「・?」
アスランが繰り返した名前に、パトリックは満足げにうなずいてみせた。
「は何十年と続く家名だ。その血がザラの家に入れば、もう新興成金とは言わせん。」
「・・・・・。」
アスランはもう一度、その名前を繰り返した。
アスランの脳裏には、のあの日の笑顔が浮かんでいた。
〔 海に眠る船に、あなたに。 〜PHASE.00〜 〕
転校する前からアスランが学んだことは、クラスメイトの名前と家柄を一致させることだった。
一般市民が学ぶ学校から、良家と呼ばれる家柄しか入れない学園への転校。
若干15歳のアスランが、不安に思うことは何もなかった。
勉強だけは、誰にも負けない自信があった。
両親が絶対に金塊を掘り当てると、信じていた。
そのときのために、自分が上へいったときに、周りのすべてを見返せるように、努力は惜しまなかった。
家柄のよさだけが、人の生きていく道を決める。
良い家に生まれなければ、将来の飛躍はない。
そんな社会の中で、アスランの両親は成りあがった。
アスランの生活はその日から一変した。
両親のもともとの才もあり、ザラ家は莫大な富を得ていった。
アスランの役割は、両親の築いた富を、さらに拡大させること。
そのための転校だった。
自信はあった。
同じラインに立ってしまえば、誰に負けるはずもない。
転校して数日。
すでにアスランは退屈していた。
思ったとおり、勉強でアスランに勝てる者などいなかった。
最初から約束されている道の上で育った者に、アスランのような向上心のある者はいなかったから。
「バカらしい。」
周りを見回して、アスランが正直に思ったこと。
みなが同じ方向を見て、みなが同じことをしている。
道を外れる者などいない。
それは、貴族社会からの脱落を意味する。
子供心に、みな知っている。
生まれたその瞬間から、自分の人生が決まっている。と。
何をしても、どうあがいても。
自分の未来はそこにある。
アスランにとっては希望だったその先が、彼らには絶望であるに等しかった。
けれど、疑問を唱える者はいるはずもない。
そうしてアスランもその先の人生を続けていかなければならない。
そのことに疑問を抱いては、生きていけない。
「あ!」
「っと・・!」
数日で悟ったことを悶々と考えていたアスランは、ちょうど門へ走っていく少女と肩をぶつけた。
「すまない。大丈夫だった?」
声をかけながらアスランは頭の中の名簿をめくる。
・・・彼女は、誰だっただろう?
「大丈夫!ごめんなさい。」
クラスメイトの女子とは違うしぐさで、彼女が謝る。
相変わらずアスランにはこの少女の名前がわからなかった。
けれど、この出会いがチャンスにもつながることを、アスランは知っている。
このまま別れるわけにはいかない。
「アスラン・ザラだ。ちょっと前に転入してきたばかりなんだ。・・・えぇと、キミは?」
「・よ。でも・・・きっともう会わないわ。」
やけにさっぱりとした笑顔で、アスランの前のが笑った。
「私、今日でこの学園をやめるの。」
「は?」
、という名はすぐに知れた。
この学園のなかでも、トップクラスの家柄だ。
その娘のとはクラスこそ違えど、認識しておくべき人物としてマークしていたほどだった。
怪訝そうに顔をゆがめたアスランを見ると、はますます嬉しそうに笑う。
「うらやましい?」
アスランはとっさに首を振ってしまった。
アスランからしてみれば、ここはようやくたどり着いた場所だったから。
けれどは首を振ったアスランを見ても、笑っているだけだった。
「私、自分の思うように生きたいの。ここにいたら、それは叶わない。
お父様が亡くなってしまったのはとても悲しいことだったけれど・・・。
でも、私はそのおかげで、少し自由になれるみたい。」
話の途中で少し顔を曇らせたは、それでも最後にはキラキラと瞳を輝かせた。
「ねぇ、馬にのったことはある?馬車じゃないわよ、馬よ?
