薄井ゆうじの森
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『ドードー鳥の飼育』 戻る

あとがき

五月の日本を離れて、初秋のオーストラリアへ行った。最近の僕は海外へ行くとき、突然思い立って突発的に「えいやあ」と旅立つことが多い。もちろん飛行機に乗るのだから予約もなしにフライト間際、いきなり駆けこむわけにはいかないが、急に思い立って旅行代理店に電話をかけて「どこへでもいいから、いますぐ取れるチケットをください」などと言ったりする。僕の旅は、ほとんど発作的にはじまる。


 そんなわけで今回は偶然に取れたチケットがたまたまオーストラリアだったわけで、前日まで徹夜がつづき、出発当日、空港の売店で買ったガイドブックを機内でぱらぱらと読んで、「ふーむ、こんなところへ行くのか」と、はじめてケアンズという町の場所を知ったのだった。オーストラリアではコアラを抱いてカンガルーの頭を撫で、グレートバリア・リーフでシュノーケリングをし、熱帯雨林で野生の動物を観察し、巨大な蟻塚を見て、夜の森を探検し、カンガルー肉のシチューやクロコダイル肉のフライやラクダの肉団子やエミューの焼き鳥を食べた。ガイドブックにはそのなかのいくつかはもう体験できないかもしれないと書いてあったが、僕はそのすべてを体験した。もちろん合法的に。


 知らない土地へ行くのが好きだ。そこが町であれ荒野であれ絶海の孤島であれ、知らない場所に立つと創作の原点をそっと揺り動かされるような感動がある。僕のスーツケースのなかにはいつも旅の道具が詰めこまれていて、そこに新しいシャツを、二、三枚放りこめば、どこへでも行ける。そう、いつでもどこへでも行けると思うから、締め切りが重なって徹夜の日々がつづいても、僕は世界地図や愛用の黄色いスーツケースを眺めるだけで旅の気分に浸れる。旅の入口に立てる。


 この短篇集は、不条理小説と僕が勝手に名付けて、いくつかの雑誌に掲載したものを集めた。数年前に書いたものから、つい最近書いたものまで入り混じっているけれど、ひとつひとつの短篇は、そのまま見知らぬ世界への旅の入口になっているような気がする。この短篇集は、僕のスーツケースみたいなものだ。そしていま読み返して、妙なことに気がついた。ここに収録された短篇はもちろん、一作ずつ独立して完結しているのだが、互いが微妙にリンクしているようにも見える。たとえばある短篇の脇役が、別の短篇の主人公ではないかと思えたり、ある動物が別の短篇では、この動物に姿を変えているのではないかと思えたり。あるいはある短篇の少女が、別の短篇で名前こそ違ってはいるが成人して別の女性を演じているのではあるまいか。などという微妙な関連というか、リンク関係が見えてきて、もちろんそんなことを計画して書いたわけではないが、こうして短篇群をならべてみると、偶然にも全体が緻密に仕組まれた長編小説のように思えてくる。


 これは何なのだろう。と考えて思い当たった。一作ずつは独立した樹木でも、全体は竹林のように見えない部分で地下茎によって連結されているのではあるまいか。その地下茎はたぶん、僕が無意識に張りめぐらせたものだ。この短篇集を読んだひとが、僕と同様にその地下茎に気付くのかどうか、それはわからないが、僕はそのことに、ものすごく興味がある。オーストラリアには袋を持った動物がたくさんいる。種は異なるのに、ほとんどありとあらゆるといっていいほどたくさんの種類の動物が腹に子供を育てるための袋を持っている。この短篇群に出てくる人物や動物、そして事象に至るまでが、それと同じようにさり気なく袋をぶら下げている。地下茎というのは、そんな意味だ。なぜ袋を持っているのか、なぜ地下茎でつながっているのか、僕は知らない。知ろうとはしない。地下茎を暴こうとすれば、竹山は枯れてしまう。

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一九九八年五月・オーストラリア・ケアンズにて 薄井ゆうじ

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