地上へのリンクが閉じ、あたりは再び静寂に満たされた。
「いえ、違う ‥‥」
思い当たってユイは僅かに顔を伏せた。
そうではない。地上が見えていた時の、
まだそれを希求するユイとキールの心のざわめきが空間に溢れ出ていただけか。
もともとこのリンクは補完世界に滞在していた人ならざる者が
地上に興味を持ったことの余波 ── そう彼女は理解していた。
あたりに最近見知った彼の想いはなく、すでに地上に帰還したと思われた。
羨望の思いが微かに頭の隅をよぎる。
彼女自身は自分が地上へ渡る方法を知らない。
A 計画の最初のレポートを記した彼女といえど万能ではない。
彼女の死後に第三新東京市やベルリンでなされた研究や計画の修正に触れるチャンスは無く、
理論的枠組に関しては素人の背後の人物のほうが現在の世界についてはよほど詳しい。
夫ゲンドウのなした修正は
主観的には彼女がおもわず頬を染めるような意図一直線のものながら
客観的には粗雑で乱暴きわまりなく、
計算機の助けなしでは細かい部分の把握は困難に思える。
もちろん、いざとなれば帰還する方法はいくらでもあるだろうと彼女は思う。 本質的なのは「まだ」帰れないと思う心にあった。
信じる者はほとんどいないが彼ら夫妻はセカンドインパクトに関してほぼ無実である。
南極の調査隊から相談をうけた彼女が資料を取り寄せた、もちろん機密なものが多く
電送できずゼーレへの報告を兼ねてゲンドウが帰国した、
その瞬間に生じたごくわずかな政治的な緩み。
ゼーレとて一枚板ではなかった。
外様だからこそか何時の間にかパワーバランスの要となっていた彼が外れたことによって
一部のグループが暴走し、あの事件を引き起こすことになることを
日本にいた彼女に予見しろというのは酷である。
また、ゲンドウも公的私的に理由を整えられては命令を拒否できない。
後悔ではない。罪の思いもない。
当時も今も「もし ‥‥」といったたぐいの思いは彼女にはない。
しかし確かに、
1998 年の形而上生物学の誕生、翌年の爆発的な発展の中で彼女が書いたレポートの一つの結果が
「これ」だった ── 彼女は生まれて初めて怯んだ。一介の学生と思っていた自分の力の結末に。
ゲンドウのスカウト、冬月のテストで自分の役目をほぼ終えたと思っていたユイは 再び人工進化研究所に戻り、アダム封じ込めにかろうじて成功したことを知った彼女は これ幸いと計画全体を一時 E 計画に縮小することを提言、 それは南極の馬鹿者達の後始末に追われて嫌気がさしていたゼーレに受け入れられた。 その指揮をゲンドウがとることになったのは 事件で人材が払底してしまったことによる必然である。
そして今、目の前にある「サードインパクト」、
約 24 時間にわたる突然の人間の消失。彼女はシンジに告げなかった。
社会を支えるインフラストラクチャーは大打撃をうけただろう、
運転する者のなくなった車の迷走と追突で道路は塞がり、
上空の飛行機はまっすぐ飛びつづけたあげく燃料切れで墜落しただろう、
海峡にある多くの船舶もどうなったことか。
多くの工場でラインがあふれ崩壊し、
電気の異常な供給過剰から発電所が緊急停止すれば
自家発電に切り替わる設備も多かったろうが 24 時間もメンテなしで持ったはずがない。
いちはやく帰還を果たした人達にも
周囲に人がまったくいないことを思えば合理的な行動を期待してよいはずがない。
これからの生活に備えて盗みに入るならまだましで、
自暴自棄になって
かろうじて生き残った社会資本の破壊に走れば社会が秩序を取り戻した時に
その人達が不幸な思いをすることは明らかだ。
それを告げてシンジの負担とするつもりはなかった。 地上が、彼が「覚悟」するにあたって暗黙のうちに前提とした社会ではないこと。 彼等の世代はセカンドインパクトの記憶がほとんどないはずである。 サードインパクトがシンジの周囲の子に どのような影響を与えるかといった想像がいくらか彼女にはついたが、 それについてシンジが何も思いやっていないことは補完世界の中では分かりすぎるほど分かった。
セカンドインパクトに続いてサードインパクトまでも、 彼女はコントロールにかかわることができなかった。 それは確かに彼女の責任ではない。また、彼女自身が指揮をとったとして なにごとか成ったというほど傲慢でもない。
「── ?」
背後の物問いたげな視線に心の中でユイは肩をすくめた。 要は、彼女は補完世界を見捨てることができなかったのだ ‥‥
彼女の他には冬月教授しか知らぬことがある。
A 計画でなんであれ、結局はどんな意識も孤独から逃れることはできない。 「個」は個人の歴史とそれに基づく価値観によって成立し、 互いの歴史を知り尽くしたとしても価値観が異なる「個」の間で真に解りあえることはない。 補完が今以上に進み、歴史と価値観を等しくしてしまえば、補完が完結してしまえば、 そこにあるのは「個」々ではなく単一の「個」である。 そこでは相互理解すべき相手は「個(全体)」の外側に求められることになるだろう。
レポートには書いてないことだが、教授はそれを見抜いた。 彼女が彼に語ったことがあった。
「独り宇宙をさまようことになろうと、人が人として生きて来た証として ──」
言うだけなら簡単だ。想像してみればいい。太陽系の余命はあと 50 億年ほどである。 「独り宇宙をさまよう」までにすら 50 億年。 その年月はおおむね熱い岩の塊からヒトの姿を取るものが生まれ、 口をきくようになるまでの時の流れに等しい。 無機質の岩をも(将来の)友とするに足る、 逆に見ればそういうものを友とせざるをえないような孤独。
それを聞いた時の冬月教授の顔。真に彼を計画に取り込んだのはあの瞬間だったかもしれない。
「生と死は等価値」と渚カヲルは語った。 確かに、孤独な 50 億年を生きてすごそうと、死んで過ごそうと、 そこになんの違いがあるだろう。 生き延びることに価値を見出す者のみが生き延びるべきなら ── では渚カヲルの行動は正しかったのだろうか?
その考察こそがレポートの本質である。 本来 A 計画はそれを考えるために用意した思考実験にすぎない。 計画はそれ自体では有意義なものではない。時と場所を選ばねば何の意味もない。 原案の立案者である彼女が計画の否定を受容したのは、 結局は彼女が追求したのは幸福であって その容れ物ではないということも意味していた。
そして、補完世界の行く末ももはや彼女には明らかだった。
追い詰められた絶望の果てから生まれた補完世界。 それがうまく統合されて一つの「個」となることができたとしても 「彼」が最初に知覚するのは、おそらく絶望であろうということが。