〔 ダブルバランス 〕










2月13日。
受験生でも、は今年も手作りのチョコを準備していた。
2月14日のバレンタイン当日に、ReD:Cro'zがバレンタインライブをやるという。
それなら用意する差し入れは当然チョコしかないと、は久しぶりのお菓子作りを楽しむことにした。

差し入れ用のチョコの焼き菓子を作り終えて、の手が止まる。
ユキの顔と、瑛の顔が浮かんだ。
ユキには、去年と同じミルクチョコで作ったフォンダンショコラを作った。

瑛には、いろいろ考えたけれど、チョコチップのマフィンを作った。
このマフィンがあったから、瑛とつながりができた。
珊瑚礁でも作っていたから、の人生の中で一番作っている焼き菓子だ。

作り終えたお菓子を前に、の頭に浮かんだのは「珊瑚礁」。
高校生活の中で、きっと一番お菓子を作った場所。
家のキッチンよりも、学校の部で使った家庭科室よりも、きっと一番多く作った場所。

あの場所でお菓子を作るとき、いつも隣に瑛がいた。
そうだ。
ひとりきりでお菓子を作ることだって、久しぶりだった。

「・・・ずっと、答えを知っていたのに。」
の目から涙がこぼれた。






14日の朝。
はユキの家に向かった。
電話で呼び出したユキは、家の前で待っていた。

「おはよう。」
「おはよう。早いね。」
「うん。今日は忙しいの。」
「みたいだな。」
の手に抱えられた紙袋の数を目で数えて、ユキが同意した。

「はい、ユキ。バレンタインデー。」
「ありがとう。」
「あのね、去年と同じなの。」
「へぇ・・・めずらしいね。」
「去年、言えなかったから。ちゃんと。」
はそこで息を吸いこんだ。

「ずっと、ずっと、好きだった。小さいころから、ずっとそばにいてくれたユキが、大好きだった。
 でも、幼なじみじゃないユキは、想像できないの。幼なじみ以上にはならないの。だって、幼なじみって、それだけで大切で特別だから。
 やっと私、ユキが私に想ってくれてる気持ちがわかった。今まで、本当にありがとう。それから、これからもよろしくね。」
「・・・そう言い切られちゃうと、なんだか残念な気もするけど。」
「ユキ。」
「ニラむなよ。僕自身も、実は本当にこれでいいのかわからないんだ。僕たちは近すぎたのかもしれないな。」
「でも、だからずっと一緒にいられるんだと思う。」
「そうだな。」
「ユキ。」

は初めて、ユキに抱きついた。
ユキは抱きついてきたの頭を、ぽんぽんと撫でた。

「成長したね。」
身長差を肌で感じて、が言った。
「オトコノコですから。」
ユキがふざけて言った。
が笑いながらユキから離れる。

「今日、あかりちゃんと約束は?」
「夕方に森林公園で。」
「そっか。・・・変なこと言って怒らせないようにね。」
「去年の二の舞にはならないようには注意します。」
「ユキは口が悪いんだから、いろいろ気をつけなさい。」
「わかったよ。」
「じゃあね、ユキ。」
「あぁ、また学校で。」

がユキに手を振って、駆け出す。
その後ろ姿を、少し眩しげにユキは見送った。

「がんばれ、。」
今、がどんな状態かを、ユキは知ってる。
あえて特別な言葉をかけることはしないけど、こういうときの支えに自分がなれることもわかってる。

そして、どんな結果になっても支えてあげるつもりでいる。
それはがユキにとって「代わりのいない幼なじみ」だから。







あかりと直前で待ち合わせをして、ReD:Cro'zの楽屋に突入する。
すでに勝手知ったるハリーが、の手提げに飛びついた。

「この時期にライブなんてどうかしてるよ。」
イノがギターをつまみながらぼやいた。
「だけどな、いい報告だぜ。ReD:Cro'z東京進出!」
「え、うそ?!」
「マジマジ。なっ、井上!」
「のしんの夢に付き合っちゃうなんて、本当にどうかしてると思う。我ながら。」
「まーだ言ってンのかぁ?いい加減腹くくれ。」

「ちょっと話が途中!東京進出って、本当に?」
ハリーがとあかりにピースサインを突き出した。
「まだまだ努力はするけどな、声かけてくれたとこがあンだよ。」
「「すごいー!!」」
とあかりは、二人でばんざいのポーズから抱き合った。

この時期に、夢を現実にしていく同級生がいることは、自分たちにも大きな励みになる。
その日のReD:Cro'zのライブは、過去最高のライブになった。




***




興奮が冷めないまま、は一人帰り道を歩いていた。
持ち物の中に残ったプレゼント。
渡せるあてのない、チョコチップマフィン。

海岸へ続く道への分かれ道に差しかかる。
ここを海沿いにあるけば、珊瑚礁だ。

「うん。」
は気合を入れた。
少し早足になりながら、海沿いの道へ歩き出した。
目指すのはもちろん、「珊瑚礁」。
今はもう、瑛がいない場所。


「クローズ」の札がかけられたままの入り口。
それでもは思い切って扉に手をかけてみた。
「え・・・?」
扉は予想に反して開いてしまった。
店の中に一歩踏み入れると、カウンターの中で同じように総一郎が驚いた顔でを見ていた。

「マスター。」
さん。どうしたんですか?」
「マスターこそ、どうして・・・?」
「私は器具の手入れをしていました。使わなければどんどん痛みますから。」
「じゃあ・・!」
「いいえ。私の代で珊瑚礁を開けることは、もうありません。」

少しの期待も打ち砕かれて、はしょんぼりと肩を落とした。
辞めてしまうのなら、器具の手入れなんて必要ないはずだ。
使わないのなら処分してしまうのが本当だろう。
なら、どうして?

