〔 ダブルバランス 〕










「ばかっ!」
「ひどいなぁ、ばかはないだろ?僕はただ、かわいいって言いたかっただけなんだぜ?」
なじみのケンカに声の主を見ると、案の定あかりとユキだった。
何も知らない友人はユキたちをみて疑問の声をあげ、を見た。
は「仕方ないなぁ」とつぶやきながら、ユキたちのほうへ声をかけた。

「朝からまたケンカ?」
が声をかけたことにさらに驚いて、友人はを見ている。
でも、この状況を見守ることに決めたらしい。
驚いた顔はしていても、声は出さなかった。

を見つけると、あかりの表情がキラキラと変わっていく。
怒っていたのがうそのように、笑顔でに抱きついた。

「わーい!ちゃんだ!」
「おはよう、あかりちゃん。」
「オッス、あかり。」
「オッス、ハリー。あ、おはよう!」
「おはよう。」
一緒にいたの友人にもあいさつをしたあかりは、さっきの様子なんてうそみたいに笑顔満開だ。
そのあかりのうしろから、肩をすくめながらユキが歩いてくる。


「おはよう、ユキ。」
「おはよう、。」
「あかりちゃんに何を言ったの?」

がそう口にすると、あかりの全身から怒りのオーラが飛び出してきた。
その様子を見てまたため息をつくユキ。

「かわいいねって言ったんだ。羽学の制服。」
ユキの言葉に、のハリーも心の中でずっこけた。
あかりが怒るのも無理はないし、それをちっとも悪く思っていないユキも手におえない。


「制服じゃなくて、ちゃんとあかりちゃんをかわいいって言ってください。もう、ユキはほんっとに気がきかないんだから。」
の言葉に、友人はいよいよ目を丸くした。
はあかりを抱きとめながら、友人に笑って見せた。

友人にはその笑顔は悲しげな笑顔にしか見えなかった。
けれど、何かを決めてしまったようなの言葉に、それ以上聞きただすことはできなかった。


言われた当人のユキは、顔を赤らめたままプイ、とそっぽを向いた。
言いたいのに言えない、天邪鬼。
言われなくてもわかってる、と言ったところだろう。

「ほら、あかりちゃん。せっかくの修学旅行、楽しく行こうよ。」
「ううう・・。ちゃんのお菓子があったら生き返る。」
「はいはい。ハリーに続いて言うと思った。マドレーヌ焼いてきたから。」

「「やった!」」
あかりとハリーが同時に飛びつくのを、は嬉しそうに見ていた。





「没収。」
あかりとハリーが両手にひとつずつマドレーヌを取ったとき、の持っていた袋を後から取り上げる大きな手。
振り向くとの真後ろに瑛がいた。

「おー、佐伯。オッス。」
「瑛くん、オーッス。」
ハリーとあかりがあいさつをする。
けれどはさっきのプリンスモードの瑛がちらついて、何も言えなかった。
どんな態度をこの場所でとったらいいのか、わからなかった。

「キテルキテル・・・。」
の友人は呆然と瑛を見あげてつぶやいている。
さすがの彼女も目が白黒している。
はいよいよどうしていいかわからなくなった。
友人に瑛のことをなんと話したらいいのだろう。

「瑛くん、約束だからね。フッフッフ。」
あかりが瑛を見あげて不敵に笑った。
「ウルサイ。気持ち悪い。」
瑛があかりにチョップをくらわせる。
頭上から繰り出されるチョップはかなり痛そうだ。

「佐伯くん。女の子に手をあげるのはどうかと思うけど?」
「赤城か。いーんだよ、コイツはこれで。」
「あ、あ・・。佐伯くん!」
思わずは声をあげた。
の隣にいる友人が、会話を全部聞いている。
プリンスモードでない瑛を見てる。

。おはよ。」
「あ、うん。おはよう。・・・って、あのさ。」
確かに友人がいるのをみているはずなのに、瑛の態度は変わらない。
のほうが焦ってしまって、半分泣きそうだ。

「あ、。お前バスは俺の隣な。」
「へっ?」
「針谷はずっと歌ってそうだし、あかりはうるさいし。俺基本寝たいし。」
「えっ?!なにそれ。私つまらないじゃん。」
瑛があまりに普通なので、思わずも普通に答えてしまった。

「いいんだよ、の声は子守唄に聞いといてやるから。」
「ちーっっともよくない!」
「いいんだ。じゃ、先乗ってるぞ。」
そういうと瑛は行ってしまった。
は呆然と瑛を見送って、あとの全員はを見ていた。


