瑛とは、少し早足で珊瑚礁を目指す。
ドレスを着たの足元はヒールだったため、負担にならないほどに急いだ。

珊瑚礁にはまだ灯りがともっていた。
瑛とは来た勢いそのままに、お店の扉を開けた。
カウンターにいた総一郎が、勢いに驚いて二人を見る。
が、すぐに目がなくなるほどにニッコリ笑って「いらっしゃいませ」と言った。

「マスター・・・」
少し肩で息をしながら、が言った。

「想像以上だ、さん。ドレスがよく似合っていますね。綺麗ですよ。」










〔 ダブルバランス 〕










マスターの口調はいつもと変わらない。
は何と言っていいか言葉を探りながら、肩で大きく息をした。
そんなの様子を変わらぬ笑顔で受け入れて、総一郎が言った。

「珊瑚礁、最後のお客様です。さん。貴女を最後と決めていました。」
「!!マスター・・・。」
「さ、座って。」
促されるままにカウンターに腰掛ける
総一郎は満足そうにを見た。

「珊瑚礁ブレンドです。どうぞ。」
総一郎の手での前に置かれるカップ。
その横から別のプレートが出された。
「クリスマス限定の、デザートプレートになります。」
総一郎はそう言って、の前にそれを置いた。
「今年も大人気で完売でしたよ。皆さんの笑顔を見せてあげたかった。」

は珊瑚礁ブレンドを口に運んだ。
珈琲の苦みが喉を刺激する。
その瞬間、唐突に「これが最後」だと理解した。


「すごく・・おいしいです。」
はそう言ってカップを置いた。
「ありがとう。」
総一郎は本当に満足そうに笑った。
そしてカフェエプロンを外すと、それをテーブルに乗せる。

「瑛。最後は頼んだよ。」
「マスター、あのっ・・!」
がカウンターから立ち上がる。
総一郎はそんなを目で制した。

「長年通ってくれた友人たちが待っているので、先にあがります。さん、本当に今までありがとう。」
静かに閉められる扉。
は自分が何を言っても、珊瑚礁の閉店はくつがえらず、真実なのだと悟る。
総一郎を見送ると、そのままストンとまたカウンターに座った。

瑛は何も言わず、も何も言わなかった。
は、目の前にあるデザートプレートに手を伸ばした。
一口、二口と食べていくうちに、このプレートができるまでのことを思い出す。

総一郎の事故が重なってしまった一年目のこと。
去年よりもいいものをと、瑛と何度も試作を繰り返した二年目。
来年は・・・・。

もうない。


「瑛くん・・・。」
「・・・・これで、終わりなんだな。」

と少し離れた場所で、瑛が店内を見回しながら言った。
「散々じーちゃんに言ったんだ。珊瑚礁はずっと、・・ずっと続けたいんだって。でも、じーちゃん譲らなくて。今日で閉める。って、それだけで。」
総一郎の性格なんて、身内の瑛だからよくわかっている。
瑛の頑固は総一郎似。
ずっとそう言われてきたから。
その総一郎が、そうと決めたことをくつがえすことはない。


「俺・・・俺、珊瑚礁のためになにかできてたのかな・・。もっと、がんばれたんじゃないかって・・俺、それが悔しいんだ。
 そうすればじーちゃんも、もっと楽できて、珊瑚礁も続けられたんじゃないかって、俺・・・。」
瑛はそう言って顔を曇らせた。
は席に座ったまま、身体を瑛へ向けた。

「瑛くん・・・。私は、瑛くんががんばってきたのを、一番見てたよ。あれ以上、何をどう頑張るの?
 ずっと自分を隠して、それでもちゃんと学校と珊瑚礁両立させて、がんばってきた瑛くんを、私はずっと見てたよ。」

「・・・。・・そっか、俺、がんばれてたんだ。」
「瑛くんが瑛くんを否定しても、私は知ってるから。今までマスターを支えてきたのは、瑛くんだよ。」
自信たっぷりに言ったに、瑛はようやく笑って見せた。

「サンキュ、。・・・なぁ。」
瑛が今までいた場所を立ちあがって、の隣に座る。
回転式のカウンターの椅子が揺れた。
「ん?」

「やっぱりだよ。俺がほしい言葉を、本当にそのタイミングでくれるのは。」
瑛が笑っていたから、も笑った。
誰かの支えになれることが嬉しいのか、それが瑛だから嬉しいのか。
その境目が、の中でわからなくなっていた。

