〔 ダブルバランス 〕










卒業式前日。
に届いた一流大学栄養学部合格通知。
手ごたえは感じていたものの、実際のそれを受け取ってはほっと胸をなでおろした。
ユキも、あかりも無事に一流に合格したとメールが届いていた。
これで春から一緒のキャンパスだ。

嬉しい反面、淋しいことがある。
はベッドの横にかけてある制服の前に立った。
三年間、ずっと一緒にあった制服。

「制服なんて、簡単にクリーニング出せないだろ?替えがないんだから。」

瑛に言われたことを思い出して、くすっと笑いを漏らす。
高校生なのにお母さんみたいなことを言う男の子だった。

「あ、そうだ。明日・・・・」





***





「寒いー!さすが朝の海。」
マフラーを首にしっかり巻いてきたのに、耳からどんどん冷たくなっていく身体。
砂浜に降りていくと、は手袋を脱いで砂を一掴みすると、さらさらと指の間からこぼれる感触を楽しんだ。
「砂まで冷たい。すごいな。」


卒業式の日。
はいつもよりも早く家を出て、海沿いの道へ抜けると砂浜に降りた。
まだ卒業式があるので制服ごと汚すわけにはいかなかったけれど、朝のほうがきっと気持ちいいと思った。
思った通り、指に触れる砂は冷たくて気持ちがいい。
少し寒すぎるくらいだったけれど、ぴりっとして引き締まる思いがする。


目線を上げると、白い灯台が見えた。
その下に、同じく白を基調にした珊瑚礁が見えた。

「今日、卒業式だよ。行ってきます。」

は珊瑚礁に向かってつぶやくと、また手袋をはめて鞄を持った。
冷たい海の風と砂に触れたせいか、背筋がいつもよりもピンと伸びた気がする。

は、今日が最後となるはばたき学園への道を歩き出した。





***





はばたき学園の、伝説。
卒業式の日に伝説の教会の扉が開いて、そこで結ばれた男女には永遠が約束される。

クラスメイトたちとの別れを名残惜しく終えたあと、はひとり教会に来ていた。
ドアノブに手をかけて、一呼吸。
目を閉じて引いてみたけれど、扉はびくともしなかった。

予想はしていたことだけど、少しの期待もなくなって、はさすがに苦笑いになる。
でも、この伝説にすがっていた部分があったのも、嘘ではなかった。
もしかしたらここに、瑛が来てくれるかもしれないと、思わなかったとは否定できない。


ちゃん?」
その声に、白い鳩がバサバサとの頭上を飛んで行った。
が振り向くと、あかりがそこに立っていた。

「あかりちゃん?なんでここに。」
「実はこの前、またケンカしちゃって。」
「また・・・。」
照れくさそうに笑うあかりに、いい加減呆れ顔の
でも、これが二人の進み方なのかもしれない。

「電話するより、直接会えないかなぁって来ちゃったの。でも、なんだか迷っちゃって。」
あかりがの後ろに立つ教会を見上げる。

「素敵な教会だね。学校の施設なの?」
「ううん。どうしてここに教会があるのか、実は生徒でも知らないの。」
のとなりにあかりがならんで、教会のドアの取っ手に手をかけた。
「あ、開いた。」
「えっ?!」


さっきまでではびくとも動かなかった扉が、あかりを前に重々しく開いていく。
教会の中はしん、と静けさが漂っていて、大きなステンドグラスが二人を出迎えていた。
「中もすごいね。クラシック。」
では開かなかったことを知らないあかりは、無邪気に教会の中に足を踏み入れた。
「・・・・・。」
は目の前で起こっている事実を、まだ受け入れきれないでいた。
それでも、自分がこの教会の中に入ってはいけないと直感的に感じていた。

「どうしたの?ちゃん。」
中に入ってこないを、あかりが不思議そうに振り向いた。
そこで、扉が勝手に閉じた。

「あれっ?!ちゃん?」
扉の向こうであわてたようなあかりの声が聞こえた。
は扉に両手をついて、あかりに話しかける。


「大丈夫、あかりちゃん。きっと、伝説のはじまり。」
理解できないことだらけだったけれど、には信じることができた。
初めて聞いた時から憧れた、これが教会の伝説なんだと。
そして、ここにくるであろう、あの人のことも。

