〔 ダブルバランス 〕










修学旅行が終わってから、瑛が今までよりも生き生きしてきた。
誰よりもそう感じているのが総一郎だった。

総一郎は瑛が学校で「プリンス」なんて言われてることは知らない。
けれど、無理をして学校生活を送っていることはわかっていた。
その「ムリ」の部分がなくなってきたのだろうとはわかる。
眠そうにやっていた店の在庫チェックも、どこかきびきびとやっているし、ムダに夜遅くまで起きていることもなくなっている。

「やっぱり、楽しかったみたいだね。修学旅行。」
誰にともなく総一郎は言い、ほほ笑んだ。



***



修学旅行の延長のように、二校合同をテーマに進められた今年の文化祭。
紆余曲折はあったが、はば学側は学園演目を二校合同で行なうことになった。

キャスティングには拒否権なしの学園演劇。
主要キャストのうち一人が、はね学から選出されることになった。

今年の学園演目はアメリカ映画から「卒業」が選ばれた。
ただし、そのままを演じてしまうのは高校生らしさがないとのことで、脚本は大きく変更された。
はば学の演劇部に脚本書きを得意とする部員がいたため、まわりも劇のアレンジにはノリノりだった。
勢いがついた理由には、脚本を書いている途中で配役が決定したことが大きかった。


主人公、将来を悩む青年ベンジャミンに佐伯瑛。
ベンジャミンの心を癒す存在となるヒロイン、エレーンに
エレーンの政略結婚の相手カールに赤城一雪。

脚本は不倫のドロドロな部分が省かれて、純愛をテーマに手直しされた。
有名な教会のシーンをメインにした、パロディ「卒業」は、こうして完成した。




    漠然とした将来への不安を抱えて、一時的に帰郷するベンジャミン。
    憂鬱になっていく中で、知り合ったエレーン。
    純真なエレーンの姿に、ベンジャミンは自分の将来を見つめなおす機会を得る。
    やがて、長い夏休みが終わる。
    大学の寮へ戻らなければならないベンジャミンは、エレーンに想いを伝える。
    しかし、エレーンにはすでに将来を決められている相手がいた。
    エレーンの父親の会社の後継ぎとなる、幼なじみのカールだった。
    式は2日後。
    同じくベンジャミンに好意を寄せてしまったエレーンは、ずっとそれを言い出せなかった。

    予定通り、エレーンとカールの結婚式は執り行なわれる。
    誓いの言葉をためらったまま、誓うことが出来ないエレーン。
    そこへ教会のドアが叩かれた。
    エレーンへの想いを消せなかったベンジャミンが、花嫁を強奪にきたのだ。
    ついにエレーンはカールの手を離して、ベンジャミンの元へ。
    二人は愛に生きていくことを決めたのだった。




メインキャスト以外は演劇部が配役され、演技に妥協は許されない。
手芸部が毎年担当する衣装は、キャストに合わせて寸法して作られる。
この衣装の出来で大学の推薦進学を決める手芸部員も毎年いるほどだ。
地域の注目度も一番高い。

どうやらはね学にもそんな学園演劇があるらしく、意外にも瑛の了解は渋々ながらも出た。
あとは文化祭まで練習あるのみ。
だったが、やはり他校にいるとなかなか練習できないのが現状だった。

けれど、そこはが動いた。
瑛との練習は珊瑚礁で、ユキとの練習はば学で。といった具合に個別ながらも練習を続けた。

そのかいあってか、通し稽古では演劇部員から拍手をもらえるほど上達していた。
「本番もこの調子でいこうね!」
部長からそう声をかけられて、は大きくうなずいた。
この劇を、絶対に成功させたかった。


文化祭を今週末に控えて、通し稽古は毎日になった。
珊瑚礁の仕事があるから、と渋る瑛を説得したのは総一郎。
なんとその週の珊瑚礁を臨時休業にしてしまった。
「僕が楽しみで仕方ないから。」
総一郎はそう言って、店を開けなかった。

