〔 ダブルバランス 〕










11月の中旬から、珊瑚礁はクリスマスの準備に入る。
珈琲も期間限定のブレンドを限定でそろえて、それが数量限定なものだから実は結構な忙しさになる。
デザートとの限定セットは、開店前から並ぶ人がちらほらいるほどだ。
毎年楽しみにしてくれる人がいる。
それは嬉しいプレッシャーだった。

金曜日の夜、珊瑚礁閉店後。
机いっぱいにラフ画が広がる。
今年のクリスマスの目玉になるデザートのデザイン画だ。

今までは総一郎が珈琲を決めて、瑛がデザートをそれに合わせていた。
今年は瑛に引けをとらないスイーツ名人のがいる。
珊瑚礁の利益はもちろんのこと、来てくれるお客様を喜ばせたいと、例年以上に気合が入る。


「瑛。気持ちが入るのはいいけれど、さんをあまり遅くまで引き止めるんじゃあないよ。」
総一郎はそう瑛に忠告しつつ、瑛とのために食事を用意してくれた。
「明日は学校お休みだし、ちゃんと親にも遅くなることを言ってきましたから、大丈夫ですよ。」
が瑛をかばうように総一郎に言った。



が珊瑚礁で働きだして、もう半年がすぎた。
にとっても珊瑚礁は愛着のある場所になっていたし、メニューを考えるのは楽しかった。
今日のことも最初から瑛にやろうと相談されていたことだし、問題ない。
それより瑛が、こんな大事なことをに相談してくれたことが嬉しかった。

「帰りは俺送っていくから、安心してよ。じーちゃん。」
デザイン画を描きながら瑛が言った。
総一郎は二人を優しい目で見ると、「それでもほどほどにね。」と言い残してお店を出て行った。

「じゃあコレをさぁー・・・」
瑛がラフ画を指差してに説明をしようとしたとき、店の外の廊下でドターンと大きな音がした。
瑛とは驚いて顔をあげて目を合わせると、すぐに瑛が顔色を変えて飛び出した。
「じーちゃん?!」


総一郎が廊下に倒れていた。
足元には瓶が転がっている。
「じーちゃん!」
瑛がすぐに総一郎の身体を起こした。

「・・・ってる・・・っ・・・・」
総一郎は心臓を押さえながら、ゼイゼイと苦しそうに息を吐き出した。
「じーちゃん!じーちゃん!」
取り乱して瑛が総一郎を呼ぶ。
その様子を一瞬呆然と見ていただったが、すぐに自分も動いた。

「佐伯くん、救急車呼ぼう。」
しかし瑛はの言葉に答えない。
総一郎を抱き起こしたまま、総一郎を呼び続けている。


手遅れになるかもしれない。


今この場で冷静に対応できるのは自分のほうだと、は瑛の腕を強引に引っ張った。
「佐伯くん!」
その行為と言葉に、瑛がはっとしてを見た。
はできるだけ瑛を落ち着かせるように、ゆっくりはっきり言葉を選んだ。

「佐伯くん。私が救急車呼ぶから。マスターをゆっくり支えてあげていて。ね?」
の言葉に、瑛はうなずいた。
は瑛がそうして反応してくれたのを見て、は瑛の腕を優しく叩いた。

「大丈夫。佐伯くんがしっかりしないと。」
そうしてが笑って見せると、瑛は緊張が解けたようにひとつ息を短くはいた。










救急車で夜間の救急病院に運びこまれた総一郎は、検査のために治療室に入っていた。
瑛はあれから一言もしゃべらなかった。
救急車を呼んだあと、は家にも電話をかけていた。
今の状況と、もしかしたら今日は帰れないかもしれないと伝えると「がんばりなさい」と言われた。
だからも瑛と一緒に救急車に乗って、今も瑛の隣に付き添っている。

救急車の中で、瑛はずっと総一郎の手を握っていた。
心配そうに、ずっと総一郎の顔を見ていた。

病院に着いて総一郎と離されてしまうと、瑛はとたんに子供のように顔をゆがめた。
手が離れてしまうことが嫌で、でも離さなければいけなくて。
そんな葛藤の中で手を離した瑛は、思わず隣にいたの手をとった。

「え?」
びっくりしてが瑛を見ると、瑛はを見ていなくて、総一郎が運ばれていった先をまだ見ていた。
「ごめん。手、つながせて。」
瑛が小さな声で言った。
それが今にも泣きそうな声だったので、はすぐに「いいよ」と答えた。

二人で手を繋いで、椅子に座った。
でも会話はないままだった。
そのままどれくらいかの時間がすぎて、看護士が二人のところにやってきた。



結果的に総一郎の身体に異常はなかった。
瓶に足を滑らせて転んだときに腰は打っていたから、そっちの治療は必要になるとのことだった。
心臓を押さえていたのも、驚いて呼吸が乱れただけだから、大丈夫。

