先プリウス時代(3)

プリウスオーナーへの試練の日々

さて、プリウスが来るのはまだまだ3ヶ月も先の話である。予想はしていたが、えらく時間がかかるものだ。自分では相当早く予約したつもりだが、世の中もっと手の早い人がいるのだろう。

こういう新種の車を買うのだから、さぞウキウキしていたのでしょうね、とお思いのことだろう。ところがどっこい、実はプリウスのオーナーになるというのは、迫害にも似た大変な状況をくぐり抜けなければならいのである。

まずいけなかったのは、あらゆる情報網を駆使して、プリウスの情報を調べた事である。何でもそうだが、物を買ったらその関連の情報はその後出来るだけ見ない方がいい。パソコンなど、せっかく買った機種がすぐにロートル化したり、値段が半端じゃなく下げられたりしていて、全く気分が悪くなるものである。

発表後徐々にでてくるようになった試乗記のようなものはとりあえず全部調べた。基本的にはどの記事もべた褒め状態だが、大枚をはたく身としては、いかなるネガティブなコメントにも神経質になってしまう。総じて、ブレーキとハンドリング、そしてコーナリング時の踏ん張りのなさあたりが問題になっている。肝心な燃費のほうも、実際はリッター14キロぐらいだという話らしく、これも心配なところであった。

インターネットの掲示板で知ったのだが、女子高生のプリウスの印象は「格好わる〜」と言うものだそうだ。まぁ援助交際をするわけでもないので、こんな事はいっこうにかまわない。また、シートの出来が悪く疲れやすいと言った評論家、乗っていて何ともつまらないと語ったOLなどのコメントが並ぶ。ある雑誌のモニターの中年紳士は、プリウスはカローラと同じで、自分の乗っているセフィーロの方がいい、とまで言っていた。4年も前の設計のクルマに負けると言う批判は、何とも厳しいではないか。いやはや自分の金で買わない人は、実に気楽なもんである。

踊る阿呆に見る阿呆

そうこうしている内に、ベンツを2年ごとに乗り換え、ふたりの娘にBMWとVWGolfを購入する兄からは、「おまえも物好きだな。新しものは、故障が多いぞ。」と脅されるし、物理学者の友人からは、「バッテリーがもつのかね。まぁせいぜい頑張って乗ってくれ。」と言われるし、周囲から冷たい視線がきびしく向けられるにいたった。こうなってくると、さすがに楽観的な私としても、実物や実際の評判を見ないでこれほど新しい機構のものを買うのは、やはり無謀だったのかと、後悔の気持ちがふつふつわいて来た。

こうやっていろいろな人間の話を聞いてみると、大半の人は環境なんかに関心はないんじゃないかという気がしてきた。極端な例ではあるが、「あなたが一生懸命減らしたCO2の分で、私ががんがんガソリン使って走りまくりますよ。」とまで言ってきた人もいるぐらいである。なんかもう絶望的な気分である。

追い打ちをかけてショックだったのは、トヨタがハイブリッドでないノーマルエンジンのプリウスを売り出すという噂だった。おいおい、それじゃ話が違うじゃないの。ひょっとしてトヨタも自信がないじゃないのかと思い始めるに至って、心配は極限に達してきた。

しかし、思えばこういう自体は最初から予測済みだったことである。某コンピュータ会社の宣伝"Think different"ではないが、人と違う新しいことにチャレンジするトヨタの姿勢に、「投資」「ご褒美」の気持ちで買うのだ。人がなんと言おうと、決めたら進まねばならない。周りと同じ安全なものばかり選んでいては、世界レベルの新しいパラダイムには、決して到達できないのである。つまり、「業界標準」ばかりの価値観では、何も進歩がないのである。

日本男児たるもの(大和撫子(死語)も)はここまで来たら、じたばたするべきではない。一度決めた以上は、どんな「ちんけ」なクルマでも、私はプリウスを愛する。プリウスと心中だ。思えばたかが車を買うぐらいで、ここまでいろいろ考えさせられたことはない。

と言うわけで、プリウスが納車に至る前に、私はある種「悟り」を開いてしまったのである。う〜んプリウス恐るべし、と思いつつ、本屋でまたしても「カーグラ」を買ってしまった。

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