薄井ゆうじの森
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『寒がりな虹』 戻る

あとがき

 この物語は──いや、そんなことを詳しく書くために、あとがきがあるのではない。ここで語り尽くせるなら、本文の小説は要らない。では何のためにあとがきがあるのか、実は僕はよくわからない。本文とあとがきは互いの領域を脅かさない位置に存在し、しかしながら精一杯その存在を主張し合うような、そんな拮抗した関係にあるのではあるまいか──という考察さえ、あとがきにおいては無意味だ。あとがきよ、いったいお前は何者だ。


 僕は旅が好きでよく出かけるけれど、旅先でメモを取ったりそのとき手に入れた資料などを保存しておくことはほとんどしない。印象の強い出来事や場所は必ず覚えているはずだし、忘れ去るものはただそれだけのものでしかなかったのだから。行ったミュージアムのパンフレット類を大切にとっておいたり、消費した金額や行動の子細な記録を残したりすることに意味を感じないし、旅のあとの作文も必要ない。記録するための旅は不毛だ。旅はそのまま、単体で屹立する。


 小説は、長い旅に似ている。それが終わったあとに書くあとがきは、旅の感想文に似ていて落ち着かない。僕は小説の取材のための旅を、ほとんどしたことがない。そのくせ、あとがきを書く、ただそのために旅に出たことは何度もある。為にする旅。つまり日記を付けることを目的に生きているみたいなことをしているわけで、さっきまでの論旨はここで一挙に崩壊する。僕の神経は破綻し、ぶち切れているのかもしれない。些細な理由が僕を旅に誘うのだ。たとえば、あとがきのため。車のトリップメーターをジャスト六万キロにするため。方位と気温のわかる腕時計を買ったため。国際電話無料カードをもらったため。いま僕がアメリカに行こうかどうしようか悩んでいるのは、あるレストランの「ガラガラ蛇料理、五ドル割引券」をもらったからだ。有効期限はあと一か月。たった五ドル割引のためにアメリカへ行くか? だが僕にとってはそういう些末なことこそが旅の衝動であり、旅を支える原動力になる。


 取るに足りない些末な理由以外、旅に出る積極的な目的など見あたらない。小さな理由こそが、ひとを移動させる。大きな動かし難い理由は、ひとをその場に留まらせるためにある。この『寒がりな虹』に登場する人物たちは一様に、些細なきっかけで移動し旅をつづけ、そしてその果てに大きな理由を――いや、よそう。あとがきよ、きみは僕に何をさせようというのだ。

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一九九八年九月 佐渡島一周の旅先にて 薄井ゆうじ

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