智子

 

志保と一騒動あったその日の夜。

夕食を作りに来てくれたあかりを自宅に送った後,オレは家には帰らずに近くの公園に

まで足を進めていた。最近は夜がめっきり寒くなってきたこともあり,一寸前までは

チラホラ見られたカップルの姿も今は無く,遠くから聞こえる街の喧騒を除き,辺りは

深い静寂に包まれていた。オレは手近な自動販売機で缶コーヒーを買い,近くのベンチ

に腰を下ろす。夜の冷気をたっぷり吸い込んだ木製のベンチから寒さが直に体に伝わり

思わず身震いした。カコッとプルを引き,半分位まで一気に飲み干す。

体の中から温もりが広がり,それでようやく一息つく事が出来た。

あれからオレなりに色々考えてみた。そして,もう一度自分の考えを整理してみる。

委員長の事,雅史のアドバイス,志保の言葉,そして,あかりへの思い。

その結論として,オレは委員長へのアプローチを止める事にした。志保に強く言われた

事も無論あるが,何よりも,あかりにこれ以上不要な心配をかけたくなかったらだ。

そうする事と,オレがこれまでにかけた一連の迷惑について明日,委員長に謝るつもり

だと夕食時にあかりに伝えると,どうしたの?という顔はしたが,その理由については

何も聞かれず,ただ一言「そうなんだ。うん,分かった。浩之ちゃんが決めた事なら」

と同意してくれた。それでその話は終わりとなったが,その後のあかりの上機嫌ぶりは

見ていて笑ってしまう程だった。

やはり,志保の言う様にカケみたいな約束事で安心させられるものでは無かったのかも

しれない。今回も志保に一発喰らった感じで面白くは無かったが,不思議と腹立たしい

とは思わなかった。

あいつが自分の感情を爆発させてまでオレにさせまいとした事。

あいつが言う,オレへのあかりの本当の思い。

その答えはまだ見つけられていないが,今は深く考えない事にした。あまりにも判断材

料が少なすぎる。くやしいけど,今は志保の言う様に,あかりを大事にする事を考える

べきなのだろう。

正直,この期に及んでもまだ委員長の事が気にはなっていた。しかし,自分の立場すら

確立出来ていない奴が,それを踏まえずに人に対してあれこれと手を差し伸べるなぞ,

端から見たら滑稽な奴でしかない。

問題は,明日どうやって委員長に謝るかだ。今のオレは彼女にとって害虫みたいなもの

だろうし,近づくだけでどうなるかは容易に想像が付いた。

まあ,やるしかねえよな。

かなり冷めてしまった残りを一気に飲み干すと,引き上げるべく腰を上げた。

フム,久々にやってみるかな。運試しだ。

オレは近くの金網で作られた様なダストボックスを確認すると,位置を目測して空き缶

を地面に置いた。ガキの頃,雅史とよくこれで競ったものだ。あの頃は大抵オレの勝ち

だったが,今は無理だろうな。

缶の位置から数歩後退し,ダストボックスと缶の位置を見比べて加減を判断する。

よし!

軽く助走を付け,オレは缶を真っ芯から蹴り上げた。

カン!

空き缶は空中に軽々持ち上がると,そのまま着地点を目指す。

カコン

うっしゃ!と軽くガッツポーズ。オレの技もまだまだ捨てたもんじゃねえぜ。

何となく幸先の良さを感じ,足取りも軽く公園を後にした。

 

◇    ◇    ◇

 

「いいんちょ〜!違うんだ〜!もうこういう質問は止めようと思っての事なんだ〜!」

「.....」

「聞こえているか〜〜!い〜い〜ん〜ちょ〜〜!」

「やめいや!!そんなに大声出さんでも聞こえるわ!しょーもないやっちゃな!!」

 

や,やっと言葉を返してくれたか。疲れた...いや,まだまだこれからだ!

事前の予想通り,それは委員長とオレとのすれ違いからスタートした。

オレが近づく,委員長が避ける,近づく,避ける,近づく,避ける。

まるで終わりの無いアドベンチャーゲームだ。

さすがにこのままでは埒が明かないと思ったオレは,結局最後の手段に出る事にした。

背後から大声で叫んだのだ。

恥ずかしとか考えてるヒマもなかったが,これは効果的だった。

だが,これで終わった訳じゃない。

委員長は近づくオレを射る様な目で見ている。その姿は毛を逆立てて威嚇するペルシャ

ネコと言った様相だ。警戒心バリバリなのが近づく毎に肌に強く感じられる。

 

「これまでのくだらない質問,本当にこれで終わりにしてくれんのやな?」

「ああ,約束する。今後は一切しない。それと,これまで迷惑掛けた事,本当に悪かっ

たと思ってる。ゴメン。オレ,委員長の気持ちを全く考えていなかったみたいだ」

「当たり前や。いきなり近づいて来たと思うたら,しょーもない事ばかり聞いて。こっ

ちはいい迷惑や。まあ,これで終わりにしてくれんやったら,私としては安心出来るし

な。ほんまに終わりにしてや?こんな思いするんはもう沢山やで?」

「分かった。本当に終わりにするよ。すまなかったな」

「ん,それならええよ。許したる」

 

そう言うと,委員長はその威圧感をようやく解いてくれた。これまでピリピリしていた

空気が次第に落ち着いていく。それでオレもようやくホッとした気持ちになった。

 

「サンキュー,感謝するよ委員長」

「別に感謝される筋合いのものやあらへん。それにしても,藤田くん随分と大人やな」

「え?大人って何がだよ」

「普通,男が女に頭下げるなんてなかなか出来んのとちゃう?例え男の方が悪うても,

大抵は虚勢張って偉そうにしとるんが多いんや。普通やったらそんな謝らんと放って

おけばええんちゃうの?」

「いや,実際迷惑かけたんだし,この位は普通だと思うけど?それにオレ,自分がしで

かした事で,人に迷惑かけておきながら知らん顔するなんて出来ねえから」

「....」

「どうかした?」

「いや,中々格好ええ事言うなあと思うてな。やっぱり女房持ちは根がしっかりしとる

ちゅう事かなあ。独り者やったら単なる媚び売りやけどな」

 

な,なんか委員長上機嫌だな。こんなに親しそうなのって初めてじゃねえか?

見ると笑ってこそいないものの,落ち着いた眼差しでオレの事をジッと見つめている。

よく解らない。押して駄目なら引けば良かったという事だろうか?

