薄井ゆうじの森
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『満月物語』 戻る

あとがき

 僕はこの物語をバスク地方への旅の途中で書きはじめ、東京で書き終えた。ワープロを打つことに疲れると深夜、外に出てしばらく月を眺めた。日を追って連続的に月を眺めるなんて、はじめての経験だった。書き進めるうちに月は満ち欠けし、それに呼応するようにこの物語も進行した。登場人物の科白のなかにも出てくるけれど、僕は見たことのない場所が存在するのをすぐには信じることができなくて困っている。だから旅をするのだと思う。アメリカやバリ島やスペインやドイツ、そこへ行って地面に手を触れて、「ああ、確かにここにある」と思うと、とても安心する。そういう意味で月というのは僕にとって、行ったことはないのに実在感のある場所だった。いつでも行ける、というような気がするのだ。 *
 スペインで見る月も東京の月も同じだった。世界中のどの町にいても、月を見ると日本的な風景だと感じるのはなぜなのだろう。太陽だとそうはいかない。強烈な太陽の国もあれば、消え入りそうな日の出の国もある。月が世界中どこにいても同じように見えるのは、月が共通の分母を持っているからではないだろうか。月の分母? 自分で書いてみてよく理解できないけれど(笑)、つまり月は鏡のような役目を果たしていて、共通の何かを映し出す役割をしているのではないだろうか。浄化作用と言ってもいい。でもこれについては、これ以上ここには書かない。物語を参照のこと。


 数年前、僕はある山のなかで皆既月食を体験した。そこは周囲に人工の明かりがまったくない標高千五百メートルくらいの真っ暗な森だった。月がすべて欠けたあと、地球光を浴びたオレンジ色の淡い月が暗い森の上にあって、僕は少なからず動揺した。自分がいま立っている場所がどこなのかわからなくなってしまったのだ。ここは地球だ、そう自分に言い聞かせるのだが、実は月の上に立ってそこから地球を見ているのではないかという気持になってしまったのだ。本当に僕はその瞬間、月にいたのかもしれない。月は、ひとを惑わせる。


 この作品は既刊『竜宮の乙姫の元結いの切りはずし(講談社文庫)』と併せてお読みいただければと思っている。一方は浦島太郎の、そしてこの『満月物語』はかぐや姫の物語が底流にある。これらの作品を僕は「根も葉もない実話」と名付けているけれど、機会があればまた別の、根も葉もない実話シリーズを書いてみたいと思っている。

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一九九六年十一月 月の下で   薄井ゆうじ

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