〔 ダブルバランス 〕










瑛とは、結局珊瑚礁の店内で、さっきの続きをしていた。
総一郎が倒れる前の時間に、二人で決めていた限定デザート。
その続きをしようと、が持ちかけた。
何かを考えているほうが、余計なことを考えずにすむと思ったからだ。


けれど、最初瑛はそれに難色を示した。
「じーちゃんがあんなことになって、珊瑚礁だって営業できるかどうか・・・。」
そう言って弱気になっている瑛に、は笑って言った。

「やろうよ。二人で。二人でもできることをやろう。マスターが無理なら、ちゃんとそれをお客さんに説明しよう。
それでいいって言ってくれるお客さんがいるなら、全力で二人でおもてなしをしようよ。
佐伯くんが淹れる珈琲がいいって、言ってくれるお客さんだっているんだもん。やろうよ。」
は「もう決めてる」とばかりに力強く瑛を説得した。

「だけど、そうしたらフロアがほとんどひとりになるぞ?」
「任せて。私やりたい。クリスマスの特別な珊瑚礁、お客さんに見せてあげたい。私も見たい!」
がそう言い切ると、瑛の手がの頭に伸びてきた。
ぽん、ぽん、と無言のまま二回撫でられて、それが瑛の無言の了解なのだとわかる。

「ありがと。」
小さな声で瑛が言った。
は大きく笑顔でうなずいた。




それからは、お互いあーでもない、こーでもない。
総一郎が倒れる前の時間のように、妥協を許さずに話し合った。










瑛が目の前に掲げていたデザイン画をどけると、目の前でが机に突っ伏して目を閉じていた。
腕の下にあるデザイン画には、の字で大きく「決定!」と書かれていた。

「おい。」
瑛はさすがに声をかけたが、すっかり寝てしまったのかからは何も返ってこない。
瑛はの腕の下から、そっとデザイン画を取りあげた。

ひとつのプレートに、瑛が作るブッシュドノエルとが作るババロアベースのカップケーキ。
揉めたのはカップケーキの上のデザートだ。
ゴロゴロとたくさんのせたがるに、コストの面で瑛が止めに入る。
イチゴを3個とブルベリーをのせたい!と譲らなかった
が、今のところにあったデザイン画はイチゴ1個分がスライスされて生クリームの上に飾られていて、そこにブルーベリーを2個のせると書かれていた。

「・・・ホントに、すごいよ。」
瑛はデザイン画からに目を移しながら言った。
仕事は最初からできるヤツ、と思っていたけれど最近では気持ちの入り方も違ってきたように思う。
瑛たちの大切な場所を、同じように大切にしてくれているの気持ち。
仕事においても、最近はそれを強く感じるようになった。

助けられているのは、仕事のことだけじゃない。
今日、本当にそれを思い知った。

瑛はそっとの手に自分の手を重ねた。
今日、どれだけこの小さな手に救われたかわからない。

今、総一郎を失ってしまったら、珊瑚礁も失ってしまう。
その二つを失うということは、瑛にとったら心の支えを失うことと同じだった。
総一郎と手が離れたとき、瑛は自分がひとりなのだと、総一郎がいてくれなくては今の生活ができないのだと思い知った。
それは瑛にとって絶望的な事実で、同時に怖くてたまらなかった。


そこに、の手があった。

瑛が珊瑚礁をどれだけ大切にしているかを知ってくれていて、同じように珊瑚礁を大切にしてくれている。
瑛がむりやり引きずりこんだのに、この業種に天性の才能をもっていた
今日だってこのひとつのメニューを決めるのに、こんなに遅くまで真剣に話し合った。

瑛は、の手を握りしめた。
はそれに気づくこともなく、眠ったままだ。

瑛はに言った。

「・・・・なぁ、。若者は人魚じゃない人間と、違う恋ができるのかな?」
珊瑚礁の窓の向こうに白い灯台が、月明かりに浮かびあがって映っていた。







***








「瑛くーん、ぜんぜん混ざらないけど。」
「わっ!ばか!水入れただろ?!」
「入れないの?」
「チョコと水は分離するんだ!あーもう、かせっ!」

目の前で繰り広げられる悲惨なやりとり。
それをは苦笑いで見ながら、自分も作業を進めていた。
いつもは珈琲の香りでいっぱいの珊瑚礁。
今日だけは甘いチョコの香りに溢れていた。



瑛と作業をしているはね学の彼女。
海野あかり。
瑛に教えてもらいながら、それでもわざと?というくらい瑛の目がないときにやらかす。
料理は苦手のようだった。

そんな彼女でさえがんばってしまうイベント、バレンタインデー。
珊瑚礁の開店前に終わらせるはずだったチョコ作りは、結局閉店後まで延長になった。
本当は家に帰ってから作るはずだったも、あかりの手伝いという名目で珊瑚礁で作ることになった。
焼き菓子が得意なは、フォンダンショコラ。
あかりはチョコを溶かして流しこんで作るスタンダードなチョコ。
デコレーションは得意!と言っていたが、まだそこまでいかない。
それでもやっと形になって、今、冷蔵庫で固めているところだ。