 

「まあ,今後はあまり馴れ馴れしゅうせんといてな。それじゃな」

 

...やっぱりいつもの委員長だ。いつもの様に後ろ姿を目で追うオレだったが,それ

でも委員長の機嫌が回復している事は後ろ姿からもよく分かった。

まあ,これで一つ終わったよな。約束した手前,同じ質問を繰り返す愚行はもう出来な

いし。また何かの機会でもあればといった所だろう。

 

「終わった?」

 

後ろを向かなくても誰だか一発で解った。こいつの場合,神出鬼没じゃなくて校内浮気

調査員と言った方が正解だ。偶然にしては出来過ぎている。

このヤロー,付けてやがったな。

オレはゆっくりとそいつに顔を向けた。思った通り,腰に手を当てて得意満面そうにし

ていやがる。腹立たしい位ニコニコと嬉しそうだ。ケッと悪態の一つも付こうとしたが,

目が合ったとたん気恥ずかしくなって止めた。

なんてえ目をしてるんだお前は。

そういうのは自分の子供が出来た時の為に取っておけってーの。

 

「...別にお前に言われたからじゃねえからな。オレなりに色々考えた上で決めた事

だ。そこん所,間違えるなよ」

「ハイハイ,そんなに心配しなくても大丈夫よ。経緯はどうあれ,アンタがそうしてく

れた事の方が大事なんだからさ。良かったじゃないの。うまくまとまったみたいで」

「全く。よくそんな事までチェックしてやがるな。お前,校内で尾行調査の仕事とか始

めたんじゃねえだろな?」

「あら,あたしに全然気付かなかったの?。へーやっぱりそういう才能あるのかしら。

それなら今度始めてみようかな」

「止めとけって。女の尾行調査なんてロクな事にならねえぞ。今回だけにしとけよ」

「へへ,やっぱりバレてたか。分かったわよ。アンタの言う通り今回だけにしとく」

 

そう言うと,志保はいきなりオレの腕に抱きついてきた。思わずビクッとしたが,そん

な様子を見た志保は悪戯っぽい顔を向ける。

 

「な,何やってんだお前!止めろって!」

「この位いいじゃない。渡り廊下の間だけでいいわよ。こんな美少女に抱きつかれて

アンタも嬉しいでしょ?」

「自分で言うなって。それにこんな所あかりに見られたら困るのはお前だろうが」

「そんなキスしてる訳じゃないんだから,この位なら大丈夫よ。やっぱりあかりの事が

気になる?」

「気にならないなんて言えるかよ。お前に何言われるか分かったもんじゃねえぜ」

「ん,正直でよろしい。そういう素直な人お姉さんスキよ」

「言ってろって。あかりにもし見つかって『し,志保酷い!信じてたのに!ウルウル』

って言われたって知らね〜ぞ」

「キャハハハ,ヒロあかりの口まね巧いじゃない。あかりに聞かせてあげたら?それと

もいつも聞かせてあげてるの?」

「うるせーよお前は。少し黙ってろって」

「アハハハハ」

 

自分から仕掛けておきながらムードもへったくれも無い奴だ。しかし,らしいと言えば

らしいか。幸いにして渡り廊下は誰も通らず,志保との束の間のひとときとなった。

全く最近のコイツには驚かされっぱなしだ。単に軽口を叩きあうだけの間柄だった筈が,

いつの間にかその関係が変わりつつある。少しづつではあるが,互いに本音で語り合え

る様になってきている。不思議なもので,そうなればなる程,オレは志保の持つ魅力に

惹かれる様になっていった。他の誰とも違う,男女を越えた人間としての魅力。根拠は

無いが,もしこいつが男だったなら,その魅力はより大きく開花していたんじゃないか

なと最近よく思う。その魅力に伴うパワー故,近くに居る時はこちらも同等のパワーを

強いられるのだが,一端味方となったらこれ程頼りになる奴も居ないだろう。それに気

付いたのがごく最近だってんだから,オレの人を見る目は本当,当てにならない。

志保にあかりの件で怒られるのも仕方ない所か。

 

「そうそう思い出した。ねえ,今日ヤックで奢ってよ。スペシャル+αね」

「...」

「ねえ,聞いてんの?アレはウソなんて言わないわよねえ?」

「ああ,ウソじゃねえよ。じゃあ放課後にあかりと揃って行くか」

「やりい!奢りスペシャルって美味しいのよね〜。あー病みつきになりそう」

「...セコい所が玉にキズだよな」

「え?何か言った?」

「なんでもねえ」

 

◇    ◇    ◇

 

幾多の波風の後,またいつもと変わらない学生生活の日々が戻ってきた。しかしそれは

全く変化が無いというものでもなかった。平凡な生活の中にもメリハリはあるものだ。

雅史とは休み時間ともなると,サッカーの話題を中心として盛り上がっていた。何と我

がサッカー部はベスト4入りを果たし,次の準決はまさに天王山とも言える戦いだ。

本名校が相手なので突破は至難かもしれないが,参加メンバの士気はいつにも増して

高いとは雅史は熱っぽく語っていた。全く凄い事だ。次の対戦はオレもあかりと一緒に

応援しに行く約束をしていた。

そして志保は...

 

「そういえばあかりさあ。最近ヒロに泣かされたとかな〜い〜?」

「おい志保。約束しただろ?奢りもしたよな?そういう事言うか普通?」

「イヤねえ。私は単にアンタに泣かされたかどうかを聞いてるだけじゃないのよ〜」

「そういう事をいちいちオレの前であかりに聞くなってんだよ!」

 

全く代わりばえのしない奴だ。オレの見込み違いだったのだろうか?まあ,雅史の手伝

いも相変わらず続けているし,やる事はキッチリやってる様だからまだ許せるが。

それにしても,この調子なら,オレとあかりが計画している感謝の招待もしばらく見合

わせる事になるだろう。出来れば雅史には頑張って決勝突破まで行って欲しい。オレ達

だけじゃなく,全校で応援しているし,勝手かもしれないが雅史の持つ実力はそこまで

行けると思っているしな。

こうして普段と変らぬ生活となり,委員長との接点はその時を境に無くなったかと思っ

ていた頃,ちょっとしたきっかけでその接点がまた復活する事になるとは,そうなるま

でオレは考えもしていなかった。人と人との縁とは不思議なものだ。強く望む時は得ら

れず,少し身を引いた時に何等労する事無く自然に叶ってしまう事もあるのだから。

それはあかりの付き合いで,昼休みに図書室に行った事に始まる。新刊が入ったとかで

あかりに腕を引かれながら図書室に来たオレは,とある書棚で委員長が何やら立ち読ん

でいる姿を見掛けた。

「浩之ちゃん,ちょっと本借りてくるから待ってて」と言い残して別の書棚に向かった

あかりを見送った後,何気なく委員長の方を見やる。相変わらず熱心に読んでいるらし

く,こちらには一切気付いていない様だ。

何も立って読んでる必要も無いだろうに。

そう思ったオレは,自然と委員長に近づいていった。

 

