【 スコットランドの第一印象 】
レンタカーから見るスコットランドの田園風景は、なだらかで広々とした丘陵地帯、よく耕された麦畑と牧草地、
この国の人々の勤勉さを思わせる。季節の最も良い今でも(6、7月)最高気温がほぼ20℃以下と清涼な大気、
なだらかな地形、少雨夏季の気候風土そしてピートの産出はスコッチと牧畜を発達させているし、
さらに海岸寄りの利用度の少ないリンクスをゴルフ場として活用していることは、この地域にある各資源の
無駄のない有効活用による地域興しの巧みさを感じさせる。そしてスコットランドをとりまく広大な北海は、
古くから漁業を発達させ、加えて今では、1960年代以降開発されてきている北海海底油田の作業支援基地
としての位置づけもある。
そして地元の人々の気質にも素晴らしいものがあると感ずる。我々外国人に対してもいつも笑顔を絶やさぬ
穏やかな親切心、この国の人々の優れたホスピタリティを感ずるし、旅行者に対するインフラ面にも心配りがされている。
レンタカーによる長旅で心配なのは、今日の宿泊地での宿のありかの情報であり、通過地での駐車場やトイレ
についての情報である。それら情報提供案内所が小さな町でも完備されているのである。
人の常駐するインフォーメイションはありがたい、観光産業興しをいう我が国は大いに参考にすべきだろう。
【 ゴルフツアー初日のことは忘れられない 】
エジンバラ東方約50kmのノースベリックGC、ゴルフツアー初日(6月22日)当日の朝6時、ホテルの窓から
ゴルフコースと穏やかな北海とが見える。朝日に全てが輝いて、快晴のもと爽やかな大気、気持ちのよい朝である。
プレーの方は10時半スタート、初めてのリンクスコースに難渋しながら、昼食抜きの5時間ちょっとのプレーを
ホールアウト。しかしその後思わぬハプニングが発生。後続の当コースのメンバーとおぼしき男性が近づき、
君達のプレーは遅いなどと第一日目にしてお叱りを受けてしまったのである。
当方に反論の余地はあるものの、スロープレーであったことは事実、ホテルでは反省しきりであったのは
当然のことか。
プレーの進行については他のコースでもくどいほど言われた。コース内での流れを専門に監視するレンジャーが
どのコースにもいて、遅れがちになれば途端に催促されるのである。あちらでは2人組でのプレーが多いようで、
4人組の我々は後続組を何度かパスさせたこともあったが、場合によっては連続パスともなり限度があり悩ましい。
こちらも2人組×2組とすることもあろうかと思ったことであった。
ノースベリックGCに次いでプレーした セント・アンドリュース
にはゴルフ発祥の地としての長い歴史がある。
この地でゴルフの原型的球技が始まったのは15世紀という。
その後宗教改革などがあって町は衰退し、寂れる一方の
宗教都市を何とかして町興しをしたいと立ち上がった町の
有志達が「ゴルフで街を元気にしょう」とゴルフクラブを設立
したのが18世紀半ばという。今から250年前のことである。
このクラブが19世紀初頭国王の認知を得たことで現在の
「ザ・ロイヤル・アンド・エイシェント・ゴルフクラブ」(R&A)と
改名するのである。ちなみにここのリンクスは市と州との
信託財産で、コースはパブリックだがクラブ(R&A)は
プライベートなので、クラブに我々一般人は単独では
入れない。メンバー同伴の上正式のジャケット着用が
求められるとのことである。
《オールドコース18番「嘆きの橋」》
《「ネス湖」と「アーカート城」》
【 スコットランドの歴史 エジンバラ市での感動】
4人組そろって、ノースベリックからエジンバラへスコットランド国鉄で観光に出向いたと思し召せ。
ウエーバリー駅に降立ち旧市街地を眺めて絶句、すごい町並みなのである。イングランドとの統合以前は
スコットランドの首都であったエジンバラ、鉄道の両側に旧市街地と新市街地とが相対しているのだが、
旧市街地の石造りの重厚な建物群とエジンバラ城とが並ぶその様はスコットランドの歴史が染付いた一枚の
パノラマといえる。エジンバラには6世紀イングランドに対する防衛のための砦ができ、それがいずれエジンバラ城と
なって以後要塞都市として発展していくのだが、9世紀までには大聖堂や石造りの建物群が完成し、その後新市街地も
完成して今や世界遺産ともなりヨーロッパで一番美しい町といわれるまでになっている。
《エジンバラ「旧市街」の風景》
この町を訪れて思ったのは、エジンバラ城を中心としたこの町の歴史がどのような背景の下で如何なるもので
あったのか、これだけの石造りの建造物完成の在り様にそしてそれを成遂げてきた人々の情熱に興味を
そそられるのである。