あかりがの隣にすすす、と進んで言った。
ちゃん、瑛くんに『プリンスモード嫌い』って言ったんだって?」
「え?!う・・ん、言った。」
「やめるって、瑛くん。」
「なにを?」
「プリンスモード、やめるって。」
「さっきやってたよ?」
はついさっきの光景を思い出して、あかりに言った。

「まずはバスの席争奪戦を制圧してからって言ってた。制圧したんだねぇ。」
あかりがやけに嬉しそうに言った。
「早くやめちゃえばいいんだよ。『僕、佐伯瑛だよ』ってヤツ。遅いくらいだ。」
途中モノマネをはさみながらハリーが言った。
「似てるね。」
ユキがハリーのモノマネに笑った。

「なんでやめるの?プリンスモード。やめて大丈夫なの?」
が真顔でみんなを見回して言った。
「いいんじゃないの?それだけに気を許してるんだろうから。」
ユキの答えもなんだか微妙に的を外している。


「正直学校のことはよくわからないし、佐伯くんがいいならいいけどね。・・・私のせいにされたくはないなぁ。」
瑛の心境を理解しているハリーとあかりは、ため息をつくに苦笑い。


「私は最初に言ったとおり、僕って言わない佐伯瑛に一票。」
友人がハイ、と手を挙げて言うと、あかりとハリーが「おぉ」と拍手をした。


修学旅行は、初めから波乱が起きることを想定していたような始まりだった。
友人には「なんだかいろいろ理由がありそうだから、説明は後で聞くからね。」と釘をさされた。
そのとおりだったので、は「ありがとう」と答えた。
内緒にしていたことの大きさを考えたら、怒って当然なのに、友人はそうしなかった。
それも含めて、は彼女に「ありがとう」と伝えたかった。




「それではみなさーん。おはようございまーす。」
「おはよーございまーす!」

まるで小学生のような若王子先生の挨拶で始まったバスでの団体行動。
はば学3年C組担任の氷室先生と、はね学3年C組担任の若王子先生は、とても対照的な先生だった。
方や厳格な『先生』で、方や生徒と同様なはしゃぎっぷりの『先生』。
いつのまにか生徒を注意する以上に、若王子先生を注意することが多くなっていった氷室先生だった。

「ね、若王子先生ってどうして白衣?」
「若ちゃん?そりゃ、化学の先生だからだろ。」
「え、そうじゃなくって。別にいま実験とかするわけじゃないし、修学旅行だし・・・。」
「いや、白衣着てない若ちゃんは若ちゃんじゃないから、集合するとき困るじゃん?見つからないと。」
「集合はバスにすればいいんじゃ・・?みんな若王子先生目指して集まるの?」
「いーや。若ちゃんが見つからなくなるんだ。」
「・・・・・若王子先生って、どんだけ?」
「ハハハッ!」
俺は基本寝る、と断言した瑛だったが、の隣の席で目を瞑ることはなかった。

最初にものすごい好奇の目で見られていたことはにもわかった。
けれど、瑛がまったく気にしていなかったので、いつしかも気にしなくなった。
加えてバスの席はまわりにユキ、あかり、ハリーと、素の瑛を知っている人間ばかり。
クラスメイトの中でも素の瑛でいることをまったく気にしないクラスメイトもいて、なんだか予想より落ち着いていた。
どこかスッキリした顔で座っている瑛に、いつしかも動揺がなくなった。


素のままで、バスの中で会話する瑛。
見学先でも常にの隣でエスコート。
そんな瑛に、親衛隊は誰も近づけなかった。


それが瑛の狙いのひとつでもあった。
この修学旅行で、プリンスは辞める。
本当は自分のことを「僕」なんて言わないし、ひねくれてるし、口は悪い。
問題を起こさない事と、王子様ごっこは別だ。
偽者の瑛の居場所なんていらない。

瑛の居場所。
それは、素のままの瑛でいれる場所がいい。
そこだけでいい。
そして、その場所がのとなりにあるんだと、宣言したようなものだった。












「鹿、鹿!バンビー♪」
大はしゃぎで走り回るを、瑛はびみょーな笑いで見守った。
あれに参加しろとか言い出さないだろうな、と冷や汗をかく。
さすがにそれはまだ「佐伯瑛」として許せない。

「うわぁ!鹿がたっくさんおる〜♪あ、あかりちゃんや〜ん。こんにちわぁ。」
「クリスくんっ!ねー?鹿すごいよねー?」
あかりとに、クリスまでもが加わって、鹿せんべいをばらまき始めた。

