〔 ダブルバランス 〕
「会いたいな、って思ってる子がいて。」
そうして始まったユキの話。
それを、どこか物語を聞くようには耳をふさぐこともなく聞き入れていた。
「彼女がこのあたりのバス停で降りたことが気になっていたから、綺麗な海が見られるかなって、降りてみたんだけど。」
ユキの顔が見えているわけでもないのに、浮かぶ。
ユキはの見たことがない、あの表情で。
彼女を想ってる。
「ごらんのとおり、途中で本降り。・・・でも、雨の中だったんだ。彼女と出会ったのも。」
雨の中の、出会い。
それは奇しくも、と瑛と同じ。
けれど、今のにはそれを思い出せる余裕もない。
「へーぇ。」
相づちをうちながら、瑛は後に続くドアの外を気にする。
あの向こうでは聞いている。
「それから再会して、でも名前は知らなくて。また別の日に、奇跡みたいにもう一度会えたんだ。」
ショッピングモールで、ユキの目が追いかけた人影。
その横顔を、見ているだけしかできなかった。
切なくて、切なくて・・・。
「ようやく知ることができた、彼女の名前と学校。」
また、声が笑っている。
わかる。
ユキが、その出会いを、本気で大切にしてきたこと。
は抱えたひざに顔をうずめた。
「・・・でも、またケンカしちゃってね。連絡先、聞きたかったけど、それはできないまま別れたよ。」
「会ったのってたった3回だろ?所詮そんなもんじゃないの?」
「うん。そうかも。3回会って、3回ともケンカしたんだ。普通はもうヤダって思うよな。・・・なんでだろう。なんで僕はまた会いたいなんて思うんだろうな。」
「そんな偶然を運命なんて思うよりさ、もっと近くにあるんじゃないの?お前の運命。」
「近く?同じ学校とか、そういうこと?」
「そ。・・ほら、たとえばこのマフィン作ってくれる幼なじみとか。」
「、か。・・・をそんなふうに見たことはないな。大切だけど、・・・なんか違うんだ。」
瑛の手が震えた。
そして瑛は、空気が震えるのを感じていた。
一瞬、雨とは違う水に揺れる空気。
それはきっと、の涙だ。
***
廊下にうずくまったままのに、瑛が声をかける。
雨も風も弱くなって、ユキはもう店にはいない。
「なんか、悪かった。やだよな、あんな知り方。」
瑛はぶっきらぼうにに声をかけた。
「対象外なのは、最初から知ってた。仕方ないよ、佐伯くんは悪くない。」
は、ずっと思っていたけれど、否定したかった言葉を言った。
「でもさ、お前このままじゃいやだろ?」
「そりゃ・・・。でも、どうにもできないよ。なにをしたらいいのかもわからないし、どうしたらユキが幼なじみじゃなく見てくれるかもわかんないもん。」
それがわかっていたら、とっくにそうしていた。
自分ではがんばってがんばって、近づきたくて。
でも、『幼なじみ』は変わらないままだった。
「やっぱさ、言葉にするしかなくないか?態度とか、そんなんで伝わる枠は越えちゃってるだろ?」
「でも・・・。佐伯くんはできる?相手に好きな人がいるってわかってて、告白。
振られるのがわかってて、振られたら、今までみたいな『幼なじみ』っていうのもなくなっちゃう。それでも、告白できる?」
「今のお前に都合のいい位置。それを変えたくないんじゃ、できないよな。でもその位置ってさ、壊さなきゃ絶対先はないんだ。」
に、ではなく瑛が、まるで瑛本人に言っているような雰囲気だった。
その顔から見られる感情は、「後悔」。
「佐伯くん・・・?」
「あ、悪い。なんか俺、偉そうに・・・。」
めずらしく素直な表情で瑛が言った。
けれど、はその話を別のことのように受け止めていた。
「佐伯くん、それって、自分のことなの?」
鋭すぎるの言葉。
瑛はため息を大きくひとつ吐きだして、の隣に座った。
