〔 ダブルバランス 〕










「話がしたい。」

放課後、帰り支度を始めたのところにユキがきた。
あの学園演劇からずっとユキを避けるようにしてきたから、いつかそう言われるような気はしていた。
はただうなずいた。
今日は珊瑚礁のバイトの日じゃない。
用意されているかのように、時間があった。


ユキが先を歩いて、がその少し後を歩く。
会話はない。
その場所につくまで、は一人でユキの背中に話しかけていた。


どうして、あんなことしたの?
どういうつもりで言ったの?
・・・全部お芝居だった?
それとも・・・。


「泣きそうな顔だな。」
不意にユキが振り返ってに言った。
ちょっと困ったような、ちょっと意地悪するような、そんなユキの顔だった。
には見慣れた、ユキの表情だった。




もうすぐ冬を迎えるはばたき市は、日が暮れるのも早い。
夕日はすっかり海のむこうに沈んでいこうとしていた。
いつか、がユキに想いを告げようとした、この煉瓦道で。

「なんであんなことしちゃったのか、正直わからないんだ。」
ユキが言った。

「ずっと幼馴染で、が傍にいた。当たり前だった。
 だから、修学旅行の頃から佐伯くんがの隣に、当たり前みたいにいて、あれ?僕の居場所は?って、思ったんだ。初めてね。」

はユキの顔を見あげることもしないで、うつむいたままだった。
ユキはそんなに、諦めにも似たため息をつきながら、それでも今日はこうと決めてきたんだからと話を続けた。

「幼なじみっていうのは、変わらないって思ってたんだ。僕に好きな人が出来ても、に好きな人が出来ても。
 僕たちは幼なじみで変わらないって。だから僕は、はね学の彼女を好きになったし、そのことをにも話した。
 僕はそうやって好きな子ができて、でもそれは当たり前で、もそうだと思ってた。
 に好きな人ができたら、僕はその相談にのって、それで、僕たちは幼なじみだから、それは変わらなくてって、そんな関係だって。」


そんなのは僕の都合だった。
に好きな人ができて、そうしたら当然、僕の傍からいなくなるなんて。

考えもしなかった。


「僕は、確かにはね学の彼女が好きだ。でも、僕の傍にがいないことなんて、考えたくない。が大切なんだ、僕は。」
ユキの言葉に、が顔をあげた。

今の言葉は前も、一度聞いている。
それを聞いたことをユキはしらないけれど。

その言葉を珊瑚礁で聞いたときは、泣いてしまうほど嬉しかった。
どんな感情であれ、大切と言われたことは嬉しかったから。
それでも、今聞いたユキの言葉に感じた思いは、あのころとは違っていた。

振られているんだか、告白されているんだか、ユキのやりたことはなんだかわからない。
ずっとこんな調子で、どうして振り回されているんだかわからない。
もし、あのままユキがの存在についてなにも変化なく考えていてくれたら、もっと早く、ユキへの想いを忘れられたのに。


「大切って・・・幼なじみとして、・・ってこと?」
「―――わからない。」
「・・・ひどいよ、ユキ。」
小さく言って、は唇を噛んだ。
「そんな残酷な言葉ってない。ユキの中で幼なじみなら、私はそれでよかったのに!・・・諦めたのに・・・!」


傍にいてくれた瑛が、傷を自然に癒してくれた。
辛いときも話を聞いてくれて、の痛みは珈琲の香りのように優しく包まれていた。
こんな言葉が言えるようになるまでに、の傷はなくなっていた。

それなのに、ユキはまたに傷をつけた。
ユキ自身、明確な答えを出せないままに。
「私は・・ずっと『幼なじみ』なんてやめたかった!今だって・・・っ」

は頭を振った。
「大切って言われたって、なんだかわかんないよ。ユキはあかりちゃんが好きなんでしょ?!」
の言葉に、ユキは戸惑うことなくうなずいた。
これ以上なく傷つけられたは、そこから逃げ出した。


ユキが追いかけてこないことを確認して、は息を整えた。
にはいよいよ訳がわからなかった。

わかったのは、結局ユキはを「幼なじみ」としてしか見ていないということ。
どんなに大切だと言ったって、それが「幼なじみ」という枠を出るわけでなく。

ユキの中に迷わずにある、あかりの存在。
ユキはあかりを好きだと認めた。
それは、やっぱり「幼なじみで大切」とは、違う感情だ。


「ひどいよユキ・・・。結局傷つけるだけなんて。」
はせり出したフェンスにもたれかかって、海へつぶやいた。
後を歩いて行く人には、の後ろ姿しか見えない。
から零れている涙だって、見ているのは海だけだ。


でも、今日のこれはがずっとユキから逃げてきた結果だ。
ずっと幼なじみという枠を外れたくなくて、せめてその枠の中にはいたくて。

最初から決まっていた出来事。
ユキに好きな人ができても、それを失いたくなかったの負けだった。





元をたどれば、とユキは同じだったのかもしれない。
二人とも幼なじみでいたくて、でも、世間一般でいう幼なじみよりは、もうちょっと特別になってしまっていて。
お互いが大切なのは、ユキもも一緒だった。

