〔 ダブルバランス 〕










土曜日。
珊瑚礁に来たあかりは、誰から見ても落ちこんでいた。
あのバレンタインから数日が経ったけれど、気持ちは浮上しないままのようだった。

「営業妨害。」
瑛がぼそっとカウンターのあかりに言った。
あかりの様子を気にしていたにも当然それは聞こえてきて、戻ってきた瑛の腕をぎゅっっとつまんでやる。

「いっで・・っ!」
瑛に見習って営業スマイルを崩さずに、が言った。
「デリカシーのかけらもない。」


「だって辛気臭いだろ、こんな顔した客。」
まだ珊瑚礁が混む時間ではないため、今はあかりの貸しきり状態の店内。
そのため営業スマイル遠慮なく、瑛が言った。
「そんな悩みをマスターの珈琲で癒してもらうんじゃない。ねぇ?」
があかりにそう言うと、あかりはようやくほっと笑顔を見せた。



やっぱり、の中にあかりを妬むとか負の感情は湧いてこなかった。
せっかく会えて、チョコを渡せて。
それなのにあの結末。
いくらポジティブなあかりでも、落ちこむのは当然だ。
しかもユキ自身があのチョコを「義理」だと思っているなんて、追い討ちをかけるようで言えない。


「バレンタインってチョコあげるだけじゃないだろ?好きなら好きって言えばよかったんだ。」
「すすすすすき?!そういうの違うと思うんだけど!」
相変わらず、あかりにその自覚はないようだった。
「は?違うの?じゃまぎらわしいことすんなよ。」
「ちょっと佐伯くん!」

の気持ちを知っている瑛だから、棘のある言い方になってしまう。
それをわかっているだから、瑛を止める。
あかりはまだ、無自覚。
ユキに好意をもっていても、その気持ちをどうまとめていいのかわからないでいる。
それでもにはわかる。
自身の、すごく苦しい心と一緒に。
ユキとあかりが惹かれ合っていることが。



「ん。でも、珊瑚礁にきて落ち着いた。私バイト行くね!」
あかりが気分を切り替えるように、元気よく立ちあがった。
「あかりちゃんバイトしてるの?」
あかりのコーヒーカップを片づけながら、が聞く。

「うん。『ネイ』っていう楽器屋さん。アンティークレコードとかも扱ってるよ。」
「そうなんだ。あかりちゃんも楽器やるの?」
「私は聴く専門。といっても、シロウトレベルで。」
てへっとあかりが笑う。

「あー!思い出した、ネイつながり!」
ばばっと鞄をあさって、あかりが取り出した一枚のチラシ。
「ハリー、ライブやるんだって。行こうね!」
あかりが置いたチラシをと瑛が覗きこんでいる間に、あかりはもう店を出て行ってしまっていた。



「はりー?外国の人?」
「あー違う違う。針谷幸之進。俺たちの同級生だ。」
「へぇ、針谷のハリー?」
がチラシを手にとって見た。
ライブの日程とバンド名、メンバーの名前が書かれたシンプルなチラシ。

「行こうねって、・・・アイツまた勝手に決めて。」
「行ってくればいいじゃない。ちょうどお店も休みの日だし。」
「あのな。同級生がうじゃっといるところに、どうして俺があかりと二人で・・・。あ、そうか。」
「?」
も来い。」
いいもの見つけた!と言わんばかりの目で、瑛がを見ながら言った。

「私?!私、ライブなんて行ったことないよ!」
「ライブっつても、所詮高校生バンドだよ。緊張するようなモンじゃない。」
「え、でも・・・。」
「『どうせ店も休みだし』?」
瑛がの口調をマネして言った。





***





待ち合わせは繁華街。
初めて踏みいれるライブハウスという場所を前に、一番乗りのはドキドキしながら瑛とあかりを待っていた。
手には差し入れの小ぶりのおにぎり。
軽くおなかを満たせるようにと、あえて具はシンプルなものにした。

というのも、ライブの前に楽屋に行こうとあかりが言い出したから。
手ぶらで行くのもどうかと考えて、用意してきたものだった。
スタートの時間は6時だし、その前から楽屋には入っているし。
と考えたら、甘いものよりおにぎりの方がいいかな、と思ったのだ。

迷惑になったらみんなで食べちゃえばいいし。
あ、それにしたら多く作りすぎたかも。

はそんなことを考えながら、包みの中を確認していた。
と、目の前に影ができて、が顔をあげると瑛が目の前に立っていた。

「よ。」
「佐伯くん。」
「あかりは?」
「まだみたい。」
「ったく。俺を待たせるとは100年早・・あ、きた。」
瑛の目線の先で、あかりが手を振っている。

「わーあ、あかりちゃん雰囲気違う。」
「遅れてごめんねー。」
「もうちょっと反省の色はないのか。」
「ハリーがナナミ着てこいって、うるさいんだもん。」
「スルーかよっ!」
まるでトリオ漫才のように掛け合いをしながら、三人は歩き出した。


「バンドのメンバーはみんな、はね学生なの?」
「ううん。ハリーの小学生の頃からの友達で組んでるんだって。」
「じゃあ軽音楽部ってわけじゃないんだ。」
「うん。部活で出来れば活動費浮くのにって、よくぼやいてる。」
「そうなんだ。」
とあかりが前を歩いて、瑛がその後を歩く。


後ろから歩きながら、瑛は何度も舌打ちした。
すれ違うとき、とあかりにむけられる男の目。
わざわざそんなに振り向くな、と怒鳴ってやりたい。
あかりのミニスカートもさることながら、のミニのホットパンツも目を引く。
事前にあかりとのメールで洋服も決めると言っていたけれど、にしてはめずらしいチョイスだ。