「よ,委員長。何読んでるの?」

 

言ってから『しまった!』と思った。この前言われたっけ。『馴れ馴れしゅうせんとい

てな』って。また怒られるか無視されるのかよ。こりゃマズったぜ。

委員長はこちらに顔を向けると「藤田くん」と一言いい,何となくつまらなそうな目線

を向けた。オレは慌てて「あ,いや何でも」と言いかけた時,委員長はスッと自分の読

んでいた本を差し出して見せた。思わずその本を見入る。よくは判らないが,どうやら

心理学についての本らしい。とっさに次の言葉が出てしまう。

 

「へ,へえ。委員長心理学の本なんて読むんだ。それって結構面白い?」

「まあ,人の心に関して興味あるから,内容的に難しい所が多いねんけどそれなりには

面白いわな。とゆうてもこの本一冊で解る程簡単なものでもないんや。まあ,より深く

知りたければ,やはり県の図書館に出かけなあかんやろな」

「.....」

「どうしたん?ボケーっとして」

「あ,いや」

 

ど,どうしちゃったんだ委員長?以前だったら自分からこんなペラペラ喋るなんて事無

かったのに。

かと言って,いきなりそんな事聞ける筈も無く,オレは無難な言葉を続けた。

 

「ふーん,そうなんだ。それにしても,学校の授業以外でもそうして熱心に調べ物して

いるって何か凄えよな。オレなんて授業の内容は勿論だけど,それ以外の事でもそんな

に深く調べ物しようなんて思った事ねえもんな」

「藤田くんは自分の趣味で何か興味ある事ないんか?そういう事を中心に色々調べてい

ったらええんちゃう?」

「興味ったってな〜。別にクラブに入ってる訳でも無いし,特にこれと言ってはな〜」

「ああそうか。藤田くんが今一番興味あるっちゅうたら,神岸さんの事やもんな」

「い,委員長?」

「この前屋上でそうや言うてたし,別段隠したもんでもないんやろ?神岸さんとつきお

うとる事。今日は一緒やないんか?」

「あ,一緒だけど..あのさ委員長。言い難い事なんだけど一つ聞いていいかな?」

「...またこの前の蒸し返しやないやろな?」

「違うって。その,何て言うか,委員長ってさ..」

「『こんなに喋る奴とは思わなかった』やろ?ついでに言えば『馴れ馴れしゅうせんと

いてって言ってたのに』とちゃうか?」

 

オレは言葉を返せなかった。なんだよこの変わり様は!まさか今までの態度は全てオレ

をからかっての事じゃねえだろうな。

そんな考えが表情に出ていたのだろうか。委員長は言葉を続ける。

 

「別に藤田くんの事を今までからかっていた訳やあらへん。あの時は本当にうっとおし

かったんや。まあ,その件に関しては今も同じやけどな」

「そうなの?それなら喋りの方は?」

「元々私は結構お喋りな方なんや。こっち来てからは殆どそうした機会が無かっただけ

やねん」

「じゃあ,どうして今はそうしているんだよ」

「さあ,なんでやろな」

「なんでって...何でだよ?」

「自分でもよう分からへん。ただ,一つ分かった事はあるけどな」

「それって?まさかオレに関係する事か?」

「そのまさかやと思う。藤田くん言ってたよなあ。『自分がしでかした事で,人に迷惑

かけておきながら知らん顔するなんて出来ねえ』って。それ聞いてからかなあ。モヤモ

ヤしたものが何となく晴れる感じがしてな。それからは何か藤田くんに冷たく当たり過

ぎたかなと思う様になってなあ」

「なんだよそれ。まいったな」

 

実際本当にまいっていた。女心の不可思議さという奴か?オレには理解出来ないぜ。

まあ,でもこうして委員長と普通に会話が出来るんだから,結果オーライという事か。

 

「まあ,何はともあれこうして委員長と話が出来るって嬉しいぜ」

「私と話せて藤田くんに何かええ事あるん?彼女おるのに,私にかまってるどころの騒

ぎや無いんとちゃうの?」

「彼女が居たって別にクラスメートと話しちゃいけないって事は無いだろ?オレは雑談

でもいいから委員長と話しをしたかったんだよ」

「けったいな人やな藤田くんって。けど,この前の話題はお断りやで」

「分かってる。約束したじゃねえか。しないよ。こうした会話位ならいいだろ?」

「こっちの迷惑にならん程度ならええよ。最も,さっきも言うた様にそんな事しとる

ヒマがあるとはとても思えんけどな」

 

相変わらずキツい言い方をしながら,委員長はある一点に目を向けた。そこにはあかり

がキョロキョロとオレを探している姿があった。相変わらずトロい奴だ。オレは小声

気味にあかりの名を呼ぶ。どうやら見つける事が出来たらしく,パッと明るい顔になっ

てタタタと駆け寄ってきた。

 

「浩之ちゃん探しちゃったよ〜」

「お前探すったってたかだか図書室の中じゃねえか。何やってんだよ」

「そんな事言っても気が付かなかったんだもん」

「この前街に出た時もそんな事言ってたじゃねえか。それが続く様なら今度から迷子札

でも持たせるぞ」

「浩之ちゃんのいじわる」

「ふふふ,仲ええんやなあ」

 

見ると委員長は軽くクスクスと笑っている。

...何か委員長の笑顔見たのってこれが初めてじゃないか?

