〔 ダブルバランス 〕










「デートをしよう。」
妙にさっぱりした表情で、ユキがに言った。
あれからずっとぎくしゃくしたままの関係だったので、目を見て話すのは久しぶりだ。

ちゃんと向き合って話をするのも久しぶりなのに、言われた言葉にはきょとんとした顔を返すことしかできなかった。
それでもユキはひるまない。
何か吹っ切れたように笑顔だ。


「寒いけど日が出るとあったかいし。どこか行こう。」
「ユキ、なんで急に?」
なんだか笑顔のユキに毒気を抜かれて、が聞く。
「僕たち、したことなかったよね。デート。二人で出かけることはあったけど。」

「だってそれは、・・・幼なじみだもん。」
「そう、それだ。僕たちは幼なじみで、それに甘えすぎてたんだな。」
「?ユキ、いまいちなんだかわからないんだけど。」
「ああ、僕もわからないよ。だからデートしよう。」

が何をどう聞いても、今のユキは無敵だった。
根負けしたは、ユキとのデートを承諾した。
どうしてデートをするのだか、理由はわからないけれど。




デートの行先は煉瓦道。
何度も二人で来ている場所。
でも、今日は最初から「デート」だと宣言されている。
待ち合わせの場所に向かうのも、なんだか変な気分だった。

先に着いたのはのほうだった。



すごく心がざわついて落ち着かない。
それは不安に近い感情だった。
まさかユキとの待ち合わせで感じることになるとは思わなかった感情。
もちろん、瑛との待ち合わせでも感じたことのないものだった。

「ごめん、待たせた。・・って、すごい荷物だな。」
時間には遅れていなかったけれど、待たせていることを謝りながらユキが来た。
挨拶もそこそこにの持っている荷物に目を落とす。

「うん。お弁当作ってきた。」
「へー。そういえばお菓子じゃない料理って久々?」
「そうだね。」

会ってしまえば会話はいつもの通り。
それでもユキはが持っていたお弁当の入った荷物を、さっと取りあげた。

「じゅあ、ちょっと歩く?」
「・・・うん・・・。ねぇ、荷物・・・。」
「持つよ。重いだろ?」

はぽかんとユキを見あげた。
荷物を持ってもらうなんてこと、今まで一度もなかった。
しかもユキのほうから。



「遊覧船って、乗ったことある?」
ぽかんとしているをよそに、ユキが提案した。
が首を振ると、ユキは嬉しそうな顔を見せた。
「じゃあ、それに決定。行こうか。」

そうして、荷物を持っていないほうの手で、の手を引き寄せた。
これ以上ないほど驚いていたはずのは、自分がまだ驚けることにも驚いていた。
「ちょっとユキ!」
そのまま歩きはじめてしまったユキに引かれる形になり、2歩3歩とよろけながらがユキを呼ぶ。
と、ユキは振り返るといつもの少し意地の悪い笑い方をした。
「デートだから。」


はさすがに呆れたのと驚いたのとで、なにも言えなかった。
遊覧船に乗ってからも、話す内容は特別変わったことじゃないのに、手はつながれたままだった。
そのことに少し違和感があるものの、それ以外は変わらない。

あまりにそれ以外が自然すぎた。
だからは気がつかなかった。
本来望んでいたほうの姿に、違和感を感じている自分に。


別れ際、ユキがに言った。
。今日のデートの意味がわかった?」
「意味?そんなの・・・ユキの気まぐれとしか思えないことばっかりで・・・。」
「気まぐれ!ひどい言われようだな。」

ユキは空っぽになったお弁当が入っている袋をに差し出した。
はそれを受け取る。
「こーゆーの持ってくれちゃったりとか、手をつないだりとか。」
「ああ。デートだからね。」
「またそれだ。」
が困惑している様子を終始楽しむように、ユキの表情は明るかった。

「じゃあ、今日、楽しかった?」
「そりゃ、楽しかったのは楽しかったよ?なんかいろいろびっくりしたけど。」
「そうか。それじゃ、よかった。」
ユキのどこか吹っ切れたような笑顔を、は恨めしそうにニラんだ。
「もう!」

ユキはまたそんなに大笑いした。
こんな表情のユキを見るのはも久しぶりだったから、呆れたけれどそれでも一緒に笑ってしまった。

「一流、受験まであと少しだ。お互い頑張ろう。」
ユキとの初デートは、そうして別れて終了となった。



ユキが別れ際に言っていた、今日のデートの意味。
家に帰って落ち着いて考えてみても、それはよくわからないままだった。
わかったのは、なんだかユキのほうが、よりも先に歩き出したのだということだけだった。




***




は今日も家で携帯電話とにらめっこをしていた。
このところ、一気に受験の現実味が帯びてきた。
部活も引退し、珊瑚礁のバイトもなくなって、休みの日はほとんど家で勉強することが日課になっていた。

勉強が一区切りすると、目に入ってくる携帯電話。
最近、瑛からの電話やメールが以前ほど頻繁でなくなってきていた。
土日はほとんどつながらない。
コール音を聞くのは、いい加減飽きてきた。

