薄井ゆうじの森
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『神々のパラドックス』 戻る

あとがき

この物語は科学の先端と、人間そのものの先端を描こうとした。
 最先端科学を題材にしたこの一連の短篇小説を書くために僕はあらゆる科学雑誌や文献を読みあさり、可能な限り現地取材を重ね、科学の先端で働いているひとたちに会ってインタビューをした。僕は日頃から科学的な事柄を知るのが好きで、特にその最先端で何が行われているのかに興味を持ちつづけてきた。サイエンス誌を定期的に購読し、テレビの科学番組を録画して何度も丹念に観た。それは小説を書くためなどではなく、僕の純粋な興味を満たすための、渇いた喉を潤すような行動だった。


 二年前、アリゾナのバイオスフィアUへ実際に行ったとき、僕は神々の創った仕掛けの緻密さと同時に、神々が背負い込んでいるパラドックスをも見たような気がして、それを小説にしたいと思った。もちろん、これらの短篇を書き進めるにあたっては、もう一度、最新の科学を調べ直さなければならなかったし、小説現代に連載している最中にも新しい発見や新説が山のように発表されつづけた。いま単行本にするにあたってゲラを読み返すと、たった一年前の情報なのにすでに古めかしくなりつつあるものもあって、科学の進歩の急速さに驚かされる。


 ここに書かれた短篇小説はそれぞれ、「遺伝子」「考古学」「惑星衝突」「超超高層ビル」「ナノマシーン」「細胞の冷凍保存」「バイオスフィアII」などを題材にしたものだが、資料を調べていくうちに座標軸のない空間に放り出されたような、それでいてわくわくするような感覚を何度も味わった。そうした事柄を出来る限り誰にでもわかるように、しかも見えない未来の部分を僕自身の想像力ですこし補いながら、日本に伝わる民話などとリンクさせて描いてみた。最先端のなかには必ず古いものが混じっていて、それが先端を支えているのだと思うからだ。それにしても科学って、なんて面白いんだろう。ああ、僕は科学者になればよかった。そうすれば僕は、僕の神々に出会えたかもしれないのだ。


 物理学や科学の先端、数学や幾何学の先端、そして医学や動植物学や考古学の先端など、いまあらゆるものの先端が接近しつつある。それらの先端がたどり着こうとしている場所にはすぐそばに芸術や哲学があり、ひとびとはそこに神の姿さえ見はじめている。僕は自分の書く小説をノンジャンル、あるいは境界のない小説だとしているが、世界のあらゆる先端がノンジャンルになりつつあるのは好ましいことだと思っている。閉鎖された場所だけから見ていると、それ自体の生み出すパラドックスから抜け出せなくなってしまう。科学も宗教も芸術も、臆せずにその境界や壁を取り壊すべきなのではないだろうか。いや、壊さなくてもいい。風通しのいい、周囲から見えやすい透明な壁を築いて、科学者も宗教家も芸術家も壁を越えて自由に出入りすればいいのではないかと思う。異分野への散歩が済んだらまた透明な壁のなかに戻ってそれぞれの仕事に没頭するのだ。


 僕のように無知な者が小説で先端科学を扱うというのは無謀というか、科学に対する冒涜なのかもしれない。この小説のなかで僕は科学を、僕なりの言葉に書き換えた。だからそれぞれの専門家が読めば矛盾している部分も散見できるのではないかと思うけれど、すべてを正確に書き示すには膨大な紙数を要するし、それはこの小説の目的とするところではない。あくまでも科学の先端を通して見た人間を書くための手法であり、文中の矛盾点はそのまま、現在の人間や神が抱えているパラドックスであると思ってお許しいただきたい。
 これを書くにあたって多くの文献や科学雑誌あるいは科学番組を参考にさせていただいた。特に科学雑誌『クォーク』には多くの題材を得た。先端の科学を誰にでもわかりやすく説明する手法を、そこから学んだように思う。ここに出てくる大学、研究所、団体、そして個人名はすべて架空のものです。

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一九九六年十一月 臨海副都心のレストランにて   薄井ゆうじ

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