薄井ゆうじの森
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『北陸幻夢譚−異界の恋人たち−』 戻る

あとがき

現代の、等身大の男女を登場させた新しい民話のようなものを書いてみたい。そういう思いがずっとあった。もしかしたら物語とは、古いものを含んだ新しい世界を指すのではないだろうか、そんなふうにも思っていた。
 神話に似た物語の原型のようなものはすでにあって、僕たちはそれをなぞるように生きているだけなのではあるまいか、何の根拠もないけれど、そんなふうにも思っていた。たとえば恋人たちは新しい恋を求めて時代の真っただ中にいるけれど、恋というものの原型はすでに何千年も前に確定しているのではないか。そういう畏れに似た思いが、僕にこの一連の短篇を書かせたのかもしれない。


 ここに収録された「現代の奇譚」は、石川・富山・福井の北陸三県に残っている民話や伝承などに題材を得て、それを現代の舞台に移し、現代に生きる人間を登場させて僕なりに創作したものだ。だから元になった昔話は、ほとんど原型をとどめていない。かつては赤く燃えさかっていたものの熾き火のように、民話はストーリーの底流を支えているだけである。
 登場する恋人たちは異界からのメッセージを、ある者は暖かな光としてすがるように求め、ある者は奇異なものとして畏れる。現代の恋人たちは、数百年も前の恋人たちと同じように何を畏れ、何にすがろうとしているのだろうか。


 北陸は泉鏡花をはじめとする多くの文学者を輩出した土地でもある。僕はその地を訪れ、縁あって北陸で発行されている「アップルタウン」という雑誌に、北陸の民話をベースにした物語を二年半にわたって連載することができた。連載中はあわただしく書き進めたが、それを今回じっくりと加筆修正して一冊にまとめることになった。
 民話を乗り越えようとしたわけではない。古いものは神聖で、乗り越えることのできないものだと僕は思っている。ただ、民話の持つ美しさや悲しさや淋しさや残酷さや暖かさや……、そういったものがもし現代にもまだ残っているとしたら、それをこのようなかたちで切り取れないものかと思ったのだ。


 僕の好きな話に、こんなエピソードがある。エジプトだったか、考古学者が紀元前二千年頃の遺跡を発掘して碑文を見つけた。苦労してその文字を解読してみると、そこにはこう書かれていたという。『近頃の若者は、なっていない』何千年も前から、新しいものは古いものの眉をひそませつづけてきたのだろう。
 北陸に残る美しい民話を、このように現代のものと解釈して、物語そのものまで大きく書き換えてしまったことで、先人は眉をひそめるかもしれない。だがこんなふうにして、物語は自由に、果てしなく変化しつづける性質のものなのではないかと僕は思っている。


 だいぶ以前のことになるけれど、東北のある村で、二千話ちかくの昔話を記憶しているという老婆を取材したことがある。その村は昔の街道が交差する場所にあって、東西の旅人の交流点でもあった。一夜の宿をとった旅人たちが残していった全国の民話がその村に代々語り継がれて、いまはその老婆一人が語り伝えているという。
 いったいその老婆はどのようにして二千もの話を記憶しているのだろうか。不思議に思ったが、老婆は木の小枝を山のように集め持っていて、話を語るとき、その小枝の山から一本取り出して、それを見つめながら話すのだという。小枝が記憶しているのだ。小枝の形状、重さや大きさ、そういうものを見ながら話を思いだすらしい。つまり老婆にとって一本一本の小枝は、昔話の原型なのだ。


 この短篇集は僕がつくった、三十本の新しい小枝です。ここにある三十の物語が、読んでいただいたがたの心のなかに小枝のように記憶されて、小さな明かりを灯すことができればと思っています。

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一九九五年九月 旧軽井沢の別荘地にて   薄井ゆうじ

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