薄井ゆうじの森
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『樹の上の草魚』 戻る

あとがき

僕が小学生時代を過ごしたのは、茨城県水戸市にある周囲四キロほどの千波湖という湖のほとりだった。その湖をめぐる道路には当時、古い桜並木があって、僕は桜のトンネルをくぐって学校へ通い、湖で毎日のように釣りをしていた。そこには草魚などいなかったが、とてつもなく巨大な鯉がいて、それを狙って早朝から夕暮れまで、浮子を見つめていた覚えがある。この小説に出てくる沼は千波湖よりはずっと小さな沼なのだけれど、子供のころに親しんだあの湖のイメージがどこかに残っていて、それがこの話を書かせたのかもしれない。


 この小説は、その湖のほとりで、僕が小学生のときに書いたものである−−というのは嘘だけれど、潜在的に、あのときに焼き付けられた何かのイメージが、いまごろになって発酵してきたのではないかと思う。実際に小学生のころは、おちんちんが取れてしまう夢を何度も見て、往生したものである。近頃は見ないが、その夢は近年まで、くりかえし見ていた。夢のなかで「おちんちんが取れた」と気がついたときは、とても残念な気分になったものだ。やりきれないような、悲しいような、それでいてなぜか晴れ晴れとした気分だった。夢による精神分析では、こういうものをどんなふうに判断するのだろう。


 この小説は当初、『さよなら、おちんちん』という題名にしようかと思っていた。だけど、その題名では手に取りづらい方もいらっしゃるのではないかと考え直して、『樹の上の草魚』とした。失われていくものはいつも、悲しくて淋しくて美しい。長編はこれで三作目になるが、前二作の『天使猫のいる部屋』や『くじらの降る森』も、失われていくものへのイメージをどこかで追いかけていたような気がする。


 あとがきで自分の作品をこれ以上、あれこれ解説する愚は避けたいが、あとがきというものは書いてみるものだなあと思っている。というのは、前作のあとがきで「富士山の見えるログハウスが欲しい」と書いたら、「あげるわけにはいかないが、私のログハウスを使ってください」という方が現れたのである。それはカナダの太い丸太を使った巨大なログハウスで、天気のいい日は彼方に富士山も見える。最近は、そこをもっぱらの執筆場所として使わせていただいている。あとがきというものも、書いてみるものである。
 では次に何が欲しいかを書いておこうかと思ったのだけれど、さしあたって思い当たらない。とりあえずいまは、この長編を書き上げたことに満足している。

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一九九三年六月四日 清里のログハウスにて   薄井ゆうじ

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