもある。こう毎日毎日雪のあるところじゃなかったからな。
‥‥ そうじゃなくて、気温の低下と無為無策の象徴としてさ。
「バルト海が使えなくなるまでもまだけっこうありますよ。
凍りつくまでなら 100 年は大丈夫なんじゃないですか?」
「詐欺師はどうだろう。クリスマスくらいは ?」
「我々位かな? 元気な詐欺師といえば」
「あまり同じに見られたくないんだがね。‥‥ 噂にきく本部ほど酷くないぞ」

ステーキを一つ口に運ぶ。

「ああ、大丈夫ですね。これ」
「確かにコックは違うようだが、そうだな。素晴らしい仕上がりだ」

アレクもニヤリと笑う。 二人は忘れられていたグラスを掲げた。

「我が女神に乾杯」
「乾杯」

もちろん二人の頭にあったのは「フレイア」 ── 支部に据え付けられたメインコンピューターのことでも、 北欧神話の女神のことでもなかった。


2016 年 4 月。 日本に向かう飛行機の中で隣に眠る少女をみつめつつ、彼は思った。

「どこまでが誰の意志なんだろうな?」

もちろん、この事態すべてが彼の期待した出来事というわけではない。
そして少女の意志がすべてという訳でもない。

加持リョウジはアルがなした行動の結果として日本に渡ったわけではないことを今は知っている。 加持が彼を駒として扱ったように、彼も親子を駒として扱った。 チェスのように都合良く動いた訳ではない、 ただ、予見したありとあらゆる未来、 もちろんその未来の行く先はすべて異なるにせよ、 その道筋がどれも彼にとって快適なものであるように願った。この未来はそのうちの一つ。
もっとも彼が『安全』をはたいて買ったこの未来のいきつく先は、 加持と同様のものでもあるかもしれない。

「渦中に居る方が面白い、といいんだけどね。それならペイするだろうさ」

彼は視線を正面に戻し、肩をすくめてこれから目のあたりにする筈の出来事に想いを馳せた。


もっとも、神の配役か、本人の隠れた意志なのか。 彼は最後まで傍観者を抜け出すことはなかった。


作者コメント。 クリスマスもの、と言っても誰も信じてくれないだろうな。
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