2015.09.02

随分前に録画してあった、NHKの「日本人は何をめざしてきたのか、知の巨人たち、5−吉本隆明」を観た。戦争末期には学徒動員で、魚津で軍事用水素燃料の研究を総勢100人位の技術者と一緒にやっていたらしい。高村光太郎にも触発されて皇国思想に染まっていたから、敗戦はショックだったらしい。ただ彼は思い出してみるに、必勝祈願をしたにしても、「何か腑に落ちない感じ」があって、それを押し殺して大勢に従ってしまった事に気づいている。そういうことで、彼のその後の生き方にはこの「何か腑に落ちない感じ」への拘りがずっとみられる。経済学を独学して、詩人としてデビューしたときもそれが主題となった。なかなか論理化できないのである。そのもどかしい感じを勢いで言葉にしているところがなかなか良い。

・・・やがて就職して労働組合の委員長として闘争に敗北。日本の現代詩を読み直して詩人達の戦争責任を徹底的に批判、共産党は大衆から遊離してイデオロギーに閉じこもった事を批判、京都学派を始めとした転向者達を批判した。60年安保ではブントに共感を示してデモの先頭に立ち、名演説で名を馳せた。安保闘争の敗北の後、高度成長に浮かれる国民が政治を考えなくなったと批判した丸山眞男に反論して、「日常生活に埋没している」大衆に届かない思想など無意味であるとした。大衆を知識人が指導しなければならない、という丸山の啓蒙思想を批判したのである。吉本隆明は一貫して大衆に学ぶという態度をとり続けた。どこか他所の国から来た政治思想を仮想的な大衆に押し付けるのではなく、現実に流されている大衆の中に紛れ込んででも思想を汲み取り、言語化する、という姿勢である。

・・・「言語にとって美とは何か」では、スターリンの言語道具論に反論した。言語の本質は「自己表出」であり、もう一つの側面「指示表出」(コミュニケーション道具)は枝葉に過ぎない、という。これは僕も読んだが、文学者なんだからそう思うのは当たり前だろうなあ、と思っただけで、さしたる感銘も受けなかった。もう一つ有名なのが、「共同幻想論」である。国家というものを組織体や機能としてではなく、国民の共同幻想としていて、それが対幻想を契機として生じてきたと論じている。これも僕は読んだが、首尾一貫した説明ではないがまあそうかなあ、と思ったくらいで、どちらかといえば平凡な思想に思えた。当時の僕は新左翼の各党派にオルグされながら、「何か腑に落ちない感じ」を根拠にしていつも反論していたのだが、少なくとも吉本よりも彼等の政治思想の方が一貫しているように思えた。そういうわけで、僕自身も全共闘運動に多少は関わりながらも、吉本隆明には興味が沸かなかった。ただ、彼の詩には感銘を覚えたのである。映像を見ながら、彼の講演を直接聞いていればその教祖性にもう少し影響されていただろうと思った。確かに魅力的な人物である。

・・・ところで、当時吉田民人講座の学生だった上野千鶴子は吉本の対幻想論に触発されてその後のキャリアを築いたらしい。要するに、個人幻想(芸術?)も対幻想(夫婦、家族?)も共同幻想(国家)と同じ重要性を持っているというのである。日々の生活や物質的欲望や家族の幸福の維持に埋没している大衆に対して、「国家の行く末を考えなさい」と説教するなどもっての外ということである。実際、彼は家族生活を大切にしていた。その後の高度消費社会に対しても批判することなく好意的に分析している。「反核」運動に対しても、「腑に落ちない感じ」があったようで、どうしてアメリカばかり責めて、ソ連の核実験に抗議しないのか、という異論を出して、マスコミから総スカンを受けた。死ぬ間際、東日本大震災での原発事故に対しても、化学工学者らしく、「ここまで来た科学技術を捨ててはいけない、あくまでも絶対安全な技術に仕上げるべきだ。」と主張して、最終的に殆どの左翼から見放されたらしい。多分、彼は敢えて人とは違う事を主張してまともに反論を受けて議論をしたかったのではないだろうか?

・・・「彼が大衆に依拠する、というとき、たとえ彼自身が文字通り大衆ではあっても、戦争を体験した世代という縛りを逃れることはできない。現実の大衆は彼を置いてきぼりにしていたのではないか。」と誰だったかコメントしていた。まあ、そういう感じも受ける。番組の最後では、「アカデミズムとは無縁の在野の生活者としてゼロから自分の頭で考えた」稀有な思想家として、評価されている。そういう意味では、大本教の教祖、「出口なお」もそうだろうと思う。
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