ユキの恋愛感情の成長がもう少し早ければ、もしかしたら二人の関係は変わっていたかもしれない。
それを嘆いても、それは選ばれなかった未来。
今となっては存在するはずもないこと。


この先がどう進むのか。
どんな未来が選ばれるのか、それはわからない。
ただひとつわかっているのは、ユキとが今までどおりの幼なじみではいられないということだけ。





***





去年、大好評だったクリスマス限定スイーツセット。
クリスマス・イブの営業を前に、は朝早くから準備にとりかかっていた。

夜は、はば学恒例の理事長宅でのクリスマスパーティがある。
それに出席するため、は朝早くから珊瑚礁に来て準備を始めていたのだ。
今年も瑛と二人の合作。
去年の常連さんの反応を見ながら、味付けを調整し直した自信作。


「はね学は一泊二日のスキー旅行も兼ねてるんだって?楽しそうだね、全学年合同なんて。」
が片づけをしながら瑛に言った。
瑛も開店準備を進めながら答える。
「店が忙しいのに泊まりなんて誰が行くか。」

「え?参加しないの?」
「そのつもりだったけど、じーちゃんがうるさいからパーティだけ出る。」
「えー、もったいない。私25日は1日ヒマだから、私が珊瑚礁手伝うよ。参加してくれば?」
「やだよ。それならと行く。」
「行きたい!私スキー得意!・・・って、話そらさない。」

たわいない会話をして、別れた。
瑛はに「じゃあな」と手を振った。
それから「ドレスの写メ、ちゃんと送ってこいよ」と言った。
マスターは「いってらっしゃい」と、家族を送り出すかのように見送ってくれた。

これがの最後に見た喫茶・珊瑚礁だった。



***



のパーティーバッグの中で、ケータイが静かに振動した。
話していた友達に「ごめんね」と断ったところで、振動は止まった。
ほとんどワン切りの状態に、は首をかしげた。
そのままケータイを開いて、不在着信を確認する。

『佐伯瑛』

なんだか胸騒ぎがした。
すぐにテラスに出て、瑛に電話をする。
けれど、何度コールしても瑛は出ない。
諦めてはケータイをしまった。

テラスから戻ると、会場ではプレゼント交換の真っ最中だった。
はまた友達の輪の中に戻ると、高校生活最後のパーティを楽しみだした。
胸の片隅に、瑛の名前を見たときの不安は消えることがないままに。



パーティが終わり、友達と連れ立って外へ向かうは、門のところで異様な光景を見た。
女の子たちが集団になって、遠巻きに誰かを見ている。
その視線の先に瑛を見つけたに、さっき感じた不安が大きくなって襲いかかる。
それは、周りの視線も気にならないほどだった。
友達に口早に「またね」と告げると、一目散に瑛の元へ走った。

「瑛くんっ!」
大声で呼ぶと瑛が顔をあげた。
さっき珊瑚礁で会ったときとは、服装も顔も違っていた。

パーティー用の深い藍色のスーツ。
きっとその色は、深い深い海の色。
瑛はの顔を見つけると、どんな顔をしたらいいかわからないといったように目を泳がせた。


「ごめんね。電話出られなくて。あれからかけ直したんだけど・・・。瑛くん?」
何か言いたそうに瑛は口を開いて、けれどそれを言葉にすることができなくて口を閉じた。
「・・・。」
やっと口にできたのはの名前で、でもそれ以上何も言えなくて目を伏せた。
「瑛くん。」
が心配そうに瑛の顔をのぞきこむ。

「あのさ・・・」
「うん?」
「・・・・・・」




辛抱強く、は待った。
理事長の家の前には、瑛と以外の生徒は誰もいなくなっていた。
ただ事でないことは、恐ろしいほどにわかった。
気の強い瑛が、こんな表情を見せたことなんてほとんどない。

「瑛くん・・・」
の手が瑛の袖口に触れた。
瑛の腕が一瞬震えて、表情が固くなる。
ぐっと拳を握りしめると、瑛はそのままを抱き寄せた。

「てっ・・?!」
瑛の首元に落ち着いたの顔から、瑛の顔が見えなくなった。


「・・・珊瑚礁・・・終わりだって。」
「えっ?!」
「じいちゃん、店閉めるって。」
「いつ?!」
「今日。」
「うそでしょ?!」
「うそなら・・・どれだけいいか・・・!」

瑛がゆっくりを離した。
は予想もしていなかった話についていけずに、呆気にとられたまま瑛を見た。

「今日が・・・最後?ホントに・・・?」
何度も確認せずにはいられなかった。
嘘であってほしい。
本当のはずがない。

「ねえ、瑛くん!私を珊瑚礁に連れて行って!」
自分で確かめなければ、納得なんてすることはできない。
ユナは瑛の手を握り締めた。





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