「瑛くんも一流、受けるって言ってたもんね。がんばってるってことにしよう。」
感じるさみしさを独り言にして、はまたペンを手に持った。
そこに、着信音が鳴った。

「もしもし?」
?俺。」
「うん。久しぶり、瑛くん。」
「なぁ、今、平気?」
「ん?大丈夫だよ。どうしたの?」
「会って、話したい。」
「うん、いいよ!」

は気づいていなかった。
久しぶりに聞く瑛の声に浮かれて。

瑛の声が、どこか緊張した固い声をしていることに。



***



珊瑚礁が遠くに見える海岸。
いつかが座りこんでいた場所。

冬の寒い海に人気はない。
ただ、冷たい風と波の音が二人の間を通り過ぎた。

「久しぶり」と笑うに、やはり瑛の笑顔は返ってこなかった。
瑛がの小指を引き寄せて、無言のままで砂の上を歩く。
「瑛くん?」

の呼びかけに瑛が足を止めて振り向いた。
苦い笑顔で、瑛は口を開いた。


「俺、帰ることにしたよ。」
「帰る?」
「うん。両親のところ。」
「え、だって・・実家ってすごく遠いって言ってたよね。」
「あぁ、遠いよ。すごく遠い。」
「そしたら、一流は・・・」
「大学は、実家の近くの、親が選んだところに行く。」
「どうして?」

の小指が、瑛のてのひらから落ちた。

「ずっと、意地張ってたのは俺だから。でも、珊瑚礁もなくなって、俺が意地張る理由がなくなった。」
「そんな・・・瑛くん。」
「子供だったんだ。なくなるのが嫌で、馬鹿みたいにダダこねて。珊瑚礁を貫き通すことが、親に勝てる唯一のことだって思ってた。
 珊瑚礁が好きだったのか、親に対するあてつけだったのか。・・・どっちだ?って聞かれたら、俺、今わかんないかも。」
「うそ!そんな風に仕事してたことなんて一度もないよ!」

あてつけでできる仕事量じゃない。
珊瑚礁に立っているときの瑛は、本当に輝いていた。
自信を持って、誇りを持って仕事をしていた。
それを一番知っているのはだ。
だからは自信を持って否定した。
けれど、瑛から返されたのは皮肉めいた笑みだった。

「・・・何を知ってるんだよ、俺の。」
「え・・・?」
は俺の何を知ってる?」
「知ってるよ!珊瑚礁で自信たっぷりに働いてた瑛くんを。」
「それだけだろ?」
「何言って・・・」

「学校での俺を知ってる?お前、嫌いだって言ってたよな、俺のプリンスモード。あっちの俺が本当で、珊瑚礁の俺が偽物だって言ったら、どうする?」
「本当なワケない。あんなの瑛くんじゃない。だから辞めたんでしょ?だから学校でも珊瑚礁と同じに・・・。」
「嘘だよ。・・・全部ウソだ。学校の俺も、珊瑚礁の俺も、が知ってる俺、全部。」
「瑛くん・・・どうして・・・。」
を好きだっていったのも、からかいたかったからだよ。一番近くにいたのがだったから、手出ししてみたかっただけ。
 悪かったな、赤城との仲こじらせて。もう俺のことは忘れろ。俺も・・・忘れるから。」
「・・・忘れない。忘れない!珊瑚礁がなかったら、瑛くんがいなかったら、私の高校生活はなかったから!」

「頼むよ!耐えられないんだ!」
それまで淡々と話をしていたはずの瑛が、突然大声をあげた。
の身体がびくっと震える。
そのの様子をバツが悪そうに見た瑛は、また目を伏せた。

「・・もうこれ以上、みじめな俺を見てほしくないんだ。だから、・・・全部忘れてほしい。」
は首を振る。
そのを、何とも言えない表情で見守る瑛。

「ごめん。勝手に好きだって言ったり、忘れてくれって言ったり。」
はなおも首を振る。
苦しい想いが言葉にならない。
動作でしか伝えられない。

「さよなら。と過ごせたこと、俺・・・・・・」
背を向けてしまった瑛から、それ以上の言葉はに聞こえなかった。
瑛はそのまま一度も振り返ることなく、はその場に崩れ落ちた。

瑛からの突然の別れ。
理解できない。
どうしてこうなってしまったのか、理由なんてないし、わからない。
ただ、「もう会えない」という現実だけが、の中にあるだけだった。










それでも、はそこから立ち上がるしかなかった。
聞こえなかった瑛の最後の言葉を、いつかちゃんと聞ける日のために。


あれから、泣く夜もあった。
つながらない電話を、何度もかけてしまう日もあった。
届かないメールを、送る日もあった。
全部届かないと知っていてもなお、瑛の存在がの支えだった。

ちゃんとはば学を卒業して、一流に受かる。
一流に行って、栄養学を学ぶ。

それはが、瑛と話した夢。
すぐ目の前の夢もかなえられないなんて、思われたくない。
今ここに瑛がいないからこそ、がんばらないといけない。
はますます勉強に集中していった。





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