「小さい頃、一度だけそこの灯台で会った子がいたんだ。迷子になって泣いてたその子を、何とか笑わせたくて・・・。
じいちゃんに絵本読んでもらったり、灯台からの夕日を見せてやったりした。オレンジの、すごく綺麗な夕日だった。
それを見たら、その子、ようやく笑ってさ。俺の好きなもの、同じように好きって感じてくれたことが嬉しくて。また会いたいと思って、キスしたんだ。
俺にとって、キスは魔法だったから。それでまた会えるんだって、信じてた。」
瑛から紡ぎだされる言葉は、とても綺麗な言葉だった。
普段乱暴な言葉を投げてくる瑛。
でも、こういう話をするときはすごく丁寧に言葉を使うんだと、はそんなところに感心していた。
「高校に入って、その子と再会した。・・・でも俺、珊瑚礁のことでいっぱいいっぱいで、余裕なかった。
気づいたらソイツが悩んでることとか、なんにもわかんないままで。
最初ソイツ、珊瑚礁でバイトしてたんだけど、『もうできない。辞めたい』って言われて。
昔のこと覚えてるのは俺だけだし、『あー、そんなもんか』って。今じゃ好きな男の恋愛相談聞かされてる。
・・・本人は天然まじボケで、恋愛なんて気づいてないけど。」
最後の言葉こそいつもの調子だったが、口調は違っていた。
けなしているのではなく、「仕方ないよな」とでも言いたげな様子で。
「でも、俺はもういいんだ。まだ俺の中でも、恋じゃなかったから。
複雑な気もするけど、アイツと再会できたことで、俺の初恋は終わったんだって、そう思ってるし。いい思い出だよ。でも、はそうじゃないだろ?」
「・・・・。」
「連絡先すら知らないって言ったぞ、赤城。まだ何も進展してない。次、・・・もしも赤城に次がきたら、きっと先に進む。なら、今しかないんじゃないか。」
もしも、次がきたら
きっと先に進む
なら、今しか
「・・・・無理だよ。」
の脳裏に、先日の告白未遂事件が浮かんだ。
彼女を偶然見つけたユキ。
その表情を見ていたくなくて、告げようとしたの想い。
けれど今、聞いてしまった。
「をそんなふうに見たことはない」と。
はっきり否定されてしまった。
「恋愛対象じゃないけど大切って。・・・私どうしたらいいんだろ。でも、大切って言われたことは、嬉しいの。バカみたい。」
悲しいと、嬉しいの狭間。
瑛は無言で泣いているの頭をくしゃっと撫でた。
の頭の上に置いた手が自然と後にまわる。
そのままを引き寄せそうになって、瑛はハッと手を止めた。
呆然として瑛はを見る。
はそんな瑛に気づかず、顔を伏せて泣いている。
瑛は自分のてのひらを見る。
この手は、なにをしようとした?
突然瑛に襲い掛かった衝動。
を抱きしめて、背中を撫でて、なだめてやりたかった。
なんで俺、そんなこと・・・?
ユキがをそんなふうに見たことがないと言ったとき、手が震えるほど怒りがこみあげてきた。
あの怒りの元はなんなのかは、はっきりしない。
けど、ユキがを大切だと言ったように、瑛もを大切だと思っているのは確かだ。
は自分の秘密を知っている。
それを口外することもないし、素の瑛と普通に接してくれる。
がいなければ、今の珊瑚礁は維持できない。
それほどにの存在は重要だ。
瑛はもう一度自分のてのひらを見た。
きっと、慰めたかっただけだ。
泣いているよりも、笑顔でいるのほうが、、よっぽど好きなのだから。
の接客のときの笑顔は、本当に力があると瑛は思う。
瑛目当てで通う女性客からも、いつのまにか「ちゃん」と可愛がられているほどだ。
きっと俺、あの笑顔が見たいんだ。
瑛はそう納得して、てのひらをもう一度の頭に置いて、ぐしゃぐしゃっと撫でた。
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【あとがき】
理性でとめられない行動。衝動?
そんなものと戦う瑛。