「ふあ・・っ、あー・・ぅう、幸せ。」
あくびのあとに身体全体で伸びて、ラスティは右手をぐるぐるまわした。
あくびと一緒に浮かんできた涙を拭くと、またベッドの上に横になった。
「薬品のにおいー。」
部屋とは違うこの保健室のベッドも、ラスティにはお気に入りだった。
(当然サボリです。気持ちいいはずだよ。)
さて、今日はドコから授業に出るかな。
そんなことをぼんやり考えていたら、保健室のドアが開いた。
〔 痛いほどに綺麗な 〜PHASE.05〜 〕
「わぁっ!先生いない?!」
いないフリ、知らないフリを決めこむつもりのラスティだったが、の声に身体を起こした。
入学以来すっかり仲良しになった軍医は、今日はしばらく戻らないと言っていた。
「どしたのー?。」
ノロノロとベッドから起きてカーテンを開けて顔をのぞかせると、半泣きのがそこにいた。
「ああぁぁ〜、ラスティー。」
どーしたもこーしたもかける言葉がない。
長袖だったはずの右袖は破れ、その腕からは血がにじんでいる。
右の足も同じような状態だった。
「なにやっちゃったの、?」
「犯人追跡訓練失敗しちゃった。」
聞けば今日は実戦形式で行なわれて、ジープの上に飛び乗った際に着地で失敗し振り落とされたのだという。
「先生戻らないんだよ。消毒オレやったげるから。・・・脱いで?」
長袖を脱いでも中にはアンダーシャツを着ている。
これがディアッカなら鼻の下伸びまくりで往復ビンタだろうが、自分なら自然と言えただろう。
たいして深くも考えずに、ラスティは消毒液を用意した。
綿に消毒液を含ませて、いざ消毒、とを見れば、まだ服はそのままだった。
「用意できたよ?」
ピンセットで綿を持ち上げて見せて、ラスティがに言った。
はその動作を見ると、苦笑いを浮かべた。
「ありがと、ラスティ。・・・自分でやるからいいよ。具合、悪いんでしょ?寝てて?」
「なにそれ。オレ、ディアッカと同レベル?そんな目で見ないから安心しなって。」
ラスティがそう言うと、は困った顔をしながらも笑って見せた。
「そういう意味じゃないんだ。・・・きっとラスティ、気分悪くなるから見ないほうがいいよ。」
「?」
ワケがわからないと首をかしげるラスティだったが、が一線置いている様子が嫌になった。
「じゃ、気分悪くなってもそれはオレのせいってことで。だいたい利き腕怪我してんだから、自分じゃムリっしょ?」
いつもの笑顔でそう言われては、も承知するしかない。
もう役に立たない長袖と長ズボンを脱いで、いつもより肌が露出された。
やっと消毒、と手をあげたラスティだったが思わず息を呑んだ。
長袖に隠されていたもの。
それは無数のあざだった。
それでもさすがにラスティは「染みるからね〜」とふざけた口調で消毒をはじめた。
そうしてしばらく、何食わぬ顔で消毒を続けた。
「・・・聞かないの?」
耐えかねてが口を開いた。
「聞いてほしいの?」
ラスティはわざといつもの調子で返した。
無関心、無感動、お調子者。
それが自分の役割だと、ラスティは知っていた。
それでもがばつの悪そうな顔でうつむくので、ラスティはそのままの口調で続けた。
「どうしたの、このあざ。・・・参考までに。」
そう言ったラスティに、たまらずが吹き出して笑った。
「そんな聞かれ方、初めて。」
「そ?楽でしょ、コレ。」
はそのままラスティらしい、と言って笑った。
笑って、一息ついて、言った。
「・・・・わからないの。」
「前言ってた、記憶がないって部分?」
直感で、でも絶対はずしてないだろうと、ラスティが言った。
案の定、はうなずいた。
「そう。でもラウが気分のいいものじゃないから見せないようにって。」
「それ正論。でもね、オレはの仲間として踏みこんでるつもり。隠すことじゃないっしょ?」
腕に消毒を続けながらラスティが何食わぬ顔で言った。
最初は確かに驚いたが、ラスティはそこにあることは否定しない主義だ。
の記憶喪失の理由の一つなのだろうと思えば、なおさらだ。
驚くことじゃない。
ましてや、気分を悪くするなんてもってのほかだ。
「いたた・・・っ」
「ごめっ、しみた?」
それまで平気な顔で消毒されていたのに、が急に痛がったのでラスティは手を止めた。
すると、少し涙目のが言った。
「違う。心がきゅうって痛くなった。これってラスティが優しいから?」
泣き笑いの顔でそう言われて、今度はラスティのほうが胸がきゅうっと苦しくなった。
なんだよ、これ。
ラスティの無関心は、自分に踏みこまれないため。
ラスティの無感動は、自分に与えられるものがないから。
ラスティのお調子者は、自分でも知らない、見たくない自分をさらけ出さないため。
それなのに、泣いて、笑っているを見ていたら、胸が苦しい。
自分も知らない自分が、刺激されている。
・・・俺と、同じ?
まさかね。
いや、可能性がないとはいえないか。
胸の痛みが小さくなって、包帯を巻きながらラスティは思う。
記憶がないのは、両親からの暴力?