あかりも同じ様に思ったらしく,声を掛けるのも忘れて茫然と見入っていた。

 

「まあ,私との雑談は程々にしとき。藤田くんには他にやらなならん事あるやろ?」

 

まるで志保みたいな言い方をして,委員長はその場を去って行った。あかりは「保科さ

んどうしちゃったの?」と聞いてきたが,オレにもよく判らないのに答えようが無い。

この時は随分驚いたが,この時をきっかけにして,委員長とオレは以前よりは気軽に話

せる様になっていった。相変わらず核心には触れさせようとしないが,以前から比べた

ら格段の進歩と言えた。話す内容は雑談の域を出ないし,オレとあかりが一緒の時は

殆ど挨拶程度でしか無かったが,これをきっかけにして,少しづつでも委員長が心を開

いてくれればなと,オレはその時気楽に考えていた。

 

◇    ◇    ◇

 

日が傾きつつある夕刻の通学路。オレは学校に向かう為足を進めていた。別に登校時間

を間違えた訳じゃない。単に忘れ物を取りに戻るだけだ。明日提出しなければならない

現国の課題を書いたノートをオレがうっかり忘れた事に気付いたのは,そろそろ公園に

近づこうかという時だった。いつもならこの手の忘れモノはあかりのを見せて貰えば

問題無かったが,今回の課題は一人一人違うのでそうもいかない。あかりは一緒に戻っ

てあげると言ったが,ここからなら自宅の方が遥かに近い距離でもあるし,わざわざ

そうした手間を取らせる事も無いだろう。

 

「でも,その位なら大した事無いからつきあうよ」

「いいって。こんな事の度に付き合ってもらってたら悪いからよ。それに,ここなら

いつもの帰宅距離と大して違わねえじゃねえか。もう一度登下校する様なものだぞ」

「私は嬉しいな。浩之ちゃんと一日に二回も登下校出来るんだもの」

「あのなあ。登下校なんて明日も明後日もあるじゃねえかよ。本当いいって。それに

今日は帰ったら母親の手伝いをするんだって言ってたじゃねえか。あまり遅いと心配

されるぞ」

「うん,それはそうなんだけど..」

「一寸ひとっ走り行って帰ってくるだけさ。それにオレって忘れっぽいから,またこう

した機会もあるって。またそん時に付き合ってくれよ。な?」

「..うん,分かった。じゃあそうする。気を付けてね浩之ちゃん」

「あかり,オレは子供じゃないんだからな。またペシッといくか?」

「あ,それはナシ。じゃあまた明日ね。浩之ちゃん」

「おお,それじゃな」

 

一寸前まではこうした会話は酷く疲れたものだが,最近は馴れたせいか逆に楽しめる様

になってきた。オレ達のこうした関係も少しづつ板に付いてきたのかもしれねえな。

そう思いながら学校迄あと僅かの坂道を登っていると,前方から見慣れた顔ぶれが下校

してくるのが見えた。クラスメートの奴等だ。

 

「よお〜藤田。今頃登校か?もう今日の授業は全て終了だぜ?」

「何言ってやがる。今日居たじゃねえかよ。単に忘れ物しただけだって」

「そんな事だろうと思った。教室戻るのか?」

「当然だろう?何かあるのかよ?」

「ああ,気の強い女が一人残って掃除やってると思うからよ。注意した方がいいぜ。

うかつに声かけると返り討ちにあうぞ」

 

そう言いながら回りの連中と共に乾いた笑いを漏らす。それで誰の事か直ぐ分かった。

こいつら委員長と同じ班の奴等じゃねえか。

という事は委員長一人だけ残って教室掃除やっているのかよ?

女の子一人を教室に残して?!

男のくせにふざけやがって!

 

「一寸待てよ!それってお前ら掃除をサボって委員長一人にやらせてるって事かよ?

何があったか知らねえけど,女の子一人にそれはあまりな仕打ちじゃねえのか?」

「おいおい人聞きの悪い事言うなよ。オレ達は委員長自ら帰っていいって言うから引き

上げてきてるんだぜ。お前に文句を言われる筋合いなんてないぜ」

「委員長自らそんな事言う訳ねえだろ!お前らが彼女に何かしたからそう言わざるを得

なかっただけじゃなえのかよ。どう考えても連帯責任放棄じゃねえか!」

「知らねえよ!そんなに言うなら委員長本人から聞けばいいじゃねえか!オレ達だって

彼女には頭来てるんだよ。委員長だからって偉そうに指示出しやがってよお。そのくせ

自分の普段の付き合いの悪さは棚に上げて,一体なんなんだよあの女は!」

「それが自分達の正当性を説明している事になるのかよ?単に好き嫌いの感情でモノ

言ってるだけじゃねえのかよ?」

「なんだと藤田」

 

オレは身構えた。向こうはヤル気だ。だったら容赦はしねえ。だが,それを察知した

回りの奴等が「止めろ止めろ」と止めに入る。結局ぶつかる前にお開きとなった。

 

「いいだろう。委員長に聞いてやるよ。だがこれが単なるイジメだったらオレは容赦し

ねえからな」

「フン,勝手にしろよ。聞けば俺達の方が被害者だって分かるだろうよ。最もあいつが

正直に話せばだけどな」

 

付き合ってられねえぜ。オレは連中に背を向けると坂を上り始めた。

 

「そうだ藤田よお」

「何だ?まだ何かあるのか?」

「お前,最近委員長に熱心みたいだけど,今の彼女から乗り換えるつもりかよ?」

「なんだとこの野郎」

「待てよ。ケンカ売ろうってんじゃねえ。一寸気になったからよ。ただ,一言言ってお

いてやるぜ。やめときな。それだけだ。じゃあ委員長によろしくな」

 

そう言うと,連中は後ろ手上げて去って行った。くそったれ。何だってんだ。

オレはムカムカした気分で再び坂を上って行った。

 

◇    ◇    ◇

 

教室の中を見ると,思った通り委員長一人で教室の掃除をしていた。一人で全ての机を

後ろに下げ,黙々と掃除を続けるその姿をしばらく眺める。

次第に何とも言えない,やり切れない気持ちが込み上げてきた。

こんな事を何故彼女は一人で...

