サハリン紀行第2部 | |||||||||||||||||
8月24日(日)デミートリィ青年 | |||||||||||||||||
2:10と4:00に目が覚めました。その途中で地震の夢を見ました。体がガクガク揺れていて、目が覚めてもやっぱり揺れていました。上段は揺れが大きいのです。 7:30に停車した駅で沢山の人が降りました。(たぶんドゥイモフスコエ) 8:10かみさん起床。交代でトイレに行き、顔を洗います。この列車のトイレは金属製で、比較的綺麗です。しかし足下に雑巾の入ったバケツが置いてあり、まるで物置です。 9:00、相変わらず下のテーブルはオバサンたちが占領しています。食事をとるスペースがないかどうか、かみさんが探索に行きます。そして隣の車両のトイレの前が比較的広いという報告が来ました。列車を縦断してみて、連結部に大きく溝がある車両があって怖かったと言っていました。そうやって苦労して調べてきた場所ですから、多少の問題があってもそこに決定です。 11:15、車掌がシーツを取りに来ました。寝ているかみさんを起こし、枕カバー・シーツ・毛布カバーの3点をはいで渡します。(このシーツ代は別途取られます)列車の中も降りる準備でざわざわし始めました。11:50、ノグリキ駅に着きました。
旅行者のパンフレットには「少数民族ニブヒ族と交流」などと書いてありましたが、どこに行けばその集落があるのかなどという説明などありません。看板や表示のたぐいはまったくないのです。あるのは埃の立つ泥道だけ。 私たちは何かノグリキについての情報がないかと売店の売り子のまだ若い女性に「ウ・ヴァス・イェスチ・ノグリキ・ギッド?(ノグリキガイドはありませんか?)」と聞いてみましたが、彼女は首を横に振るだけでした。外の風景からして観光地ではないことは一目瞭然ですから、それはそうだろうな、と思います。 となりの長椅子にはロシア人の子どもたちがいて、3歳くらいの子が袋入りのスナックをばらまいています。それを5歳くらいの兄らしい子がひろっていました。それでもまだばらまくので、兄は弟から袋を取り上げました。すると弟は暴れて泣き出しました。そこへ帰ってきた若い母親が、兄の方を叱ります。どこにでもある風景でした。 食事の後、炭酸水で歯を磨き、白樺林の中で昼寝することにしました。草の上に寝転がると青空に羊雲が流れていきます。日差しは強いけど木陰は涼しく、風も気持ちいいのです。
午後3:30になりました。もう帰りの準備をしなければなりません。真っ先に用意するのは食料です。今夜の分と明日の朝の2食分が必要です。私たちは再度長屋の食料品店に入りました。今度はさっきよく調べなかった一番奥の店で、ここにはご飯と少しのおかずを詰めたランチパックがありました。そのパックと、ピクルス・サラダ2種・鳥もも肉・ビール2缶・水の2リットルボトルです。かなりの荷物になりました。 午後4時を過ぎると、どんどん乗客が集まり始めました。4:30に搭乗開始。 そう言うことになったので、よっこらしょと腰を上げ、荷物を抱えて隣の3号室に移動します。すると、そこには二人の大柄な青年がいました。片方はあか抜けたスポーツシャツの白人男性で、いかにも西側(この言葉も死語か?)のサラリーマンっぽく見えます。細い銀の眼鏡もインテリ風です。もう一人はロシアの青年のようでした。 6時頃、来るときと同じ場所で夕食にしました。それから私は、いつウォッカを飲もうか考えていました。最初、テーブルの上に水のボトルといっしょにウォッカの瓶を置いていたのですが、パトロールの警備員に「そんなもの出すな!」と怒鳴られてしまい、あわてて座席の下の荷物入れに放り込んでいました。
少しするとコンパートメントに髭の男性が顔を出し、眼鏡男性を呼びました。眼鏡氏は髭氏について出ていき、そのまま帰ってきませんでした。
私は消灯と同時に爆睡してしまいました。
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8月25日(月)謎の花束 | |||||||||||||||||
翌朝、5:20に一度起き、トイレに行きました。完全に二日酔いです。足下がぐらぐらします。窓の外はすでに光にあふれ、上天気です。 7:30、みんな起き出しました。すぐに車掌が来てシーツをはいで渡します。顔を洗っているともうユジノサハリンスクに入りました。駅への到着は8:10でした。同室の二人は早々と支度を済ませて降りていきました。グレゴーリィ君とは「あなたに会えて楽しかった」と言い合って、握手して別れました。眼鏡さんの方は、昨夜グレゴーリィから「彼はドイツ人だそうだけど、ロシア語も英語も完璧だね」と聞いていたので「CIAじゃないの?」と私が応えた経緯もあり、「アウフビーダーゼン!」と言いました。眼鏡氏は苦笑いのような妙な顔をしていました。ドイツスパイならCIAじゃありませんが・・・ 乗客の最後に近く、列車を降りました。ひとまずロビーに腰を下ろして朝の駅を見回します。雨の日に来た時より活気があります。どこからか鳴き声がして、椅子の下を覗くと黒い子猫がいました。夕べの残り物のチーズをあげると、勢い良く食べましたが歯に引っかかってもがいていました。 駅舎を出て、レーニン像を左手に見ながらロータリーを横切り、コムニステーチェスキー通りを北へ歩きます。なんとなく町の様子が変です。まず、一緒に道を歩いていく人々、特に女性が手に手に花を持っています。ユジノサハリンスクが70年代のサンフランシスコになったみたいです。