ま、一番ありえるかも。
僕みたく、切り捨てちゃえばよかったのに。
両親のことを考えると、ラスティの目はスッと冷めたものに変わる。
実態のある暴力は受けなかったが、言葉の暴力は受け続けた。
両親同士のやりとり。
そこから零れてくる、自分への暴力的な言葉。
勝手にすればいい。
そうしてラスティは、家庭内で心を閉ざした。
心を閉じてしまば、言葉に傷つくこともない。
家の中に他人がいると思えばいいだけだった。
早く自立したくて、居心地の悪い家を出たくて、軍を志望した。
国を守るより、自分を守る行為だった。
は、そうできなかったんだろうなぁ。
誰にも開いたことのない、自分の傷。
それをに話したら、はまだこうして笑ってくれるのかな・・・。
すっかり板についてしまった、ラスティのポーカーフェイス。
まったくの偽りでないぶん、さらにたちが悪い。
けれど。常に別の自分を隠したままで生きることは、ラスティにとって当たり前になっていた。
誰の心にも踏み込まず、踏み込ませず。
そうして生きてきたのはラスティのほうだ。
偉そうにに言うことは、できないのかもしれない。
自分のことは棚にあげて言ったことなのに、それを素直に受け入れて、心が痛いというほど感激してくれた。
素直に心を開けなくなったラスティの、が今、一番深いところをかすっていった。
***
「入隊しない?!」
「シーィッ!!!」
大声をあげたイザークを、ニコルとラスティが押さえつけた。
口をふさがれ頭を押さえられ、イザークはフゴフゴと情けない声を発している。
ディアッカはそれを横目で見ながら、これから荒れるであろう自分の部屋を偲んだ。
「今大揉めしてる最中。察してよね、イザーク。」
まだあたりを気にしながら、ラスティが声を潜めて言った。
「だが入隊しないなどと・・・。なんのためのアカデミーだ?」
イザークの問いに、全員が目を配りあったが答えを出せる者はいなかった。
当事者であるは、のん気にアスランとチェスをうっていた。
***
士官学校長室で、静かに話し合いは続いていた。
が、一方的に慌てているのは教官サイドで、彼らの前に座るラウ・ル・クルーゼは動揺ひとつ見せていなかった。
「クルーゼ隊長。入隊をせずにアカデミーの課程のみを終了した者などいませんよ。」
「心外です。学校長が前例にとらわれるなどと。」
失笑とも取れる笑みをこぼしながら、クルーゼが答える。
学校長はもう埒があかないと、の担任に向けて目を泳がせた。
痛いほどの上司からの視線を受けて、担任はひとつ咳払いをした。
「クルーゼ隊長。僭越ながら担任として申しあげます。・は非常に優秀なパイロットです。
彼女を入隊させないなど、軍の大変な損失です。彼女は間違いなく赤服での入隊になります。」
担任の言葉に、クルーゼは満足げにうなずいた。
「勘違いしないでいただきたい。私は何も永久に入隊させないとは言っていない。」
アカデミー卒業課程まであと半分を切り、にわかに忙しくなってきた入隊準備。
軍事行為にあたり、保護者からの入隊容認届の提出は必須。
だが、・の保護者であるクルーゼは、これにサインしなかった。
そしてこの騒動。
「我が子可愛さから言っているわけではないのです。入隊させないとも言っていない。
彼女の精神状態を考えて、少し休ませてから入隊をさせたい。・・・おや、これではやはり我が子可愛さ、になってしまいますかな?」
クルーゼが不敵に笑い、他の者達はもうどうしていいかわからない、とため息をついた。
そこに電話が鳴った。
失礼を断ってから電話を受けた学園長は、簡単に一言二言同意の言葉を告げただけで受話器を置いた。
「・・・クルーゼ隊長。・の件、了承しました。」
「安心しました。」
まるでこうなることがわかっていたように、演技力たっぷりでクルーゼは答えた。
「入隊しないからと言って、アカデミーの成績に手を抜くことは許しません。しっかりそれはに言って聞かせますから、ご安心ください。」
「・・・・よろしくお願いします。」
とってつけたようなクルーゼの言葉に、さしさわりのない言葉を返す学園長。
さして気にした様子も見せずに、クルーゼは退出していった。
「・・・誰からのお電話だったのですか?」
特に異も唱えなかったが、急に態度を変えた学園長に担当教官が問いかけた。
学園長は顔をしかめながら言った。
「パトリック・ザラ、国防委員長直々だ。クルーゼの好きにさせてやれ、と。」
「国防委員長?!そりゃまたすごい人が出てきましたね。」
学園長はまた、ため息をついた。
「我々下の者にはわからないことが動いているのだろうよ。
なんにせよ、このアカデミーを統括する国防委員長からの許可だ。・の件、そのように計らってくれ。」
結局の騒動は、騒動と言えるほど大きくなる前に終わった。
学生の間では正式入隊せずに極秘任務にあたるのだと噂された。
の保護者がクルーゼだと言うことも知られたことなので尚のことかもしれない。
アカデミーを後にしながら、クルーゼは一度だけそこを振り返った。
は、自分の大切な駒。
これから迎えるであろう、クルーゼの最良の日のために用意した、大切な駒だ。
そのためには、このまま戦場に出すわけにはいかない。
彼女には、もっと世界を知ってもらわなければならない。
彼女は、私の運命。
・が選ぶ未来が、人類の進む道となる。
さて。
は光となるか、闇となるか。
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【あとがき】
第二弾、ラスティです。
といっても、まだ「かすった」だけですが。今回彼はかなりひねくれ系、というか。うーん。
自分の考えと違うことを、平気でやれちゃうような人。と考えています。
あまのじゃく?ともちょっと違うのですが、正義と悪が同時に混在する人、です。
それにはもちろん彼の生い立ちがものすごく関係しています。
そしてラストのクルーゼ。
そりゃもう、彼はクルーゼですから(笑)