「海野さんは・・・。」
「あかりでいいよ。私もちゃんって、呼びたいし。」
頬に両手をついて、の作業を見守るようににっこり笑ってあかりが言った。
「ありがとう。じゃ、あかりちゃん。あかりちゃんは珊瑚礁のこと知ってるんだね。」
「うん。最初はここでバイトしてたの。」
「え?そうなの?」
思わずは顔をあげて瑛を見た。

珊瑚礁でバイトをしていた同級生は、前に話を聞いた、瑛の初恋の女の子だ。
瑛は聞こえているのに知らん振りしている。

「でもほら、ちょっとドジなもので、どんどん自信なくしちゃって。・・・で、瑛くんにはごめんねって。」
「そうだったんだ・・・。」
「突然だったから、きっと瑛くん困ったよね。あのときは本当にごめんね?」
話の途中で瑛を見て、あかりが謝った。
「いいよ。おかげで超有望新人ゲットしたから。」

あの日、瑛からかかってきた電話をは思い出した。
つい最近、ようやく名前を知ったばかりのに助けを求めてきた瑛。
後で知ったことだが、内緒だったのは珊瑚礁のことももちろん、瑛の素顔もだった。
瑛はどうやら学校ではそうとう猫かぶっているらしい。
本人は問題をおこさないためにやむなく、と言っていたけれど。


「あかりちゃん、佐伯くんって本当に学校だと別人なの?」
興味本位ではあかりに聞いてみた。
のほうはもう出来上がっていて、今はオーブンの中で完成を待っている。
「見たら笑っちゃうよー。別人っていうか、作りすぎてて。はね学のプリンスとか言われちゃってるし。」
「ウルサイ、だまれ。余計なこと言うなよ。」
「ねぇ?ここではこんな調子だもんね。」
瑛をますます逆なでしつつ、あかりが言う。

「私はこんな佐伯くんしか知らないから、想像つかないなぁ。」
は知らなくていい。」
洗い物をせっせと片づけながら瑛が言う。
あかりとは顔を見合わせて「やれやれ」と言うように笑った。






チョコレートをラッピングして完成したのは、とあかり同時だった。
「もーう、すっかり遅くなったな。順番で送ってやる。」
瑛が外へ出る準備をしながら二人に声をかけた。

「私はいいよ、近いから。」
「私も大丈夫だよ。」
あかりもも口々に断ったが、瑛は了承しなかった。
「じゃーちょっと遠回りだけど、もついてこい。あかりを送ってからの家まで送ってやる。」


とあかりで並んで前を歩いて、その後を瑛がついてくる。
隣に並んで歩いたらいいのに、とは思うが口にしない。
言ったところでまた「ウルサイ」と言われるのがわかっている。

の隣を歩いているあかりは、嬉しそうに紙袋に入れたチョコレートを見ている。
もしかしたら、手作りをあげるのは初めてなのかもしれない。
「明日が楽しみだね。」
あかりの様子がほほ笑ましくて、は声をかけた。
とたんに、あかりの顔が暗く沈んだ。
さっきまでの笑顔は、すっかり消えてしまっている。

「渡せるあてはないんだよね・・・。」
そう言ってうつむくあかり。
あんなに必死に作っていたのに、渡せないチョコかもしれないなんて。
「同じ学校じゃないの?」
平日のバレンタイン。同じ学校だったらきっと会える。


「うん。はば学なんだ。はね学の制服ではば学行くのって、ちょっと抵抗あって・・・。」
「私、はば学だよ?」
「本当に?!」
の言葉に、あかりの目がきらきらと輝きだす。
その笑顔がたまらないほどいとおしく感じて、は笑って言った。
「うん。なら、明日おいでよ。」
「え、でも・・・。」
突然の申し出に真っ赤になるあかり。


心の準備ができてない!と言い出したが、そんな準備いらない!と逆に言われてしまう始末。
結局あかりが折れた。
「じゃあ・・・頼っちゃおうかなー、ちゃん。」
「うん。好きな人、よろこんでくれるといいね。」
が何気なく言ったとき、あかりの周りの空気が凍った。

え?なにコレ。

少なからずが動揺していると、あかりが口を開いた。
「すっ・・好き?!そんなんじゃないよ?!」
「え・・でも・・・。」
ひとつだけの力作手作り。
作っているときの、あの表情。
どう見ても恋してるとしか思えない。

「そうなんだ・・・・。」
納得できなかったけれど、納得したように言った。
そして空気を変えようと、話を元に戻した。

「ところでその人、部活とかやってる人なのかな?」
「うん。生徒会やってるんだって。」
「あ、私生徒会に知り合いがいるよ。幼なじみ!じゃあユキにも協力してもら・・・・。」
「ユキ?」
あかりが、ただでさえ大きな目をさらに大きく丸くしてを見た。
そのときに、気がつくべきだった。


「もしかして、赤城一雪くん?」

あかりの目がキラキラ輝いた。
反対に、の頭の中では事態が最悪の方向へ動いていった。


雨の日に出会った、名前も知らない女の子。
偶然に会うことが重なって、いつしか恋心を抱いて・・・。

ユキが、見たこともない表情で話をしていた女の子。
同性のから見ても、かわいいかわいい女の子。
目の前にいる、海野あかりという名前の女の子。

めまいがする、というのは本当なんだと思った。
頭の中がくらくらしている。
足取りがふわふわしている。

私たちは、同じ人に贈るチョコレートを作っていたんだ。





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【あとがき】
  ついにバンビ登場!ちゃんの恋の終焉。