薄井ゆうじの森
TOPプロフィールオンライン小説舞台・映画アトリエリンク集森の掲示板メール



『透明な方舟』 戻る

あとがき

父親が警察官だったので、転勤が多く、僕の家は頻繁に引っ越しをした。僕の記憶にないものまで含めると、なんでも二十四回は引っ越したのだそうだ。そういうわけで僕は筋金入りの転校生だった。作家には、父親が警察官だったというひとが多いと聞く。具体例は挙げないけれど、「ああ、あのひとの父親も警察官なのか」と思う作家は、僕の好きな小説を書いていることが多い。思うに、それは『転校生』という共通項が、何らかの作用をしているのではあるまいか。そういうものに法則性を求めるつもりはないけれど、警察官の息子は、作家になりがちである。


 そういうわけで僕は転校生特有の、根無し草的な、友達がいなくても大丈夫という性質を、早いうちから身につけてしまった。なにしろ朝学校へ行くときに、「今日は電車に乗って、ここへ帰って来るんだよ」と、新しい引っ越し先の地図を持たされたこともある。それが良かったのかどうかはわからないけれど、打たれ強いという性格も、そこから培われたのではないかと思っている。僕は、いじめについては、めちゃくちゃ打たれ強かった。というのは、明日にはもう、まったく知らない町の知らない学校へ通うかもしれないのだから、つらいことも悲しいことも、すっかり許せてしまうのだ。
 余談だけれど、いま、いじめにあっている子供たちに言いたい。友達なんかいなくたっていいのだ、そして、ひとと同じでなくてもかまわないのだ。それさえ親や先生がしっかりと教えてあげれば、子供たちはもっと気が楽なって、追い詰められたりすることもなくなるんじゃないかと僕は思う。


 さて、僕はさっき、つらいことも悲しいことも、すっかり許せてしまう、と書いた。転校というのは、そういう浄化作用がたしかにある。だが反面、楽しいこともそこに置いていかなければならない。きらきらするような日々を、いままでの場所にきっぱりと置き去りにして、新しい学校へ行って、まるで生まれ変わったように見知らぬ生徒の前で教壇に立ち、「自己紹介」をするのだ。そんなふうにして僕は、何度も過去を捨ててきた。
 そのひとつ、東京の赤羽での四年間の僕の幼年時代は、いま思えばきらきらと光っていた。そんなことはすっかり忘れていたのに、歳月を経てふっと浮かび上がってきた思いが、いくつかの短編になった。都市は古いものを呑みこみながら容赦なく進化していく。だがその背景には必ず古い時代の、都会の精神というべきものが残っていて、僕はそれをあっさりと捨て去ってしまうことができない。たとえ転校生であっても、忘れてはならないものがあるような気がするのだ。


 ここにまとめられた四作は、いずれも新しい都会と古い町とを対比させようとしたものだが、四篇とも僕のなかの思い入れが異なっていて、それぞれに愛着を持っている。特に赤羽を題材にした『残像少年』は、僕が幼年の時に見た赤羽をもとに後年、資料で補足しながら記述したもので、それが第五十一回小説現代新人賞を受賞してデビュー作となった。また『透明な方舟』は、四篇のなかではもっとも最近の作だが、新しいものと古いものとの融合が、新しいかたちで描けたのではないかと思っている。


 ひとはすべて、「転校生」なのではないかと思うことがある。時間とともにひとは変遷し、日々、新しい世界を体験しつづけている。留まっていることなど、誰もできない。僕は学校を卒業すると都会へ出て、いろいろな職業を転々とした。日雇い生活やイラストレーターを経験し、デザイン会社を経営したこともあった。そしていまは小説を書きながら日々を過ごしているのだけれど、まだまだしなくてはならないことがたくさんあるような気がしている。ちょうど一年前、僕は彫刻をやってみようと決心した。作家兼彫刻家という意味で、ある編集者から『彫説家』と銘々して戴いたのだけれど、彫説家宣言をしてしまった手前、最近はそのためのアトリエを借りて、すこしずつ彫刻にも取り組んでいる。
 もちろん僕にとって小説は生涯の「母校」になるはずだ。だけど、それ以外のさまざまな創作へも、たまには「転校生」気分で、ちょっかいを出してみたいと思っているのである。

------------------------------------------------
一九九五年一月三十一日
彫刻製作のために借りた東京のアトリエにて  薄井ゆうじ

戻る
   
Copyright(c) USUI YUJI FOREST All Rights Reserved