〔 ダブルバランス 〕
教会のドアをドン!ドン!と叩く瑛。
「エレーン!」
その声にふりむくウエディングドレスを着た。
「ベンジャミン!」
ユキの手を振り切って、瑛へ走る。
そのまま教会から姿を消す二人。
それで幕だ。
長かった学園演劇が、いよいよ終わる。
頭の中で終わりまでのシュミレーションをして、ユナは瑛へ向かって走り出そうとユキの手を解いた。
瑛へ向かって、一歩。
駆け出したとたんに、後から引き戻された。
「え?」
予想していなかった方向への体重移動は、の身体のバランスを崩した。
そのままお尻から倒れこむと、後から腰のあたりに手が回されて抱きしめられた。
ユキの顔が、の首筋にうずめられる。
「行くな。」
首元で、小さく囁かれた。
さすがに小さすぎて、その声をマイクが拾うことはない。
「・・・ユキ・・・?」
台本と違う。
状況がわからない。
は目をぱちぱちと瞬かせて、小さくユキの名前を呼んだ。
「行くなよ。お前が僕の傍にいない生活なんて、想像できない。」
今度は小さな声じゃなかった。
セリフと同じように、ちゃんとマイクも拾う大きな声。
確かに話の流れからは不自然ではない。
ないけれど。
それは演じているセリフではなく、ユキそのものの口調だった。
原作と違うことはすぐに観客にも知れる。
案の定、ユキの言葉に会場がざわついた。
観客はオリジナルの展開に興味津々。
が、内部関係者は後ろで大慌てだった。
「でも、私・・・・っ」
なんとかお芝居を続けようと、は動いてみた。
つなげそうな言葉を言ってみたものの、ユキの手は動かない。
キツイ、というほどではないが、座りこんだまま、ぎゅ、と後から抱きしめられたままだった。
立ちあがることもできない。
自力では抜け出せそうにない。
困り果て、顔をあげた。
その先には、花嫁を奪取しにきた瑛がいる。
あっけにとられていた瑛も、さすがにの視線で我に返った。
大道具のドアを押しのけて、とユキのもとへ歩いてくる。
「おい。コイツは俺と行くんだ。放せ。」
仁王立ちしていたと思ったら、ユキの腕をつかんでと引き離そうとする。
もう瑛もセリフ口調ではない。
腕をつかまれたユキは、も一緒に支えながら立ちあがる。
ようやく両足で立つことができて、はほっとした。
でもその後の展開は、とてもほっとできるものでなかった。
「嫌だ。渡したくない。」
ユキはもう一度そう言うと、今度はを自分の後ろへ隠したのだ。
ユキがずい、と前に出て、瑛の前に立ちふさがる。
「なに言ってんだ。その手を受け入れなかったのはお前だろ?」
瑛も一歩前に出た。
瑛まで、お芝居じゃない。
でも・・・・どうして?
胸が苦しい。
最初は、ふっと出たアドリブだと思った。
・・・そう思いこもうとしていた。
ユキが、あんなことを言うなんて、思ってもいなかった。
自分のことを、あんなふうに言うなんて、考えもしなかった。
瑛の言ったとおり、最初に受け入れなかったのはユキのほうだ。
『なに言ってんの。僕とは幼なじみだ。それだけだろ?』
そう言って、罪のない笑顔で笑っていた。
あの日。
悪夢のように、何度も夢に見た。
ユキの言葉を、忘れたことなんてない。
なのに、この仕打ちはどういうつもりなんだろう。
こんな大切な舞台の上で。
本当か嘘かもわからない。
聞くこともできない。
「ほら行くぞ。ついて来い。」
ユキの後ろにいるの顔を覗きこんで、瑛が言った。
ユキも振り返っての顔を覗きこんだ。
「・・・・私、彼と行く。」
下を向いていたが顔をあげた。
その声は、完全に怒っていた。
今、こんなことをしてくるユキがわからない。
わからないから、沸いてくるのは怒りだけだった。
大切なお芝居を、めちゃくちゃにした。
そのことが許せない。
そのままスタスタと、瑛をも追い抜いては退場した。
「ついて来いっつったのに、先に行くなよ。」
最後の瑛のぼやきが会場の笑いを誘って、劇は無事に幕を閉じた。
***
ドレスを脱いで制服を着ると、ようやく自分に戻れた。
ハプニングはあったものの、はば学はね学初の試みであった合同学園演劇は、大成功と言われた。
劇が終わってからの写真撮影。
は偽者の笑顔を貼り付けたままで、ユキと会話をすることもなかった。
「おつかれ。」
更衣室のドアを開けて廊下に出ると、同じく制服に着替えを済ませた瑛が立っていた。