私、こんな窮屈なドレスなんてもうたくさん!
もっと軽い服を着て走り回りたいわ。ここから飛び出したら、そんな夢が叶うのよ、きっと!」
アスランはもう苦笑いを浮かべるしかなかった。
自分とは間逆の世界に、この少女はあこがれている。
そうして、その世界で生きていくことに喜びを見ている。
それは、今までそんな中で生きてきたアスランには、何の魅力もないことだった。
それなのに。
なぜだろう?
この少女の瞳を見ていると、その輝きがうらやましく思えた。
誰もがうらやむほどの家柄のこの少女は、どんな未来を望んでいると言うのだろう。
そう考えると、なぜだか気になって仕方ない。
「、という家は、・・・いらない?」
アスランが聞くと、は大きくうなずいた。
「家なんかいらない。私は私らしく生きたいの。ずっと、夢を見ていたの。」
がきっぱりと言い切ったとき、遠くでチャイムが鳴った。
それは午後の授業の始まりを告げる鐘だった。
「ごめんなさい、私ったら。嬉しくてつい・・・。」
ハタ、と手で口を押さえてが言った。
引き止めてしまったせいで、アスランが授業に遅れてしまったことを詫びる。
「いや、いいよ。授業なんて出なくても、どうせ解かる。」
「そう?でも、ごめんなさい。」
「ここを出て、どこへ行くんだ?」
これ以上謝られても面倒なので、アスランは話題を変えた。
授業はもともとサボる気でいたのだから、まったく問題ない。
昼寝をしようと当たりをつけていた木の下に、そのままごろんと寝そべった。
「本当のことを言うとね。・・・わからないの。」
そのとなりにそっと座って、が答えた。
「お父様が亡くなって、きっとここにはいられないの。でも、どこへ行くかは知らないの。
お母様はきっと、この生活にしがみつく気でいるわ。ずっと貴族の生き方しかしたことのない人だから。
でも私は・・・。」
がスッと顔をあげた。
「今は無理かもしれない。でも、私は自分の望むように生きてみせるわ。」
は力強くそう言うと、アスランに笑いかけた。
「私の話、聞いてくれてありがとう。」
「あ・・・いや・・・。」
予期していなかったその笑顔に、アスランは戸惑う。
こんな風に自然体に表情を浮かべる人と、この学園で会ったのは初めてだったから。
「いつか・・・叶うといいな。キミの夢。」
アスランがそう言うと、はますます嬉しそうに、にっこりと笑った。
彼女が学園を去ったあとも、その笑顔がアスランから消えることはなかった。
***
再会した彼女に、笑顔はなかった。
夢を籠の中に閉じこめられたまま、自分の望まない未来へ。
忘れられていることは、ショックでも何もない。
むしろあんなわずかな出来事を、覚えているほうが難しいとわかっている。
ショックだったのは、籠の中に閉じこめたのが、自分だったということ。
忘れられないほどの笑顔の彼女を、知っている自分が、夢を閉じこめたということ。
どうしたら、いい?
あの笑顔は、どうしたらまた見られる?
俺と生きる先の未来に、見られることができたら・・・。
俺の望む幸せと、の望む幸せ。
ひとつにはなれない?
プライドが邪魔をする。
素直には言えない。
俺はこうして、あれから生きてきたから。
。
俺と同じ未来を、見てはくれないか?
俺の未来に、キミの笑顔を。
の瞳が俺を映す。
どうして泣く?
あぁ、もう声も聞こえない。
。
苦しくはない。
の瞳に俺が映る。
今、が見ているのは俺だけだ。
苦しくはない。
ずっと。
伝えたいことがあったんだ。
「しあ・・わせ、に・・・。」
そう。
願っていたことは、嘘じゃないと。
END
【あとがき】
3Dを観て、あっためた気持ちで書いたのはアスラン夢でした。
時がたってからの映画は、また別の感情をくれました。