〔 ダブルバランス 〕
今日はちゃんと作ったお菓子を、ユキに渡すことができた。
生徒会の仕事は早くに終わって、ちょうどフィナンシェが焼きあがった。
焼きたてを食べてほしくて、とユキは教室で話をしながらお菓子を食べていた。
「うん。おいしい。」
一口食べてすぐにそう言ってくれたユキを前に、の心が弾んだ。
生徒会のことや、学校生活のこと。
たわいない会話でも、楽しかった。
それに、いつもよりもユキのほうが会話を弾ませていた。
それは今までにない展開だったかもしれない。
思わずの口から、探るような言葉が出た。
「どうしたの?ユキ、最近楽しそう。」
「え?そう、かな?・・うん、そうかもね。」
ユキがとてもいい笑顔でそう言うものだから、つられても笑顔になる。
なにが楽しいんだろう?
なにかいいことがあったのかな?
・・・それって、もしかして。
私が関係したりする?
だとしたらすごく・・・・。
の淡い予感と期待は裏切られる。
ユキの一言によって、崩壊する。
「最近、街で偶然会う女の子がいるんだ。その子のことがすごく気になるっていうか・・・。
これはもう運命なんじゃないかとか。・・・あ!笑うなよ?!」
言われなくても、笑えない。
彼女のことを思い出して話をするユキ。
の表情が凍りついたことなど気がつかない。
ユキ。
私、ユキのそんな嬉しそうな顔、初めて見たよ・・・・。
***
ユキと別れてから、どこをどう歩いてきたのか。
は羽ヶ崎の海にいた。
シーズンを外れた海には、人の影もない。
ローファーの中に砂は容赦なく入ってくるけれど、それを気にする余裕もなかった。
波の音だけがの歩くペースにゆっくりついてくる。
いつしかは足を止めて、制服のまま浜辺に座りこんだ。
スカートにたくさん砂がつくことも、嫌とは思わなかった。
あきらかにユキは恋をしている。
まだ育ちきっていないとしても、それは恋の卵として温まっている。
やっぱり、幼なじみは幼なじみのまま。
恋に変わることなんてなかった。
ユキの中で。
だけがかえしてしまった恋の卵。
でも、一緒に育ててくれる人はいなかった。
ユキは、ではない別の人への恋の卵を温めている。
「あー・・もう・・・!」
聞こえるのは波の音だけのはずなのに、聞こえてくる雑音。
ユキの声。
『そのコのことが、すごく気になる』
幼なじみには向けられなかった言葉。
知らない誰かに向けられた、ユキの想い。
「―――見てください、私は落ちこんでいます。」
「?!」
誰もいなかったはずなのに、の真後ろから声がした。
驚いて振り返ると、の目線の高さまで座りこんでいる、あの雨の日の彼がいた。
雨宿りの日とは違って、副職だと言った高校の制服を着ていた。
それは羽ヶ崎学園、通称はね学の制服だった。
「制服、クリーニングは大変だって話したろ?ほら。」
彼はの右腕をつかんで立ちあがらせた。
「砂は自分で払えよ?俺がやると・・ほら、な?」
「・・・・・・。」
は言われるがままにスカートの砂を払った。
「テストの結果でも悪かったのか?」
は彼の言葉に、小さく首を振った。
伏せ目がちで覇気がない。
はば学にいたら成績が落ちることが一番の不安要素かと彼は思ったけど、違ったみたいだ。
「違う、か。なんか半端事じゃなさそうだな。」
「・・・・・。」
「ま、いいや。ちょっとこい。」
彼はが無言でいることにかまわず、の腕を引いた。
の腕を引くために持ち替えた紙袋が、小さく音を立てた。
そのまま丘を登っていく。
海岸通りからも結構な距離を歩く丘には、この場所に用事がない人間は上がってこない。
この丘の上には、ポツンと一軒の家があるだけだ。
少しの警戒心からの足取りが重くなる。
彼はそれに気づいて振り返る。
「俺のテリトリー、踏みこませてやる。」
「え?」
「お前のマフィン、めちゃくちゃウマかった。」
「あ・・りがとう。」
―――マフィン。
それすらも今、聞きたくなかった。
思い出してしまう。
どうしても。
ユキを。
ユキ。
すごく、すごく、いい顔してた。
初めて見た顔だった。
ユキの、『男の子』の顔。
彼は相変わらずの様子などにお構いなしで、さっさとお店の扉を開けた。
その扉には、定休日の札がかかっているのが見えた。
「え・・ちょっと、いいの?」
さすがに気が引けて、の足が止まった。
「いーの。」
喫茶店特有の、カランカラン、という音が鳴る。
「ただいまー。」
「ただいま?!」
状況についていけないは、
(もちろん何にも説明してないで、の気持ちを気にしていない彼に問題がある)
目を丸くして驚いているだけでしかなかった。