そうなると、瑛も集中しないわけにいかない。
気遣ってくれた総一郎のためにも、授業の後にはば学へ通った。
もちろんそのはば学にがいなければ、こうはならなかっただろう。
練習が終われば、を自宅まで送り届けた。

帰宅中の何気ない会話。
劇のこと。
学校のこと。
珊瑚礁のこと。
話は尽きることがなかった。


修学旅行でが言った「不思議な感覚」が、今日までずっと続いているみたいだった。
と瑛の距離は、一緒にいる時間に比例して前よりもさらに近くなっていた。
演劇部員達は聞くまでもなく、瑛とがつきあっているのだと思っていた。
中には「そんな二人がこうして合同演劇に出るなんて運命だ」と憧れる者も少なくなかった。

修学旅行からプリンスモードを終了した瑛だったから、はば学でもの知っている瑛そのものだった。
瑛の思惑とは別に、そのことで「プリンス」と構える必要もなく、誰もが瑛に接しやすかったのが事実だった。

反対に、居心地の悪さを感じていたのがユキだった。
家も近いので、自然とと帰ることが多かったユキ。
が、瑛が毎日を送って帰るので、そんな二人の後ろ姿を見送る日々が続く。

「どうして僕がこんな気持ちになるんだよ。」
今日も二人の後ろ姿を見送りながら、ユキは道端の石を蹴りあげた。



実際のところ、瑛との関係に特別な変化はなかった。
あの修学旅行の瑛の告白からも、瑛は自分の気持ちをそのままに押しつけることはしなかった。
「自然と傍にいられること」が、一番大事なことだと、瑛は思っていた。



***



「いよいよ明日。ちょっと緊張するかも。」
「トチるなよ。俺、アドリブはききそうにない。」

最後の練習は実際の舞台の上。
本番さながらに衣装をつけて、演劇部部長も拍手をくれたほどの出来栄えだった。

興奮気味の自分を押さえながら、はそれでも足元が浮かれている。
ときどきぴょんぴょん跳ねているの様子を見ながら、瑛は「やっぱりうさぎ。いや、小動物」などと思っていた。




「ありがとな、。」
突然瑛がそう言うので、はきょとんとして瑛を見あげた。
瑛はそんなに少し笑いながら、それでも真面目な顔で言った。

「俺、こんなに充実した高校生活なんて初めてだ。猫かぶりじゃない俺でよかったんだって、受け入れてもらえるんだって、知ることが出来た。
 楽しかった、俺。と同じ学校通えたみたいで。学園演劇、やっぱ受けてよかったー、なんて思った。
 俺さ、はね学でも、もうやってない。お前が嫌いだって言ったプリンスモード。
 そしたらさ、前よりもっと楽に生活できるようになってきた。全部のおかげだ。」

瑛がぽん、との頭に手を置いた。
なんだかそれで、の心がじんわり温かくなってくる。

「そんなこと・・。そんなことないよ。私は自分が嫌だったから、瑛くんの都合もムシして言っただけで。お礼言われることなんてなんにも・・・。」
「いいんだ。はそれで。俺に媚びないそんなお前で。」
瑛はそれまでの頭に置いていたてのひらで、くしゃっと髪を撫でた。

「らしくないこと言った。照れるからこの話はもう終わり。」
そうして一方的に話を切りあげて、瑛は歩き出す。
もそのあとを小走りに追いかけた。




「文化祭が終わったら珊瑚礁に戻れるね。」
がそう切り出すと、瑛が空をあおいだ。
「ああ。そんなこと言ったら久しぶりに珈琲の香り、味わいたくなった。」
「私も!マスターの淹れる珈琲の香り、早く味わいたい。」

「珊瑚礁に来てくれてる人たちも、俺たちみたいに思ってくれてるのかな?」
「もちろん!そう思う。優しい時間と珈琲の香りが珊瑚礁だもん。」
「それからお前のスイーツも。な?」
「だと嬉しいな。・・あ、じゃあ臨時休業ごめんなさいスイーツ作ろうかな。常連さんにサービスで。」
「お前な、もうちょっと利益を考えろ。」
「私は今後の利益を考えてるの!」