両手をズボンのポケットに入れて、軽く足を下で組み、壁にもたれかかっている姿は、まるでどこかのモデルのようだった。
普通の姿に戻って最初に会ったのが瑛で、はほっとしたように笑顔を見せた。
ユキがいたら、どんな顔をしていいものか今だってわからない。
「うん。瑛くんもおつかれさま。」
「ほんっと。やたら疲れた。」
うーっ、と伸びをしながら瑛が言う。
「クラス出展でも案内してもらおうと思ったけど、どっかで休みたくなった。人の少ないトコ案内しろ。」
「うわ、えらそうに。疲れてるのは私も同じ!」
「はいはい、主役ごくろーさん。ちゃんと購買でパンとデザートと飲み物、買ってきてやったよ。感謝しろ。」
「わぁっ!やった!」
が瑛の持っているビニール袋に飛びつく。
その瞬間に瑛は手を持ちあげてに届かないような高さにした。
「えー?!」
デザートはなにかな、と中を覗きこもうとしていたは、予想外の瑛の行動に文句の声をあげた。
すると瑛は険しい目をして言った。
「文句言いたいのは俺のほうだ。」
瑛は言うなりに覆い被さるように肩から両手で抱きしめた。
「え?」
の肩がすくんだ。
首に腕を回されて、痛くないほどの羽交い締めをされた。
行き場を無くしたの両手は、瑛の腕をつかんでいいものか、空を迷う。
「公開ラブシーン突きつけられて、穏やかでいられるかっての。あぁ、くそ・・っ!なんで俺が妬かなきゃいけないんだ。」
瑛の告白に一気に赤面する。
「なんであそこでコケたんだよ。わざとか?!」
「はっ?!違うよ!ユキが急にひっぱるんだもん、転ぶよ、あれじゃ。」
は反論して、顔を瑛のほうへ向ける。
本当に目の前に瑛の目があって、は失敗したと後悔した。
相手の目しか見えない距離は、無いに等しい。
瑛の目がじっとの目を見ている。
反らすことはできなかった。
人通りがまったくない、一般公開されていない場所。
ここには学園演劇のための準備に使われる教室ばかり。
それも無事に終了した後では、人の出入りはまったくなかった。
遠くで生徒たちが騒ぐ声が聞こえてくる。
まるで二人だけ、ぽっかりと抜き取られた別空間にでもいるように錯覚する。
「妬きもちだよ。かわいいだろ?俺。」
言ってることはふざけてるのに、瑛の目はまるでふざけていなかった。
「〜〜・・かわいく、ない。」
ようやく瑛から目を反らしてが言った。
「かわいいんだ。」
「かわ・・っ」
また再びの言い争いになる前に、瑛がぎゅっとを抱きしめた。
その行為に、の言葉が詰まる。
「ごめん。ふざけてることにしてほしい。」
「瑛くん・・・」
「ごめん。俺、フェアじゃないよな。まだ答えなんていらないって言ったのに。はまだ、誰のものでもないのに。・・・ごめん。」
「瑛く・・・・」
そっと、瑛の腕にの手が触れる。
瑛を責める気なんてない。
ずるいのは、自分のほうだと、ちゃんとわかってる。
こんな状況になっても、答えを出さないでいる自分。
瑛が「いい」と言ってくれたことに甘えて、答えを出すことを先に先に延ばしている。
ずるい女は自分のほうだ。
「瑛くん、私・・・。私こそ、ごめ・・・っ?!」
謝りきらないうちに、手で口を塞がれた。
瑛をまた見れば、苦笑いでを見ている。
さっきより、顔は遠い。
「謝るな。そんな言葉、聞きたくない。」
の目を見て、もう一度「な?」と同意を求める瑛。
はその目にゆっくりうなずいて見せた。
うなずいたを確認して、瑛はゆっくり拘束を解いた。
ばつが悪そうに髪をかきあげて、瑛は笑った。
「やり直し。・・・さ、連れて行け。」
「了解。」
もぱっと笑顔になって、瑛の先を歩き出した。
心の中のわだかまりに、気づかないようにしながら。
ただ、あかりが今日、熱を出して来られなかったことに安堵していた。
***
演じながら、ずっと思っていた。
これは、演技なのか、僕なのか。
幼なじみで、婚約者。
そんな設定だったけど、そこに彼がヒロインをどう想っていたかなんて書いてなかった。
彼は、ヒロインをどう想っていたんだろう?
ずっと近くにいた、大切な人。
彼は、ヒロインを愛していたんだろうか。
僕は、を、どう想っているんだろう。
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【あとがき】
学園演劇のお約束。自分の気持ちと役を重ねてしまうGS男子でした。
今回このお話にしたのは、もちろんユキのためです。