2014.01.24

      図書館にウェイドの本を返した帰りの電車の中で、島崎藤村の「夜明け前」(新潮文庫)を読み終えた。実に半年かかった。一応小説ではあるが、殆どドキュメンタリーである。藤村の父、半蔵は木曽街道の宿場、馬籠の大名達が宿泊するための宿の主人であり、庄屋でもあって、その地方を取り仕切っている。若い頃から学問が好きで、平田神道の門人となる。時は幕末から明治維新で、木曽谷周辺には平田神道門人も多く、京都で維新の為に働く者も居た。実際水戸藩士を泊めたり、過激な倒幕尖兵を応援したりした。江戸時代、木曽街道は大名が通る度に百姓達や馬を徴用していて、大きな負担になっていたし、その代金の問題等もあったし、寺社の通行では強制的に寄付をさせられたりしていた。森林は伐採がきつく制限されていた。これらの事を取り仕切る立場にあった半蔵はどちらかというと百姓達に同情的であったし、平田神道の観点からは、儒教も仏教も排斥して古代の日本に戻る、というのが理想であったので、武家の支配体制が覆されることに依存はなかったが、同士達が維新の為に活躍するのを横目に馬籠を守らねばならなかった。

      維新の初期政府では神道が国家を仕切る最高の地位に上げられていて、平田門人達も希望を持った。しかし、これは直になし崩しにされて、明治政府はひたすら西洋化の道に邁進することになる。中央から派遣された官僚によって、木曽の森林には百姓が立ち入り出来なくなって、民が困窮するので、半蔵は何度か請願に赴くが認められない。やや失望しているときに、東京の神祇省に勤務するが雑事に携わるばかりで、ついに天皇の御幸に直訴状を提出してしまい、罷免されて、山奥の神社の宮司となる。そこから木曽谷に帰ってくるのだが、ひたすら世の中がますます古代の理想から遠ざかるのを眺めるしかなく、慰めは地方の子供の教育のみであった。そして、ついに妄想に憑かれて先祖が建てた寺に放火してしまう。息子と村人に座敷牢に閉じ込められたまま生涯を終えるのである。

      江戸と京都の結節点に居て、その地方の首長であり、しかも平田門人の全国ネットワークもあり、幕末から維新にかけて半蔵は世の中の動きを知る立場にあった。和宮の下向とか、参勤交代が無くなって江戸屋敷から引き上げる地方大名の家族、更には江戸に攻め上る倒幕の軍隊、などの通行の世話もした。そういった事件が事細かに記述してあって、あたかもその時代に生きているような気分を味わえた。藤村の文体は何となく田舎くさくて時代のにおいがする。維新のような出来事には当然ではあるが、中心となるグループは少数であっても、それの尻馬に乗った人たちが多数派であって、呉越同舟という感じでもあるから、実際に西洋化まっしぐらになってみると、離反するものが出てくる。そういったごたごたの中で思想的な意味での革命が徐々に進行していくものだ、ということも良くわかる。

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