病状の説明を受けたあと、安心して瑛はその場にへたりこんだ。
手はつながれたままだったので、も思わずよろめいた。
瑛が腕で目元をぬぐったのを、は見なかったことにした。

夜も遅かったことと、総一郎が高齢だったことで、今夜は総一郎は病院に泊まることになった。
意識は落ち着いていたので、帰る前に総一郎本人と話すことができた。
しきりに総一郎がに謝るものだから、は逆に申し訳ない気分になってしまった。

荷物も何も珊瑚礁へ置いたままだったので、も瑛と病院から珊瑚礁へ帰った。
病院を出るときに、瑛が無言でに手を差し伸べてきた。
もそのまま瑛の手をとった。

瑛が一歩先を歩いて、がその斜め後を歩く。
相変わらず手は繋いでいても、会話はなかった。
それでも、居心地の悪さは感じなかった。
と手を繋ぐことで、瑛の気持ちが落ちつくのだとわかったから。


口は悪くて変に大人びているけど、やっぱり同じ子供なんだ。


瑛の後ろ姿を見ながら、は思った。
だって、もしも家族が突然倒れたらパニックになる。
瑛のように家族の名前を呼ぶことしかできないだろう。

少しは役に立てたかな?

いつも珊瑚礁で教えてもらうばっかりで、瑛には迷惑かけてばかりだ。
仕事とは別のことだけど、役に立てたなら少しは恩が返せたかもしれない。




瑛とに会話はなかったが、そんなことを考えていたらあっという間に珊瑚礁に着いた。
そのまま店の扉を開けようとして、瑛は初めて鍵がかかっていることに気づいた。
「ごめん、私鍵かけていったから。」
が瑛の前に出て、珊瑚礁の扉を開ける。
。鍵の場所、よくわかったな。」
「うん。何かあったらいけないと思って場所だけは覚えてた。」

聞いたわけでも確認したわけでもない。
お得意の、見て覚える。

最初から瑛が珊瑚礁をものすごく特別に思っていることは知っていた。
バイトに入りだしてから、瑛にも総一郎にも珊瑚礁は必要な場所なのだと知った。
だから、その鍵をが触ることはタブーだと思っていた。
今までさわることもしてこなかったけれど、今日はもう仕方ないと戸締りをしてきた。
鍵をかけなかったことで、珊瑚礁が荒らされてしまうほうが、二人を傷つけてしまうから。


「・・・ホントに、すごいよ。お前。」
「ありがとう。はい、鍵。ごめんね、勝手に持ち出して。」
本来の持ち主へ珊瑚礁の鍵を返すと、ようやく肩の荷が下りた気がした。

「今日は、ホントごめん。がいなかったら、俺、どうなってたかわからない。」
「佐伯くんのことも、マスターのことも、私が役に立てたならよかった。」
瑛に言われたことで、改めて役に立てたのだとは嬉しくなって笑った。

「じゃあ、私帰るね。」
時計を見ると、余裕で日付が変わっていた。
「え、じゃ俺送る・・・・」
「いい。佐伯くんはもう休みなさい。」
びしっと言いながらは笑った。

さっきの帰り道。
荷物を珊瑚礁に置いてきて正解だと、ずっと思っていた。
瑛をあんな中、暗い道ひとりで歩かせることなんてできないと思った。
総一郎の病状は安心できるものだったけれど、家族が病院にいるというだけで不安になるのは当然だと思う。

だから送ってもらったら、そこからひとりで瑛を帰らせなければならない。
それは絶対ダメだと思った。

「俺が送るって、じーちゃんと約束したんだ。破れるかよ。」
「でも、こんな暗い中、佐伯くんをひとりで外にいさせたくないよ、私。」
「だからって、お前もう1時すぎてるんだぞ?!」
「でもヤダっ!」
押し問答でどちらも譲らない。

「・・・・じゃあ、明るくなったら送る。それでいいだろ?」
「え?!明るくって・・・。」

考えもしなかったことには面食らった。
今は冬。
日の出は早くても5時すぎる。


「え、ーと・・・。」
返事に困って視線を泳がせたに、瑛が申し訳なさそうに言った。

「悪い。でも・・今日だけ。今日だけは俺、ここに一人でいるのも嫌なんだ。なんか良くないことばっか、ぐるぐるぐるぐる・・・。」
「佐伯くん・・・。」
にこんなとこ見せるなんて、ホント最後にする。だから、今日だけ、一緒にいて欲しい。」

は考えた。
瑛のことを思うと、一人で帰ろうと思っていたけど、やっぱり怖いのは本音。
それだったら送ってもらいたいけど、今は自分のことで甘えたらいけないと思う。
「ん。わかった。いいよ。」
がそう言うと、瑛がほっとしたように笑った。





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