さっきまでの落ちこんでいたとは、まるで違う表情だ。
そんな様子のを見て、彼はプッと笑いをこぼした。
「じーちゃん?荷物ここに置くから。」
カウンターに荷物を置いて、奥の部屋に彼が声をかける。
と、初老の男性が顔をのぞかせた。
目が合って、はぺこっと頭を下げた。
「おやおや、初めてのお客さんだ。こんにちは。瑛の祖父です。ここで珊瑚礁のマスターをやっています。」
「はじめまして。・・・あの、・・・瑛って?」
「あぁ、俺の名前。佐伯瑛。そういえば俺も知らない、名前。」
「あ、です。」
いまさらながらの自己紹介に、総一郎も驚いた。
「二人とも、名前を知らないでいたのか。」
「いえ、あの・・・。本当に顔見知り程度でしか知らなくて・・・。」
「あれだよ、マフィンの子。」
総一郎の横を通りながら、瑛がぼそっと言った。
「あぁ!瑛の雨宿りのお相手ですか。マフィンは私もご馳走になりました。ありがとう。」
「あの、そんな・・・。よく考えたらプロの方にあんなものを・・・。」
「いやいや、あれは忘れられない味だった。だから瑛もこうしてあなたを連れてきたんですよ。」
総一郎とが会話している間、奥に引っこんでいた瑛が姿を見せた。
瑛の姿は、あの雨宿りの日にと出会ったときの服装だった。
「ここは、じーちゃんと俺の店。」
瑛の言葉に、は自然とうなずく。
「で、俺が前に言った、高校生より本職に思ってる場所。」
話しながら、時間を惜しむかのように瑛は手を動かして何かを準備している。
「深夜まで営業してるから、俺が高校生だってことは秘密なんだ。」
「秘密・・・。あ、大丈夫。私、別に告げ口とかしないから。」
口止めをしたくてここに呼んだのだと悟って、は両手をばってんにして見せた。
「お前・・・子供かよ。」
そんなに、さむーい目線を送る瑛。
じゃあなに?と、大してその目線を気にせずに、こてん、と首をかしげる。
「制服汚れたら困るから、ほら、着替えてこい。」
瑛が自分が出てきた奥の部屋を指差す。
「はい?なんで・・・。」
「教えてくれよ、ほら、あのマフィン。コツだけでいいから。材料コレで足りるか?」
「瑛。」
一人でどんどん走っていってしまう瑛の会話に、さすがに総一郎が止めに入る。
「お嬢さんが話しについていけていないよ。一人で進まないように。」
「いーんだよ、じーちゃん。コイツ、今考え事させちゃいけないときなんだ。」
瑛の言葉を聞いて、ようやくにもわかってきた。
確かにマフィンのことはあったかもしれないけど、瑛はこうして励ましてくれてるんだと。
「ぐるぐるひざ抱えて考えてるより、よっぽどいいだろ?ほら、早く。」
「うん。・・・・うん!」
が瑛にマフィンを作って見せる。
その瑛の目は思ったより真剣で、もついつい熱が入った。
はとにかくマフィンに手間をかけていた。
生地をつくって、二度こしきで生地をこして。と。
「すっげ手間。」
「手間を惜しんだらいけません。」
最初に会ったときのように、自然と会話が弾む。
マフィン作り、という共通のことをしているのだから当然かもしれないけれど。
その本題以上に、言葉のやりとりは自然だった。
のマフィンが出来あがって、瑛はそれにシフォンケーキを添えて仕上げた。
「シフォンケーキ作れる男の人と初めて出会いました。」
「お目にかかれて光栄です。」
茶化して言ったに、これまた茶化して返す瑛。
二人はどちらともなく、ぷっと吹き出して笑った。
そんな二人の様子に、総一郎は目を細めた。
「これ、本見て作ってるだけじゃないだろ?なんでこんなにできるんだ?」
チョコチップはなかったので、今日はプレーン味のマフィン。
それでもそこいらで売っているマフィンよりも、はるかにおいしい。
「シフォンケーキふわっふわっ!あーん、私も作ってるところから参加したかったー。」
「聞いてないし!」
「聞いてるよ。私ね、料理研究部なんだ。」
「料理研究部?たいそーな名前だな。」
「ま、普通に言って家庭部なんだけどね。でもかなり本気でやってるよ。」
「これだけのウデあれば、立派に売れるよ。」
「お、プロのお墨付きだ。やったね。」
悲しいマフィンの記憶。
それがまた今日、別の記憶に上書きされていく。
褒められることは、純粋に嬉しいものだから。
目の前のデザートプレートは、きれいに食べきられていた。
けれど、弾む会話が止まることはなかった。
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【あとがき】
原作の時間軸はあんまり気にせずに、お話を進めていこうかと。