「うわぁ、ジブンはば学ねんなぁ?こんにちわぁ、クリス言いますぅ。」
「こんにちは。と言います。」
がぺこん、と頭を下げると、クリスはほーぉう、と頬を赤く染めた。

「めっちゃくちゃかわいいなぁ、ちゃん。今度デートせえへん?」
「えぇっ?!なんですか、そんな急に。」
「こらこらこら。クーリース?早々に手を出さない。」

見学を決めこんでいたはずの瑛が、クリスの乱入に口をはさんできた。
「てるりんも気にいってん?ライバルやー。」

嬉しそうにクリスは鹿の間をせんべいを持って走る。
クリスに翻弄されて、鹿も右往左往している。
そんな中にあかりとが笑いながら参加している。


「だから、てるりんはやめてねー。・・・って、もう聞いてないし。」
「クリス、童心に返るってよりまんま子供だよ。」
「針谷は?一緒に戯れてこいよ。似合ってる。」
「ウルセーぞ、佐伯。ガキ扱いしてんなよな。それよりいいのかー?親衛隊解散で。」
「最初っから興味ない。」
「へぇ・・・。ま、はいいやつだよな。」
「餌付けされたか。」
「は?!なんだそれ。俺は鹿かよ?!」


ハリーと瑛の掛け合い漫才が終了したところへ、あかりがやってくる。
「ねぇ!鹿せんべいなくなっちゃった。」
「じゃー、もう終了。」
「えーっ!ヤダー!まだあげたいよ。」
「無駄遣いするんじゃない。お父さん許しません。」
「ううう・・・。バンビ・・・。」
泣いているあかりのもとへ、今度はがやってくる。
「あかりちゃん、私の鹿せんべいわけてあげる!」
「ホントっ?!わーい。」
二人はなにがそんなに楽しいのか、手を取り合ってまた鹿の中へ戻っていく。
まだつき合わされるのかと、ハリーも瑛も顔をしかめるしかなかった。


「のーしんー?」
「井上。」
「学校行事でのしんと一緒なんて、小学生以来?」
「だよなー。お前中学からはば学だもんな。」
会話をしながらイノはハリーのとなりにいる瑛に軽く頭を下げ、瑛もそれに習う。

二人の目線の先に知っている人物を見つけて、井上が「あ」と声を漏らした。
さんだ。こんなところにいたの。」
「んぁ?あぁ、さっきからあかりと鹿と戯れてる。」

ハリーが言うと、イノも二人と並んでたちを見た。
今はあかりととクリスが、三人で鹿と戯れている。
「あれもライバル?」
イノがクリスを指差して瑛に聞いた。

「何で俺に言うんだよ。」
うんざり、といった様子で瑛が答えた。
そんな瑛の顔が見たかったイノは、楽しそうに笑った。

「いや?キミがいるおかげで僕のクラスメイトはさんに近づけないらしいよ。」
イノの言葉に、瑛の目がぴくっとつりあがった。
「最近さん、非公式のミスコンでダントツトップ取ったんだ。」
「ミスコン?」
聞き返したのはハリー。
瑛の目はまたぴくぴくっとつりあがる。

「そう。『はば学男子がお嫁さんにしたい子bP』」
瑛はそれを聞いて頭をかかえたくなった。
自分も『はね学のプリンス』などと呼ばれているが、そんなこともすっかり頭から消え去っていた。
「へぇ、すっげーな。」
ハリーが相づちをうったが、瑛は気が気じゃない。

お嫁さんにしたいbPって、どんだけだ?


「それでさ、やっぱり修学旅行ってカップル成立率高いじゃん。きっかけ狙ってるヤツ多くてさ。」
「へぇー。」
今度はハリーまで、にやにやしながら瑛を見ている。
瑛はうるさそうにハリーの髪をぐしゃぐしゃにしてやった。

「あ゛ーーーっ!!なにすんだ佐伯ーっ!!」
自慢の髪を崩されたハリーは大慌てだ。
瑛はまったく知らないふりをしている。




ー!」
「あ、おーい!」
「一緒に写真撮ろーよー。」
「おっけー。」

男3人で会話をしている間に、をかっさらわれた。
「あーもうっ!すぐどっか行く!」
瑛が小さくはき捨てた言葉を、ハリーはまたニヤニヤしながら聞いていた。

「どーせ明日の自由行動も一緒なんだろー?」
を追いかけていった瑛に、ハリーが投げかけた。
「ウルサイ。まだ誘ってない。」
返ってきた答えは意外なもので、ハリーは「へぇ」と声を漏らした。

「はね学のプリンスはマメなんだねぇ。」
イノが瑛の背中を楽しそうに見送りながら言った。
「やっと殻を打ち破ったからな。」
しみじみとハリーが言った。





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