「マスター、どうして手入れしてるんですか?」
は思ったままを聞いていた。
総一郎はフィルターを拭く手を止めて、笑った。

「珊瑚礁は、私が頑固につづけた店です。一度身体を壊したときに、子供たちからは店を続けることを反対されました。
 けれど、瑛だけは違った。じーちゃんとばーちゃんの店は俺が守ると、言ってくれたんです。私はそれが嬉しくてねぇ。
 つい、ここまで瑛に甘えてきてしまった。そのせいで、あの子が普通の高校生活を送れないと、わかっていながら。
 ひどいことをしてしまったと、後悔していました。

 だから、選ばせてやりたかったんです。これから先の道は、瑛自身に。珊瑚礁があれば、瑛は珊瑚礁を第一に考えてしまう。
 一度それをリセットして、何もないところから瑛に選ばせてやりたかった。それで瑛がどんな道を選んでも、私はそれを応援してやろうと決めたんです。
 その中でもしも珊瑚礁が選択されたのなら、そのときのためにここはそのまま残してやりたい。そう思っています。
 ・・・けれど、瑛は裏切られたと思ってしまったようだ。僕が、僕とさゆりの店を捨てると、思ったんでしょう。
 ・・・捨てられるはずがない。ここには、大切な思い出がいくつも眠っている。目を閉じれば、全部昨日のことのように思い浮かぶ。」

「・・・私も、・・私もです。珊瑚礁でのこと、昨日のことみたいに全部覚えてます。大切な思い出です。これからだって、ずっと・・・。」
がギュッと右手を胸の前で握って、目を閉じる。
そんなを優しい目で見守って、総一郎が言った。

「私と瑛の幸いは、あなたがいてくれたことです。さん。」

「わ・・たし・・?ですか?」
「はい。貴女の存在にどれだけ助けられたことか。本当に感謝のしようがない。」
「そんな、私のほうこそ、珊瑚礁には・・マスターと瑛くんには、教えてもらうことばっかりで。」
「いいえ。私たちが教えたことなんて微々たること。貴女の笑顔の力は、お客さんだけでなく、私たちの心も温かくしてくれた。」

「マスター・・・。私、・・・私、珊瑚礁のためになってたんでしょうか・・・?」
総一郎の温かい言葉に涙を流しながら、が聞いた。
総一郎はにっこり笑って答えた。

さんのいない珊瑚礁は、もう考えられませんよ。」
総一郎の言葉に、はしゃくりあげて泣きだした。


「マスター・・・!私、もう一度珊瑚礁で働きたいです。瑛くんと、マスターと一緒に・・・!・・・瑛くんに会いたいです・・・・!」
「・・・そうですか。」
「今日も・・、いないのはわかってるのに、来ちゃいました。食べてほしくて・・・バレンタインだから・・・。どうしても渡したくて・・・!」

が差し出した包みを、総一郎が受け取る。
袋の中に、ラッピングされたものが二つ。
メッセージカードを見た総一郎は、自分の名前が書かれたほうの包みを開いた。

「チョコチップマフィンですか。私にまで、ありがとう。」
泣きじゃくるを前に、総一郎の態度はいつもと変わらないままだった。
その優しさが温かくて、の涙はまた止まらない。

「私にとってこの味は、さんを珊瑚礁に連れてくてくれた大切な味です。・・・きっと瑛にも、忘れられない味でしょう。」
「でも、瑛くんは忘れるって、言ってました。だから、私にも忘れろって・・・。」
「瑛がこの味を忘れる?さんを?できるわけがない。」
あまりに総一郎が言い切るものだから、はその理由を求めるように総一郎を見た。

「初めてマフィンをもらって食べてから、ずっと瑛はさんを探していたんです。もう一度会いたいって。
 さんを珊瑚礁に初めて連れてきた時、僕は自分のことのように胸がときめきました。
 なにかが変わっていくのだと、漠然と思いました。」

「私を、・・・探してた?・・瑛くんが?」
「はい。」

は涙をぬぐった。
マスターの言葉なら信じられる。

ずっとずっと作ってきたお菓子。
の心をこめたお菓子。
それがの味になって、瑛に覚えてもらえているなら自信が持てる。

もしもを忘れても、お菓子が何度でも思い出させてくれる。
瑛に思い出させてみせる。


「なんか吹っ切れました。迷ったけど、来てよかったです。ありがとうございます、マスター。」
の弾むような笑顔に総一郎はまた、にっこり笑って返した。
いつだって変わらないその笑顔が、には大きな励みになった。





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