「・・・ごめん。それと、ありがとう。」
の目に、深い青の海が広がった。
隣に座っていた瑛が立ちあがって、座っているを抱きしめたからだ。

は目を閉じた。
瑛の抱擁を甘んじて受け入れていることを、心の中で瑛に詫びた。
甘えたまま、答えを出さないでいるままの
そんなを、大切にしてくれている瑛。

もう、答えを出さないといけない。

瑛に抱きしめられながら、はそう思った。
しばらくを抱きしめたあと、瑛が「送る」と言った。

二人で珊瑚礁の扉をくぐり、最後に瑛が鍵をかけた。
鍵穴から、瑛は鍵を引き抜くことができなかった。
はそれを悲しげに見つめて、そして瑛の手に触れた。



「鍵は、きっとまた開くよ。だから・・・。」
大人が決めたことを、子供の自分たちはどうあがいても変えられない。
マスターが閉めると決めたら、それは絶対で。
でも、いつまでも自分たちは子供じゃない。
きっといつか、この扉を開けられる日は来る。
はそう信じていた。

の手が添えられて、瑛の手が動いた。
引き抜かれた鍵が、瑛の手の中で揺れた。
そのまま手をつないだままで、の家に歩いた。




いつまでも、いつまでも、終わってほしくない。
珊瑚礁、最後の夜だった。








***






「俺。なぁ、時間があるなら初詣いかないか?」
珊瑚礁の閉店から一週間。
年が明けて新年を迎えていた。
瑛からに電話がかかってきて、その初詣の誘いをは喜んで受けた。

一時間後に瑛がの家にやってくる。
「あけましておめでとう。」
出迎えたに、瑛は一瞬目を奪われた。
「着物だ・・・。」
つぶやいた瑛の前で、はくるっと回って見せた。
「うん。どう?」
「え?・・あぁ、そうだな。うん。悪くないこともないこともない。」
「どっち?」
「・・・・いい。」
瑛の答えに、は満足そうににっこり笑った。


「毎年行くの?初詣。」
「いや、行かない。毎年元旦から珊瑚礁やってたから。」
「・・・ごめん。」
「いいよ。もう結構平気だ。」

神社に着くと、あまりの人の多さに瑛が顔をしかめた。
そんな瑛に「毎年こんな感じ」と笑いながらが答えた。

「・・・あの人ごみのゴミになるのか。」
「ゴミでもいいじゃん。そんなこと言ってたら願い事叶わないよ?」
「お前本気で言ってる?それ。」
「うん、本気!毎年本気のお願いだもん。」
「・・・へー。で?本気の願い事は叶ったのか?」
「・・・・・・。」
「悪い。」
「いいよ。気休めだってわかってる。でも、今年はまた本気のお願いだから。」
そう言ってが笑った。
その横で、瑛も考える。


願い事なんて、考えてこなかった。
こんなときに願うのは、珊瑚礁の商売繁盛。
でも、それも今は願えない。

ようやくたどり着いた賽銭箱を前に、隣では真剣な顔で目を閉じている。
その真剣さに、思わず瑛に笑みが浮かぶ。
そして、瑛も自然に目を閉じて願っていた。



失いたくないものがある。
譲れないものがある。
神様。
もしもいるなら、どうか。
どちらも手放さないですむ方法を、願う。



ゆっくり目を開けた瑛に飛びこんできた、のにやにやっとした笑顔。
「瑛くんも結構本気!」
同類同類、と嬉しそうに跳ねるに、瑛は問答無用でチョップをした。






一週間で、思い知ったことがあった。
瑛との共通点は、珊瑚礁。
学校も別で、新学期が始まっても、学校で会える、というものじゃない。
珊瑚礁もなくなって、二人の接点がなくなった。


約束も、なにもしなければ、会えない。
電話やメールは普通にしても、普通にしているだけでは会えない。
二人は、どうして珊瑚礁が大切だったのか、もうひとつの理由に気がつかないわけにはいかなかった。


こんな何気ないふざけあいが、なんだかもう懐かしくて。
そして、どれだけ特別なことだったのか。
そう思うと、の胸の奥がチクリと痛んだ。





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