いつかナンパ男を瑛が追い払ったときに買ったキャミに、黒のジャケット。
その下にデニムのミニのホットパンツとブーツ。
はあかりに「雰囲気が違う」と言っていたけれど、それは今日のにも言えると思う。

そんな瑛の気苦労をよそに、一向は目的地に到着。
あかりが先頭で中に入ると、そのまま楽屋まで突入した。


「ハリー♪きたよー。」
「おおっ、あかりー。佐伯も来てくれたんか?サンキュ。・・ん?」
もうすでにステージ衣装に身を包んだハリーが出迎え、瑛の後に隠れるようにして伺っているを見つけた。
「友達?初顔じゃん。」
ハリーがあかりに聞くと、あかりがうなずく。

「うん。はば学のちゃん。」
「初めまして。ごめんなさい、こんなところまで。」
「楽しんでってくれよな、俺様の歌。」
「はい。・・・・あれ?」
よくよくハリーの顔を見たは、どこか見覚えのあることに疑問の声を出した。

「あのー、前にどこか・・・。あ!煉瓦道。」
「はば学・・・。あぁ、前拍手もらったっけ。制服と私服とぜんぜんイメージ違うなー。」
「すっごくキレイな歌声だったから、また聴きたかったの。嬉しいな、今日聴けるんだ。」
よく思い出せば、その歌声が原因でユキへの告白が未遂に終わったのだけれど、もうそれはすんだこと。
それよりも、こんな偶然をは嬉しく思った。

「あの時一緒にいた男は来てねーの?俺様の歌声と景色で、結構いい雰囲気だっただろ?」
「え・・・あ・・・の、それは・・・・。えと、・・・。」
瑛もあかりもを見ている。
はそれぞれの顔を交互に見ながら、なんと言っていいかわからずに空を仰いだ。
「幼なじみだから、彼は。」
結局口をついて出たのは、一番言いたくないけれど一番落ち着く関係を示す言葉だった。


「のしんー。入り口で騒いでないで、中入ってもらいなよ。」
「お、そうだった。入れよ。」
中からメンバーに言われて、ハリーが三人を楽屋に向かい入れる。

「あれ?」
「あ。」
中に入ってが声をあげる。
それにつられたように、メンバーの一人から声があがった。

さん。」
「井上くん?え、ここにいるってことは・・・。」
「ギターやってます。」
「えぇーっ!知らなかった。」
「知り合いか?」
盛り上がる二人に、ハリーが割って入る。

「はば学の同級生。1年のとき同じクラスだったね。」
「うん。でもちっとも知らなかった。井上くん、バンドやってたんだ。」
「そうなんです。ねえ、さん。もしかして持っているのは・・・。」
イノが目ざとく、の手にある包みを見つけた。
もそれに気づいて、包みを持ちあげてみせる。

「あ、よかったらだけど、おにぎり作ってきたの。」
「うそマジで?!俺今買出し行くとこだった!」
飛びついてきたのはハリーだった。
目をキラキラさせてから包みを受け取る。
広げられた包みから、あっという間におにぎりがメンバーの手に渡った。


「見る方もハラへるぞ」というハリーの助言で、結局その場で全員がのおにぎりをほおばった。
「うっまいなー、これ。」
ハリーが2個目に手を伸ばしながら言った。

「うん、おいしかった。俺学校で自慢しよ。」
「自慢?」
「そ。さんが個人的に差し入れてくれたって。運動部の奴らに仕返し。」
「なんだそりゃ、仕返しって。」
さんの料理は最高においしいって、散々聞かされて大変なんだ。特にバスケ部。」
「バスケのマネやってんのか?」
ハリーはもう2個目を完食していた。

「ううん。私は料理研究部なんだけど、部活動の一環として夏合宿する部活の食事お手伝いがあるんだ。私それで今年の合宿はメインでバスケ部についたの。」
「他の部活の奴らは、さんの日が一日しかなかったってがっかりしてたよ。」
「またまた。うまいね、井上くん。」
「本当だって。だから次のライブも来てね。」
「ふふっ、差し入れ持参だね。」
「あれ?催促したかな。」
「ううん。じゃ、次も来たくなるくらいの演奏、楽しみにしてます。」
「うわ、プレッシャー。」
イノが言うと、は楽しそうに笑った。

「なぁなぁ、今あかりから聞いたんだけど、甘いのも得意なんだろ?俺今度は甘い差し入れ希望!」
「うん。じゃあ・・・。」
「あぁ、とびっきりの歌声聴かせてやる。だから次も来いよ。」
イノの時と同じ展開だったので、同じことを言おうとした
それをさえぎって、すぐさま宣言したハリー。
呆気にとられつつも、その片鱗を聴いていたはその言葉にうなずいた。
それだけの自信を持って口に出来るほど、ちゃんと聴く彼の歌はすごいのだろうとわかる。



「じゃー、またーねー!」
あかりが大きな声で言って、扉を閉める。
「おう。楽しんでいけよ。」
三人をハリーが見送った。

たちがいなくなると、イノはおもむろにギターを手にとった。
どこか楽しげに弾き出したイノの様子に気づいたハリーが、イノの前に座る。

「なんだよ、上機嫌だな。」
「まぁねー。はね学のプリンス、わかりやすいね。」
「はぁ?佐伯?お前アイツと何か話したか?」

ハリーはさっきまでの楽屋の様子を思い浮かべる。
イノと瑛は一言も会話していなかったと思う。
イノがとしゃべっている間、瑛もハリーとあかりと三人で話していたから。

「話してないよ。ずっとニラまれてたけどね。」
「佐伯が?なんで?イノ何かやったのか?」

鈍感すぎるボーカリストに呆れた笑いを見せながら、イノが言った。
「俺がとずっと話してたから、かな。」





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