オレは教室に入ると,黙ったまま用具箱からホウキを取り出し,掃除に参加した。

 

「ふ,藤田くん?!」

「委員長。一人より二人の方が早いだろ?こんなのサッサと終わらせようぜ」

「藤田くん。悪いけど手伝ってくれる必要あらへんよ。他の人の手は借りん。だからそ

んな事せえへんで」

「そうやっていつも..」

「?!」

「そうやっていつも他人の手を冷たく拒むから,今回みたいな事になるんじゃないの

かよ。あんな連中に馬鹿にされてまでやる事なのかよ!」

「ちょ,ちょっと藤田くん落ちつき。何を聞いたんか知らんけど,そんな大層な事や

あらへんよ。もしかして今帰って行った班の人に何か聞いたんか?」

「ああ,委員長が先に帰っていいって言うから一人残してきたって言ってたよ。それっ

て本当なのかよ?あいつらにいい様に言われてるだけじゃねえのかよ?」

「帰ってええちゅうたのは本当や。それは間違い無い」

「え!何でそんな事を?」

「藤田くんに話す事や無いと思うけど?」

「そんな事ねえだろ?オレ達クラスメートじゃねえか。どう見てもこれはイジメだぜ。

なあ,良ければ話してくれねえか?このままじゃオレ収まりが付かねえよ」

「....」

 

委員長はしばらく無言のままだった。オレもそれ以上は何も言わず黙々とホウキを動

かす。そうやってまとめた教室のゴミを,今度は塵取りに履き込む。そうして二人が

近づいた時,互いに目が合った。オレはジッと見つめる。委員長は軽く視線を逸らす。

 

「...ちゃんと塵取り押さえててや」

「......」

 

そうしてゴミを履き込みながら,委員長はようやくポツポツと話しはじめた。

 

「何でも急用が出来たとかで掃除を抜けさせてくれと間際になって言うてきたんが二人

おってな,こっちとしてはそれなら誰か代理を立てろと言うたんや。そしたら急に決

まった事やし,そんなんいきなりは無理やわみたいな事言うて,それなら抜けるのは認

めんちゅう事を言うたんや。今考えると何でそんな事言うたのか。イライラしとったの

かもしれんなあ。で,結局私だけ反対しとったんやけど,そうしている間にその二人逃

げる様に帰ってしもてな。まあ残りのもんは承知の上やったけど,私もさすがに頭来て

連帯責任やみたいな事言うてしもたんや。そうしたら『普段から無愛想振りまいている

クセにこういう時ばかり何が連帯責任か〜!』ちゅうて残りが怒ってな。まあ,後から

考えればそうかもしれんけど,こっちも頭に血い上っとるから,最後は売り言葉に買い

言葉や。結局『それならもうええ!私一人で全部やっとく!あんたらもう帰りや』って

言い切ってしもて,今こういう事になっとんねん。まあ,自分から撒いた種やなあ」

「....」

「だから藤田くんが気色ばる事なにもあらへんよ。元々,今の連中とは何かに付けうま

く行って無かったんや。まあ,私もこないな事で突っ張る必要も無かったし,次回から

は適当に折り付けるつもりや。今までだってそうしてきたんやしな」

「それでいいのかよ?」

「え?」

「委員長,本当にそれでいいのかよ?」

「.....」

「そんな学生生活で,本当にいいのかよ?委員長がそうせざるを得ない原因って,本当

は別の所にあるんじゃないのかよ?やはり屋上の一件が..」

「藤田くん!」

 

委員長に言われてハッとなった。そうか,約束だったよな。けど,このままじゃよお。

その後,オレ達はまた黙々と掃除に復帰し,全ての机や椅子を元に戻した。最後に委員

長がチェックした後,大林(先生)に完了報告する為職員室に向かった。その間オレは

掃除用具を元に戻す。程なく委員長が教室に戻ってきた。

 

「手伝おてもろてすまんかったな。おかげで助かったわ」

「いや,大した事じゃないよ。なあ委員長。よければこれから一緒に帰らねえか?」

「悪いけど遠慮させて貰うわ。奥さんおるのに一緒はマズいやろ?それに私,塾がある

んで急がなあかんねん。それじゃまた明日な」

「な,委員長一寸待ってくれよ」

 

明らかに委員長はオレを避けている。振り向く事無く教室を出て行った委員長を後を

追いかける様にしてオレも教室を飛び出した。

 

◇    ◇    ◇

 

「委員長,待てよ。そんなに慌てる事も無えじゃねえか」

「....」

「委員長。頼むよ。さっきの件,やはりこのままでいいとは思えねえんだよ。オレでよ

ければ..」

「よくないわ!」

「..え?」

 

委員長と,それを追いかけていた足がピタリと止まる。見るとすっかり厳しい表情に

戻った委員長がオレを睨んで立ち尽くしていた。

 

「..こうなるんやないかとは思っとった。少しでも気い許した私がアホやったちゅう

事やろな」

「それってどういう事だよ。オレはただ放っておけなかったから,こうやって..」

「それが大きなお世話なんや!藤田くん,自分がこうもしつこくされたらどない思う?

私は何度も大きなお世話やってゆうたよな?それなのに全く聞く耳持たんかったんは

どこのどいつや?今回の件やて,私一人の問題や。藤田くんには何の関係もあらへん。

あまりに知りたがるから経緯は話したけど,それっきりの事や。もう一度だけ言うから

耳の穴かっぽじってよお聞いとき。これ以上私に構わんといて!ええか。これっきりや!」

「いやだ。あんな状況を見て放っておける奴なんていねえよ!委員長が屋上で聞いた事

だって自分の身に近い状況があったからだろう?オレやあかりや雅史や志保が。違うの

かよ?そうじゃなければあんな事聞く必要無えものな。委員長は口ではそう言いながら

結局自分の方から助けを求めているんじゃねえのかよ?」

「馬鹿にすんな!!」

 

とうとう委員長はキレた。だが,ここで引き下がったら全てが終わりだ。オレも委員長

に負けじと気力を振り絞る。

 

「私がアンタに助けやて?うぬぼれるのもいい加減にしいや!自分を救世主か何かと勘

違いしとるんやないやろな?そんなもの初めから私は求めてへんのや!アンタのは単に

親切の押し売りや。そうする事で自分が満足しているだけのことや」

「そうかも知れない。けど,誰だってそうして困ってる奴を見たら放っておけねえよ。

ましてや,本人も気付かないうちにヘルプを出してる奴に構うなって方が無理じゃねえ

かよ」

「よおゆうわ。そう私に言う事で自分はかなり優越感感じてるんやろな。自分で自分の

事が全く解ってない。この前一寸誉めたけど,あれ撤回させてもらうわ。解らないん

ならもう一度言うたる。アンタのは単なるチカン行為や。女がイヤがる事を無理矢理

やって自分が気持ち良うなってるだけのことや。嫁さんおるのになにやっとんねん!