「伝説。・・・はば学にも、伝説があるんだね。」
「にも・・?」
は扉に耳をつけて、あかりの声を拾う。

「はね学にもあるの。伝説の灯台。珊瑚礁のところにある、あの灯台だよ。」
がはっと身体を起こした。
今日の朝、砂浜から眺めた灯台が頭に浮かんだ。

ちゃん。私ね、きっとちゃんの伝説がその灯台で起こるんじゃないかって思うんだ。」
「私・・の?」
「あのね。瑛くん、ちゃんと会ってから本当に変わったよ。学校でも気取らないで素でいる瑛くんが見られるなんて思わなかった。
だから瑛くん、きっと戻ってくるよ。」
気休めでも嬉しかった。
を想って、教会の扉の向こうから声を張りあげてくれているあかりの心が優しかった。


「あかりちゃん、私、行ってみる。」
「うん。いってらっしゃい!」
は扉の向こうのあかりを抱きしめるように扉に頬を寄せた。
そして勢いよくそこから離れると、走り出した。



灯台へ。



走り抜けていく景色は、珊瑚礁で働いていた時と同じ。
この景色を通って、珊瑚礁へ通った。
最初は「仕事場」だった珊瑚礁が、いつしかの「大切な場所」になっていた。

そしてそこには、「大切な人」がいた。


親友のように傍にいた彼。
ずっとを励ましてくれていた彼。
からは何も返せないまま、告げられた別れ。
それが彼の、あのとき一番優しい言葉だったことにすら、気づかなかった。

別れがなければ、気づかなかったことがある。

瑛が、どれだけに必要な人なのか。



***



珊瑚礁の脇を通り抜けて、灯台の前に立つ。
何度も足を運んでいるところなのに、こんなに近くに来るのは初めてだった。
空が、綺麗な夕焼けの色に染まり始めていた。

「ハァっ・・ハァっ・・ハ・・・っ」
乱れた息を整えながら、は灯台の入り口から、その上までを見あげた。
近くまで来てみると、ところどころ傷んでいるのがわかる。
使われなくなって何年と経つようだから、それも仕方ないのかもしれない。

「ふぅっ」
は最後に呼吸を整えると、灯台の扉の前に立った。
教会の時とは違って、絶対にこの扉が開くという自信があった。

「よい・・しょっ・・!」
は迷わず扉の取っ手を引いた。

けれど、教会の時と結果は同じだった。
扉は、音ひとつ立てず、動かなかった。



「・・・・うそ・・・・。」

さっきまでの自信が、崩れていった。
もその場に崩れ落ちた。

みじめだった。
あんなに信じていた自分が、今は滑稽に思える。
しょせん、伝説なんて、起こりえない。

その現実を突きつけられて、涙が浮かんだ。
やっぱり瑛には、もう会えない。


「う・・うぅっ〜・・ッ!うえぇ・・・・」
人なんて誰も来ないことを知っているから、誰にはばかることもなく、声をあげて泣いた。
制服だって、もう汚れても平気だ。
クリーニングに出す必要だってない。

そして。
そんなことを本気で言ってくれたあの人に、もう会う術がない。


海からの風が、の髪をかきあげた。
その風がの足元で小さく渦を巻いた。
走ってきた汗が冷えて、は身体を震わせた。

のろのろと力なく立ちあがる。
きっともう、ここにくるのは最後だ。
そう思うと、やはりの足はそのまま珊瑚礁に向かった。
誰もいないのはわかっていた。

前にマスターに会ったとき、卒業証書を見せに来たいと言った
けれど、総一郎は卒業式の日、この街にいないと言った。
はすごく残念に思ったけれど、総一郎のほうがもっと残念がってくれたので、それだけで充分だった。


「え・・・あれ?」
何の抵抗もなく、珊瑚礁の扉が開いた。
さっきから二度も扉に拒否されていたは、まったくの予想外な出来事によろけながら、珊瑚礁の中に入った。

カラン、カランと来客を告げる鐘が鳴る。

「いらっしゃいませ。珊瑚礁へようこそ。」
は絶句した。
さっきまで流れていた涙に、新しい涙がまた重なり、の頬に筋をつくった。

「来ると思った。・・・泣くなよ。頼むから。」
「・・・・・瑛くん。」
「待ってたんだ。が来るの。」

瑛が椅子を引いて、に座るよう促した。
は案内されるままに、その椅子に腰かけた。
最初に瑛の顔を見ただけで、今はもう見られない。


はカウンターの中で作業をする瑛を、信じられない気持ちで見つめていた。
瑛は珊瑚礁の制服を着て、けれど髪型は珊瑚礁仕様でなく普段のとおりにセットしてた。

初めて会った日と同じだ。

は瑛を見つめながら、そんなことを考えていた。







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