薄井ゆうじの森
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『ゆきをんな』 戻る

あとがき

 自慢するわけではないけれど、僕は携帯電話を持っていない。ほとんどの日々を仕事場のコンピュータの前で過ごしているために、そういうものを持つ必要を特に感じないのだ。それにしても僕は生来メカ好きで、コンピュータもファクシミリもかなり早いうちから導入したし、そういえば十五年くらい前、初期のまだプリミティブな大型のワードプロセッサーをさして必要もないのに持っていたこともある。だから新しい電子機器は真っ先に買っても不思議ではないのに、どうして僕はポケットベルや携帯電話を持たないのだろう。


 きっと、縛られたくないのだと思う。自分の時間は自分のために使いたい。だから執筆中は電話の呼出音が鳴らないようにしているし、最近ではビデオ映画を観ているときや読書中もいっさい電話に出ない。そういう時間は自分だけのものだ。逆に言うと、僕が受話器を上げるときは私的な用事をしていないことになる。妙な話だけど僕は浴室やトイレに電話機を持ちこんで、「もしもし、元気ですかあ」などとやっていることがある。仕事や読書は私的で、入浴やトイレは公的な行為だとは言わないけれど、そういう些末な時間に関する僕のガードは案外やわらかい。街を歩いているときに胸ポケットに入れた電話が鳴ることに較べたら、排泄中に「もしもし」と答えるほうが僕には何倍も快適なのだ。


 昨今の恋人同士は、ポケベルや携帯電話、お休みコールやお早うコール、そして電子メールまでを駆使して、互いを縛りつけ合うことに狂奔しているように見える。まるで相手の動きを封じ込めることが愛だとでもいうように。これは恋人に限らず、家庭や会社などいろいろな局面で起きている現象なのではないだろうか。縛りつけること、そして縛りつけられることでしか得られない信頼感。そんな日々の、どこが快適だというのだろうか。


 この夏、「ゆきをんな」の校正刷りを持って、はじめての奈良を訪れた。静かな社寺を散策しながら林のなかで鹿の頭を撫でていたら、近くにいた人の携帯電話の呼出音が聞こえた。鹿たちは観光客慣れしていてその電子音には無頓着だったが、一頭だけ気の弱い鹿が呼出音に驚いて林のなかへ逃げ去った。近くの売店の人が、「あの鹿はいつも独りなんです」と言う。逃げ去っていく鹿の後ろ姿を見て、あれは僕だ、と思った。群から離れて生きることの、どこが悪い。そんな思いがこの小説の原動力だった。

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一九九七年八月 奈良東大寺参道にて   薄井ゆうじ

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