恥ずかしゅうないんか!」

「...これだけは言いたく無かったけど,オレも言わせて貰う。委員長。今日,オレ

教室入る前に見たぜ。悲しそうな,泣きそうな顔していたよな」

「なんやて。何で私がそんな顔せなあかんのや。そんな訳無いやろ!」

「自分で自分の事が解っていないのは委員長の方じゃねえのかよ?そんなに悔しい思い

をしているくせに,それを無理矢理押し殺ちまう委員長の気持ちって何なんだよ?そう

やって自分で自分を騙して人の手を冷たく振り払ってまで突き進む生き方が保科智子の

生き方なのかよ!」

 

バシッ

オレの左頬に平手が飛んだ。委員長は興奮のあまり肩で息をしている。オレは自分でも

不思議な位冷静に彼女の目を見据えてた。薄笑いが漏れているのが自分で分かる。

 

「どうした委員長?口でかなわないとなると今度は暴力に訴えるのかよ?大した委員長

サマだな?え?」

 

それを聞いて身体に震えが起きた委員長は,もう一度オレに平手を見舞おうとした。

ガシッ

平手を見舞おうとした手首をオレは受けとめ強く握る。「痛!」という言葉を無視し,

オレは委員長のもう片方の手首も強く掴んだ。互いの鞄がバタバタと落ちる。

その体制のまま,オレは自分の顔をググッと委員長の顔に近づけた。それまで虚勢を

張っていた委員長も,さすがにオレのそうした行動は予想出来なかった様で,次第に

脅えの表情になってくる。

 

「..な,なんやの。こんな事するなんて。そっちこそ暴力に訴えようゆうんか?」

「...男のツラによくも手なんか上げやがったな」

「そ,それは藤田くんがそないな事言うからやないの。私は別に..」

「手え上げたからには,それなりの覚悟があっての事なんだろうな?ああ?」

「な,なんや急に豹変してからに。そ,そんな顔したってなあ,私は,わたしは..」

「グダグダ言ってんじゃねえよ!いいから一寸ツラ貸せや!」

 

オレは両手を放し,右手で委員長の左手首を掴み直す。自分の手首をさすろうとした

委員長は「あっ!ちょ,一寸やめ..」という声を上げるが一切無視だ。

そのまま左手で自分と委員長の鞄を拾い,オレは右腕にグイと力を込めて委員長を引き

回した。「来い!」。多少の抵抗はあったが,オレは無言のまま委員長の左手首を掴ん

で歩きだした。

 

◇    ◇    ◇

 

オレはいつもの公園まで来ていた。委員長の左手首は掴んだままだ。互いに無言ではあ

ったが,その頃には委員長も全く抵抗せず,オレに手を引かれるままになっていた。

近くのベンチに寄り,委員長の手を放す。「座れよ」そう一言言うと,委員長は素直に

それに従った。その脇にオレと委員長の鞄を放り出す。委員長はオレから視線を逸らし

て俯いていた。強く握られていた左手首を無言で摩っている。

オレは委員長の正面に立ち,しばらくその状態のまま見下ろしていた。

互いに重い時間が流れる。

 

「ゴメン」

「.....」

「申し訳ないとは思ってる。けど,あの場ではこうするしか無かった。女の子にこんな

事するなんて最低だってのはよく分かってる。言い訳しようも無い。だから,その事に

ついてはお詫びする。本当にゴメン。二度目のお詫びだよな。信じてくれねえかもしれ

ねえけど。本当,悪かった」

 

パシッ

今日二度目の平手が炸裂した。立ち上がった委員長は先程と同様の表情でオレに対峙す

る。怒った目には涙が滲んでいた。オレも委員長の目を逸らす事無くジッと見つめる。

そんな状態がしばらく続いた。

 

「..本当,最低な男や。ここまで最低な奴に会うたんはこれが初めてや。よおそんな

事いけしゃあしゃあと抜かすな。単にうっとおしいだけの男かと思ったが,根はまるで

チンピラや。私がどない思いしたか分かってんのか?」

「ああ,どんな思いをさせたかはよく分かってる。でも,オレにとってはそうでもしな

ければ委員長がまた心を閉ざしてしまうと思ったんだ。オレとしてもこんな手は使いた

く無かったし,自分が最低な事をしたのも分かってる。その事についてはどんな責でも

負うつもりだ。だから,心だけは閉ざさねえでくれよ。お願いだから」

 

一瞬,キッときつい目をして睨み返す委員長。しかし,それも次第に弱いものとなって

いく。最後は視線を逸らし,ポソリと呟いた。

 

「....やっぱりチンピラや。脅しを取り引きの材料に使おてからに...」

 

そう言うと委員長は再びベンチに腰を下ろした。オレは立ったままだ。そうして,いつ

果てるとも知れぬ静寂が二人の間に流れる。

やがて,委員長は口を開いた。

 

「...なんや,喉渇いたなあ」

「.....」

「聞こえなかったん?喉渇いたゆうとるんや。女の子がそう言うたら普通男の子が何か

買うてきてくれるもんやないの?」

「...分かった。何が飲みたい?」

「コーヒー」

「ホット?アイス?」

「この寒い時期にアイスな訳無いやろ。ホットや。それと全部入ってるやつな」

「全部入ってる?あ,砂糖とミルクか。へー委員長そっちの方が好きなのか」

「当然や。最近ある本当に砂糖無しのブラックなんかよう飲めへんよ」

「オレは委員長はそっちの方が好みかと思っていたよ。聞いといて良かった。じゃあ

買ってくるから一寸待っててくれ...本当に待っててくれよ?」

「ここまで来たら逃げへんよ。安心して行ってきいや」

 

オレはコーヒーを買いにその場を離れた。そうしている間にも罪悪感が自分を苛む。

理由はどうあれ,オレは委員長を脅して引っ張り回してしまった。果たしてそこまで

やる必要が本当にあったのか?どう考えてもやりすぎだったのではないか?だが,

そうしてしまった以上,ここから先は出来るだけフォローに入らなければならない。

やってしまった事を悩むより,これからどうすれば一番良いかを考えるべきなのだ。

オレは自分で自分に気合いを入れると,缶コーヒーを持って委員長の所に戻った。

委員長は約束通り,ベンチにポツンと座って待っていてくれた。

なんだかいつもより小さく見えた。

缶コーヒーを渡し,自分のコーヒーのプルを開ける。委員長もほぼ同時にプルを開け,

共に飲み出した。オレはいつも通り半分程開ける。委員長は一息つけたのか,いくぶん

柔らかい表情になっていた。しばらくそうしていた後,オレが気にしていた屋上での

一件について自ら語ってくれた。

彼女には中学時代からの大親友である男女二人の仲間が神戸に居る事。中学時代は委員長

も含めた三人で楽しく過ごしていた事。高校も三人一緒に行く予定が,両親の離婚で母方

に引き取られた為,泣く泣く神戸を離れてこちらに来なければならなかった事。それに

よって三人一緒の高校に行く事は叶わなかったが,大学は三人一緒に行きたいと思って

いる事。その目指す大学はレベルがかなり高いので,授業以外にも週4日の塾通いを

続けている事,そして,こちらの人にはどうしても馴染めず,早く神戸に帰りたいと

思っている事など,本当ならこんな形で聞いてはいけなかっただろうプライベートな

内容を,委員長はまるで事前に用意してくれていたかの様にオレに分かり易く説明して

くれた。

 