楽しげに続くと瑛の会話。
聞きたくなくても、数歩離れて歩くだけのユキに届く。
やがての家につき、二人はそこで別れた。
瑛が方向を変えて、もと来た道を歩き出す。
ユキはまだそこに立ったままだった。
瑛がユキに気がつく。


「お前、自分がどんな顔してるかわかってる?」
「え?なに?」
すれ違いざまにそう瑛に言われて、ユキは瑛を振り返った。
瑛は少し不機嫌そうな顔をしていた。
立ち止まって、ユキを見返す。

「幼なじみ。」
瑛が言った。
「ずっとそう言ってたよな?と赤城は幼なじみって。」
「ああ、そうだよ。」

「じゃー、帰ってから鏡見ろ。それ、幼なじみの顔じゃない。」

「なに言って・・・」
「嫉妬した男の顔だ。」
「佐伯くん!僕は・・・!」
慌てたように顔をあげたユキを、なぜか冷静に瑛が見ている。

「知ってるよ。あかりが好きなんだろ?」
「!?」
瑛の先手を打つ言葉の連続に、あのユキが言い返せない。
図星だと言っているようなユキの表情に、なおも瑛が言った。
「だからムカツク。幼なじみにそんな顔するな。」


いまさらそんな顔をしてくれるな。
ようやくの心が開いてきたのに。
あかりのことを好きなくせに、にそんな顔するなんて納得いかない。
お前には渡さない。


言いたいことの半分は胸にしまって、瑛はまた帰り道を歩き出す。
ユキはおもわず瑛を追いかけた。

は、佐伯くんのことを好きだと言ったのか?」
「・・・どういう意味だ?」
「修学旅行の夜、同意があってキスしていたとは思えない。」
ユキの言葉に、瑛がハッと笑った。
「そんなこと赤城が聞いてどうするんだよ。」

いらいらする。
コイツは俺の大切なものを、どれだけ奪うつもりでいる?


「僕はの幼なじみだ。僕はずっとの傍にいたんだ。」
「・・・・それだよ。」
瑛がゆっくり髪をかきあげた。
「笑顔でを幼なじみだと言って、ずっと苦しめてきたヤツに、それ以上言われたくないんだよ。」

「―――え・・・?」
「じゃあな。」
「佐伯くん!」
「・・・・明日、あかりも見に来るんだ。あかりのことも、のことも、泣かせたら俺はお前を許さない。」

「・・・どういう意味だい?」
「さぁな。劇はトチらないようにがんばろう、ってことにしといてくれよ。」
今度こそ瑛は歩き出し、後ろ姿でユキに手を振った。
ユキは呆然と帰っていく瑛を見送っていた。


「なにを言っているんだ・・・。僕はの幼なじみで・・・。」
ユキは、もう誰もいない道で、誰にともなくつぶやいた。

だって僕のことを、同じように・・・。」

大切な幼なじみだ。
それ以上のなんでもない。



そうだろう?





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【あとがき】
  ユキ、それ違うから(笑)もうね、ユキはハリーと別の意味で鈍感。
  恋愛とか考えずにここまできちゃった人。
  もしそういうことを考えている人なら、とっくにに恋心を抱いてるから。

  あかりの存在によって恋愛感情というものを知って、そのせいでへの気持ちに気づいてしまった。
  でも今ユキが好きなのはあかりで、それは揺るがなくて。
  あれ?じゃあはなんなの?
  というユキの心理なんですが・・・。

  むーぅ、難しぃかったです。
  もともとタイトル「ダブルバランス」は、「どっちが好き?」っていう意味も含んでつけたので、こういう感情を書きたかったのですが・・・。
  難しいっ!
  もっと精進したいです。この場面は今後の課題です。