歩いていて喉が渇いたのでチェーホフ劇場の前でベンチに座り、水を飲みました。ベンチの周囲には酒瓶が散乱していて、昨夜の宴会が偲ばれます。町中の至る所に酒瓶が落ちている町というのもロシアらしいのです。
この日と明日は自由行動です。とはいえ、格別観光に行く予定もなし、サハリンの休日をぶらぶら過ごすことにしています。 少なくともこの店は目の前で職人が握っていて、海外でよく見る冷凍物を解凍しただけの握りではありません。サバを再注文し、ビビンバを食べて、店員のお兄さんと記念写真を撮りました。このお兄さんはかみさんが歯磨きしている間に隣の客の食器を載せたお盆を落として大惨事になっていました。 食事の後、午後3時に勝利大通りを駅側に下ってドムトルゴーウリ百貨店を目指します。日差しが強いので途中の公園で休憩しました。この時、一緒のベンチに座っていたのは高校生ぐらいの不良少年たちで、大柄の男子はスキンヘッド、小柄の女性は厚化粧でした。でも日本のヤンキーみたいに凄みはなく、なんとなく可愛いのでした。
この後は、日本領土時代の遺物を使った郷土博物館でしばらく休憩し、遊ぶ子どもたちを見ていました。
それから午後4:20、ホテルへ帰り、洗濯してビールを飲みました。夕食は7:30、就寝は10:30でした。 |
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8月26日(火)ボルシチを食べに | |||||||||||||||||
サハリン滞在最後の日。でもやっぱり何の予定もありません。決まっていることといえば、おみやげを買うことだけです。 5:30に一度起き、7時頃に起床しました。かみさんは7:20起床。 空は曇り。テレビをつけてみるとNHKの衛星放送が映ります。 夕べも街のあちこちでピーピーとかウィウィウィとか音が鳴り続けていました。ホテルの窓から観察していると、どうやらあの音は車につけられた警報装置の鳴る音だったようです。車に人が近づくと自動的に警報が鳴るのです。車が貴重品であり、盗難も多いのでしょう。ひっきりなしに聞かされる方は迷惑千万です。 8:00に朝食に降ります。しかし怖れていたことが起こりました。大勢の日本人ツアー客がいて、大混乱になっていたのです。 10:20、散歩しつつロシア料理店「スラビヤンカ」を目指します。ロシアに来たからには、ぜひともボルシチを食べたいからです。
ところが、それらしい場所に来ても何も見あたりません。路地裏まで探しましたが見つかりません。3組の現地人を呼び止めて訊ねましたが、誰も知りませんでした。
ボルシチを食べる計画は頓挫しましたが、もう12時に近かったのでここで昼食にしました。内容は、イカの炒め物・豆腐・昆布の佃煮の3品に、ライスとビールでした。
この日の夕食は、元アスカにあったロシアレストランに決めていたので、午後5時に出かけます。30分歩いて行ったのに、なんとその店は休みでした。むかつきます。
午後6時、ガガーリン公園の中のレストランに来ました。しかし表示を見るとオープンは7時です。もう歩き回るのはいやなので、店頭のベンチで開店を待つことにします。すると怪しいオジサンがやってきてドアをガタガタさせたり、何かブツブツ言ったりしていました。そしてこちらを向いて「まだ開かないのかねえ」と言うようなことを話しかけるので、英語で「1時間ありますよ」と応えると黙って去っていきました。
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8月27日(水)帰国 | |||||||||||||||||
これ以降は蛇足ですので、簡単に経過を書いておきます。 6:45起床。 サハリン弁当とカップ麺、ビール・紅茶で朝食。 7:25、ロビーへ降りる。すぐアリオナさん来る。ワゴン車でコルサコフへ。町中パトカーが駆け回り、交差点ごとに警官が立っている、ものものしい警戒。 アリオナさんこう言う。 「知っていますか?サハリン州知事がヘリコプター事故で亡くなったんです。今日、葬式があるので、プーチン大統領がやってきます。それで警戒が厳しいのです」 これで州庁舎の花壇の謎が解けました。しかしこの後、日本に帰ってからあるテレビで、 「州知事は一時行方不明になっていて、それをロシア第一の超能力者グレゴリィ・グラバヴォイ氏が霊視し、ヘリの墜落現場を発見した」のだという裏話まで分かりました。 8:20、コルサコフ着。すぐに税関を通過。アインス宗谷に移動。前と同じコーナーを占領。 午後2:10(日本時間)、稚内着。フェリーポートから歩いて市内へ行き、北海道銀行でドルを円に両替。 8月28日(木)
7:20朝食。9:20、チェックアウト。防波堤ドームへ送ってもらう。
11:20、「タカララーメン」に入り、昼食。徳光アナの写真あり。
12:40、エアポートバスで稚内空港へ。午後1:40、全日空572便で帰宅。 サハリン、決してお奨めではないのですが、北海道のすぐ側にヨーロッパがある、という驚きは感じられます。稚内直通往復便がとれるなら、行ってみる価値はあります。 |
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