「藤田くんと神岸さんとが一緒になったのを知った時,実の所これで佐藤くんや長岡さん

との友達関係も終わりやろうなと思ってたんや。そうした男女を含む仲良しグループって,

誰かと誰かがくっついたら後は二人の世界を一直線やろ?藤田くん達もご多分に漏れず

そうやと思ってな」

「ま,まあ,一時はそうだったかもしれねえけどな。でも,今は回りを見回す余裕位は

あるぜ」

「うん,それに絡めた話しやけどな,それを見た時,元々疑うつもりや無かったんやけ

ど,神戸の二人もそう思う事あるんかなって,悪戯半分で女友達の電話の時に何気なく

聞いてみたんよ」

「...」

「私としては,当然『やーねー智子。そんな事ある訳無いやない』という返事が返って

くるもんと思ってたんや。そうしたら,それ言うたとたん,向こう黙りこくってなあ」

「...」

「こっちは『どうしたん?』と何度も聞いたんやけど,やがて『智子,隠していてかん

にん。実は..』って話しになってな。そっから先は頭真っ白になってしもて,そのま

ま電話切ってしもうてな」

「その翌日に,たまたまオレが屋上で委員長に話しかけたという事か?」

「その通りや。あん時は自分がどうしていいんか全然分からんかった。今まで私がこな

いに頑張ってきたんは一体何やったんかなあと思うたら,やたら物悲しゅうなってな。

正直,あのまま消えてしまいたいと思うた位や」

「おいおい,物騒な事言うなよ。じゃあ,たまたま声を掛けたのは結果的には良かった

という事か?」

「結果的にはそうかもしれん。藤田くんの顔見た時,即座に佐藤くんや長岡さんの顔が

浮かんでな,この男,そんな回りへの影響も考えんと,のうのうとカップル生活を満喫

してんのかと思うたらやたら腹立たしゅうなってなあ」

「だからこの話しになると徹底的に避けていたのかよ」

「そうや。憎たらしいと思うとる相手がそんな事執拗に聞いてくるんやもん。いっそ

どついたろかとも思うたけど,今考えるとこんなチンピラ相手やったら完全に負けてた

訳やなあ」

「おいおい,それは本当悪かったと思ってるし,勘弁してくれよ。その事でならいくら

でも頭下げるからさ」

「なら,もうこうした暴力は振るわんと約束出来るか?私だけやない,誰に対しても

やで?まさか神岸さんにもこないな事しとるんやないやろな?」

「そんな!してないよ。今回は本当魔が差しただけなんだ。本当にゴメン。申し訳なか

った。済まなかったと思っている。約束するよ」

「全く,そうは言うてもまた約束破る気やろ?既に一回破ってるもんな」

「いいんちょ〜」

「そないな顔するなや。冗談や。話し続けてええか?」

「あ,ああお願いするよ」

「ふふ。それでな,そういう訳で実際の所藤田くんの顔も見たく無い程やったんや。

そんな時,たまたま屋上で藤田くんと長岡さんとの会話を聞いてなあ」

「え!それってまさか」

「気付いてへんかったと思うけど,あの日結構近くに私居たんよ。二人とも大声で話

してるから筒抜けやったわ」

「でも,オレが上がった時は委員長が居なかったじゃねえか。何処に居たんだよ?」

「出入り口近くのベンチに居たの気付かんかったんか?最もヤボ用で上がるのが遅かっ

たんで,いつもの場所には既に人が居たんで仕方なくやけどな」

「....」

「長岡さんの話し聞いてて,正直胸が締め付けられる思いやった。あん人は凄い人や。

あの立場からあんたら二人を守っていこうなんて中々出来る事やない。私だって向こう

の友達に対して,そういう立場が取れるかと言うたら無理やとしか言えん。彼女,余程

あんたらに対して思い入れがあるんやろうな。私にはそうする事で,自分の存在意義を

確かめている様な気がしてならんけどな。かなり奥深い思いと一緒にな」

「..そうか...」

「まあ,そこん所は自分で考えや。その話しを聞いて藤田くんは随分と恵まれてると

思うたよ。恋人が居て,仲間に見守られて,それで居ながら私に害虫の如く付きまとう

この男って一体なんなんや!と思うとった。ホンマ真剣腹立ったよ。何も分からず長岡

さんに食うてかかってたもんなあ。こん時にチンピラやって気付いておけば良かった」

「...確かに」

「まあそうガックリすなや。それでも藤田くん,翌日には私にちゃんと謝りに来てくれ

たやんか。申し訳無かったって。それ聞いて,ああ,コイツちゃんと分かってるんやな

と少し見直したんや。女の私にキッチリ頭下げてくれたのも正直嬉しかったしな」

「そうか,それでオレが図書室で声を掛けた時,普通に対応してくれたんだ」

「それもあるし,こんなに回りに思われる藤田浩之という人物に興味が湧いたというの

もあったしな。私が心理学の本で調べ物をしていたのもその事でや」

「え?そうなの?」

「ウソや。そんな訳無いやろ。たまたまや」

「何だ驚かさないでくれよ。何か自分が分析されるのって正直ムズムズするぜ」

「まあ,いずれそうしようかとはマジで思うちょるけどな」

「いいんちょ〜」

「フフフ,まあこれで,藤田くんが私から知りたがってた話しは全部やと思うけど。

あーなんか一気に話たらお腹空いたわ。何か奢ってくれへん?」

「お安い御用だ。何でも言ってくれよ」

「高級レストランのディナーでもええんやな?」

「いいんちょ〜」

「冗談や。あれでええよ」

 

委員長はそう言うと公園の出口を指差した。そこには「いしや〜きいも〜」とエンドレ

ステープを流した焼きいも販売の軽トラックが通過する所だった。

 

「え!焼きいも?」

「そうや。ホラ!早く行かんと通り過ぎてまうで」

「あんなんでいいのかよ?もっと別のちゃんとしたモノでもいいんだぜ?」

「ええからええから。今一番食べたいんはアレなんや」

「分かった。一寸待ってろって」

 

そう言うとオレは再度使いっ走りとなった。

 

◇    ◇    ◇

 

さっきから委員長は焼きいもをパクついていた。自分で買ったものなのでオレもいくら

か食べてみたが,さすがに値段だけあって水分少な目のはっくはくで美味しかった。

さっきに比べるとイモのおかげか委員長の機嫌も大分良くなってきている様だ。そりゃ

そうじゃなきゃ困るよな。今時こんだけの量に二千円も取られちゃなあ..

