2012.03.26

    先日、吉本隆明さんが逝去されたので、昨夜NHK-TVで、多分以前に放映したものだと思うが、最後の講演の模様が放送された。僕も新左翼+全共闘のシンパではあったが、彼の著作はあまり読んでいない。「共同幻想論」や「言語にとって美とは何か」は読んだような気がするがあまり感銘を受けなかった。ただ、詩集はなかなか良かったように記憶している。だから、あまり興味もないのであるが、何となく雰囲気に呑まれて観てしまった。

もう死にかけておられるので、言葉もなかなかスムースには出てこない。若い頃はどうだったのだろうか?始めの方は終戦の話からである。文学を愛し、素朴にお国のための戦争を信じていた彼は、突然の終戦にショックを受けた。そして、そもそも自分が社会を認識する方法を持たなかったことに気付く。それなしには自分の生きていく方向が全く判らないので、5〜6年をかけて、古典経済学からマルクスまでを勉強した結果、やっと自信がついてマルクスの方法論で日本の古典を読む、という方向に進んだ。ああ、そうだったのか、とこの辺は良く判った。

さて、本題であるが、この人の言語論は文学的直観に近い。言語の本質は「自己表出」であり、コミュニケーションの道具としての「指示表出」は枝葉に過ぎないということに尽きているし、このことを実に3時間近くにもなった講演で繰り返し述べていた。芸術作品の価値というのは、その「自己表出」が発見されるという偶然に拠るものである。とはいえなかなか具体例がないと判らないのだが、森鴎外の小説「半日」の中で、あれほど完璧な人格的バランスの取れた人でありながら、嫁と姑の争いに巻き込まれて、自分にとって重要な皇居への参拝が出来なかった、という愚痴を述べている。夏目漱石の「三四郎」では、先生をして昔の憧れの人を森有礼の葬列の中に見た、という出会いの幻想の話を語らせる。何の脈絡も無く語られるこのエピソードには漱石の精神的疾患が表現されている。まあ、こんな事である。うーん、そんな事が重要なのだろうか?死ぬ前にどうしても言っておきたかったことなのだろうか?自分の考えてきた事が一つに纏まったから最後の講演をしたい、といって多数の聴衆を引き止めてまで言いたいことだったのだろうか?もはや老人の戯言に近かったのではないだろうか?と思った。

最後に自宅に訪問した糸井重里に語った事。人間は有史以来進化していない。古典が素晴らしいのは、その時代の人たちが、知識も表現手段も貧しく、他に楽しみも無いからであって、それ故に、表現に全てをかけているからである。その気持ちが凝縮されているから古典が素晴らしいのである。現代においては表現者はあまりに多い選択肢の中で迷った末の「最適化」を行うだけであるから、自己表出としてはひ弱なものになってしまう。振り返ってみれば僕もどうして彼の講演というよりは、パフォーマンスに付き合って見入ってしまったのだろうか?彼の言う「自己表出」というのは要するに言葉になる前の「沈黙」であり、言いたい事が頭の中に渦巻いている状態、といってもよいだろう。それを感得できる感性にとってのみ芸術が価値を持つということである。彼の3時間に近い講演はこの「沈黙」というパーフォーマンスであったからこそ、何が言いたいのか判らないままに、惹きつけられてしまったのかもしれない。彼が全共闘に支持されたのは、明晰な論理によるものではない。左翼党派の論理に胡散臭いものを感じていた全共闘の人たちにとって、彼は既存の考え方や思想に依拠することなく、自分の言葉でたどたどしいながらも真っ正直に語っていたからだろうと思う。現代においては自己表出が如何に困難であるか、を身をもって表出して見せた、ということだろう。そういう意味では記憶に焼きついた番組であった。
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