 

「藤田くんはもう食べへんの?」

「ああ,オレはもういい。全部食べていいよ」

「そう?それじゃ遠慮無く。やっぱこの時期のこうした焼きいもは最高やな」

「なあ委員長。今度はオレの方からだけどさ,もし良ければ,少しづつでもオレ達と打

ち解けていかねえか?教室で見ていても,委員長完全に孤立無縁の状態だし,それだと

今回の様な班連中とのトラブルなんかも多いだろうし,良い事は無いと思うんだ」

「....」

「あかりや雅史となら話し易いと思うし,志保は..まあ向こうっ気が強い所が難点だ

けど,委員長が知っての通りだし,そうして話していく事で,少しづつでも回りに心が

開いていけると思うんだ。確かにこちらと向こうじゃノリは違うかもしれないけど,

ある程度は回りに合わせる事も必要だしさ」

「....そうやな。考えてみてもええかもな」

「そうか?あかりなんか凄く喜ぶと思うぜ。委員長みたいに頭が良くてピシッとした

女性に凄く憧れてるみたいだしさ。そうやっていけば,こっちの学生生活も結構楽しい

と思える様になると思うんだ。いつも勉強勉強ばかりで張り詰めてばかりじゃ本当疲れ

ちゃうものな」

「...正直,疲れたわ。何か,糸の切れた凧みたいなもんや。本当なら,一緒の大学

行くって今でも張り切って勉強してなあかん筈やのになあ。今日,塾やったんやで。行

きそびれてしもたわ」

「..そうだったっけ。ゴメン」

「もうええよ。正直,何となくどうでも良くなってきてるんや。あれから友達の所へは

連絡しとらんし。何度か家に掛かっては来てるらしいんやけどな」

「委員長...それなら,まずはその友達に会って話しをするのが先じゃねえか?電話

で話し辛いなら,直接会った方が..」

「分かっとるんや。その方がええのは私が一番よお分かっとる。けどな,中々踏ん切り

がつかんねん。今まで気軽に会えた親友達が急に遠い存在になってしもうた様でなあ。

会ったとたん『誰やあんた?』と言われるんやないかと思う事もあってなあ。最近もそ

んな夢見たしな」

「委員長..そこまで思い詰めてるなら尚更だよ。一度じっくり話しをするべきだと思

う。もしどうしても難しいなら,オレが間に立ってもいいよ。オレじゃ駄目ならあかり

でも..」

「ええよ。そんなこと藤田くんにさせられん。これは私自身の問題や。誰か人の手を借

りようなんて思うて無い。かんにんな。こんな話し聞かせてしもおて」

「何言ってるんだよ。そんな事言わねえで何でも言ってくれよ。力になるからさ」

「ありがとう。でもな,もう少し自分の力でやってみたいんや。長岡さんかて切り抜け

た事やろ?私かて出来る思うてる。もしどうにもアカンようやったら,そん時は藤田く

んに助けてもらうわ。それまではしばらく放っといてくれるか?」

「委員長,本当にそれでいいのかよ?」

「うん,今度こそ約束やで?その件についてはこちらから言うまでは触れんといてな」

 

委員長の寂しそうな笑顔を見て,オレは自分の無力さを痛感せざるを得なかった。

オレのやってきた事は,結果として委員長にこうした話しをさせただけに過ぎなかった

んじゃないだろうか。結局,委員長を余計悩ませる結果になってしまったんじゃないだ

ろうか。

 

「分かった委員長,今度こそ約束するよ。けど,普通にオレ達と付き合うのは別にいい

んだろ?オレはこれからも雑談でもいいから委員長とこうして話しがしたいし,それは

あかりも一緒だと思う。そうした付き合いはこれからも続けてくれよ。これはオレから

のお願いとしてさ」

「...そうやな。さっきそう言うた手前もあるしな。分かった。ええよ。これからも

よろしくな」

 

そう言うと,委員長は右手を差し出してきた。オレは一瞬何の事か分からずキョトンと

してしまう。

 

「どうしたん?こっちの方には握手の習慣って無いんか?」

「あ,ああそうか握手か。ゴメン一瞬分からなかった。それじゃ,こちらこそ」

 

先程とは違い,互いの合意の上で握られる二つの手。委員長の手は細く華奢で,そして

少し冷たかった。オレのゴツい手に比べて何て白く繊細なんだろう。

やがて互いに手を放し,軽く笑い合った。

 

「なあ,委員長。こういうの知ってるか?一寸した占いみたいなものさ」

「占い?何や?」

「この缶をこれからあのダストボックスに入れる。だけど手は使わずだ。入れば願いが

叶う。外れれば判らない」

「何で外れたら判らないなん?普通は叶わないのとちゃうの?」

「入れるのがそれだけ難しいって事だよ。それじゃやるから見ててくれ」

 

オレはこの前の夜と同様に,対象のダストボックスを目測して缶を地面に置いた。風は

無し。人も無し。条件としてはバッチリだ。

 

「なあ,それはええけど,何を占うんや?」

「委員長の事」

「え!私の何や?」

「委員長と,その友達との間がうまくいきますようにってね」

「な!藤田くんちょっと!」

 

委員長が何か言ってるが聞こえない。オレはダストボックスと缶の位置をもう一度確認

し,少し後ろに下がった。申し分無い。いける!

助走を付け,一気に蹴り上げる。

カン!

缶は夕暮れがかった空に高く上がり,一瞬夕闇と同化した。頼む,入ってくれ!

カコン

よっしゃ〜!!

オレは思わず委員長に向かって「やったぜ!」のポーズを取った。

それを見て委員長が笑う。

それは今まで見た中で一番の笑顔だった。


最終章『仲間』の「急転」へ続く....

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