2021.04.08
『ウイルスの世紀』(みすず書房)の順番が廻ってきたので借りて読んでいる。著者の山内一也氏は、ちょっと前に『ウイルスの意味論』を書いていて、長年、ワクチンの開発や認定などに関わってきた専門家である。20世紀になって顕著になってきた野生動物界と人間界の接触頻度増大と人間同士の交流頻度増大によって繰り返し襲ってきたウイルス感染症(エマージングウイルス感染症と呼ばれる)の歴史を辿り、COVID-19をその中で位置づけている。随分と知らなかったウイルスが出てくる。それぞれ特徴があり、その同定の経緯とか人間社会側の対応の失敗とかがまとめられていて、なかなか興味深い。表1を見るとそれぞれを思いだせるだろう。

● 第3章がCOVID-19に充てられている。

・・・コロナウイルスのグループからはCOVID-19が3回目(SARS、MERS、COVID-19)となる。コロナウイルスは、α、β、γ、δ の4系統に別れていて、αとβ がコウモリ、γとδ が野鳥を宿主とする。これらが分れたのは 1万年前である。4系統に分れたのは 3000年から 5000年位前である。ヒトに感染するのは 7種。α型では、風邪:229E、NL63、β型では、風邪:OC43、HKU1、更に、SARS、MERS、COVID-19。コロナウイルスは一本鎖(RNA)で長いので、変異が起きやすいが、内部に自己修復遺伝子を持つ(nsp14)。コウモリから家畜やヒトに感染し、弱毒化したものが風邪のウイルスである。

・・・SARSは 2002年広東省で発生し、国際協力が効果を奏して、2003年4月に新種と認定された。7月に終息宣言が出されるまでに、8098人の感染者と774人の死者が出た。飛沫感染で、潜伏期間は約5日。基本再生産数は 2~3人。一人から多数に感染する例が見つかり、「スーパースプレッダー」と呼ばれるようになった。宿主はチュウゴクキクガシラコウモリで、直接あるいはハクビシンを介してヒトに感染する。異なる野生動物同士の接触機会は食習慣上それらを集めている中国で多い。

・・・MERSは2012年にサウジアラビアで発生し、直ちに新種と認定された。2015年に韓国で再流行した。2019年までに2492人の感染者と859人の死者が出た。SARSもMERSもβ型であるが、SARS(と COVID-19)はヒトのACE2受容体と結合し、MERSはDPP4受容体と結合する。後者は多くの哺乳類にもあることから異種感染が起きやすい。実際、ラクダを介してヒトに感染したと思われる。韓国での流行は一人の中東旅行者によってもたらされた。5/4帰国、5/11発症、当初肺炎を疑われたが、5/17入院時に初めて中東からの帰国であることが判り、5/20にMERSと診断された。充分な知識も無く警戒心もなかったことで初期対応が遅れて、168名の感染者、38名の死者が出た。

・・・COVID-19 については、2019年12月30日、プロメドに投稿された記事が最初の報告であった。ゲノム配列が解明された。2020年1月30日、武漢が封鎖された。WHOが3月30日にパンデミック宣言を出したときには、感染者12万5000人以上、死者4600人以上、118の国と地域に拡散していた。

・・・雲南省のコウモリから分離された RaTG13 と名付けられたコロナウイルスが、マレーセンザンコウ(絶滅危惧種)の受容体結合部分の遺伝子を取り込んで、ヒトへの感染性を獲得した、と考えられている。中国では野生動物が好まれており、このような交雑の危険性が高い。野生動物の輸入や食用を禁止する法律が作られる予定である。

・・・ワクチンの説明。
・第一世代は弱毒化ワクチン:他の動物を感染させて変異させる。
・第二世代は細胞培養による弱毒化である:麻疹、風疹、おたふくかぜ等。
・第三世代は組み換えDNA技術によるワクチン。抗体を産生させる部分だけを作り出す。B型肝炎、子宮頸がん。
・・第三世代には3種類ある。
「ベクターワクチン」は、(抗体を産生させる)防御たんぱく質を作り出す遺伝子を送り込む(感染させる)。エボラ出血熱。
「DNA ワクチン」は、防御たんぱく質の遺伝子を大腸菌に作らせたもの。
「mRNA ワクチン」は、その DNAが転写された mRNA である。

・・・ワクチンには抗体依存性感染増強(ADE)と呼ばれる副作用がある。抗体がウイルスに結合するものの、中和に失敗する。抗体の Fc領域(不変領域)に対する受容体を持ったマクロファージに結合して、マクロファージがウイルスに感染することで、却って重体化してしまう。デング熱ワクチンの開発がこのために難航した。乳幼児RSウイルスワクチンの開発も難航した。

・・・宿主の感染を防ぐために野生動物用のワクチンを開発して食餌としてばらまく方法もある。キツネの狂犬病ウイルスが成功した。日本では、豚熱の宿主となってしまったイノシシに対してもワクチンがばらまかれている。

・・・ウイルス性疾患の治療薬の最初は、1974年の、ヘルペスウイルス増殖を阻止するアシクロビルであった。COVID-19でも増殖プロセスが判っているのでその阻止を目指した治療薬が開発されている。増幅プロセスは下記の通り。
1.標的細胞のACE2受容体に結合し、たんぱく質分解酵素 TMPRESS2 で細胞膜融合が起きて、ウイルスのRNAが細胞内に入る。
2.その情報を読み取って長いポリペプチド鎖が合成され、
3.タンパク質分解酵素で切断され、ウイルスタンパク質が出来る。
4a.この情報によってウイルスRNAとmRNAが複製され、
4b.mRNAからまた別のタンパク質が合成される。
5.これらのウイルスRNAと合成されたタンパク質の一部が集合体を作って新たなウイルスが多数できる。
6.これが細胞外に出ていく。
・1.の阻害剤候補:ナファモスタット、カモスタット(急性膵炎治療薬)。
・3.の阻害剤候補:ロピナルーリトナビル(HIV治療薬)、
・4.の阻害剤候補:レムデシベル(エボラ治療薬)、アビガン(インフルエンザ治療薬)。

・・・感染症の公衆衛生は20世紀になってから発展した。その著しい成果が SARS対策で、4ヶ月で終息させた。基本は変わらない。二つある。
1.隔離:感染者を隔離して他のヒトに感染させない、
2.検疫(quarantine):患者と接触したために感染した可能性のあるヒトからの感染を防止する。
(僕は 1.が quarantine だと思っていたが、これは多分 isolation とでも言うのだろう。)
発展したのは戦略ではなくて、技術である。とりわけ検査法の開発により感染者の判別が可能になったことが大きい。2014年エボラが二人の外交官によってナイジェリアに持ち込まれた時、徹底した検疫が行われて抑え込むことに成功した。

・・・SARSが終息した2004年、「One World, One Health」 というマンハッタン原則が提唱された。ヒトと動物の健康は一体である、という意味。環境保全が大切である。

・・・起こり得る感染症の予測も始まり、2017年にはコウモリが発生源として挙げられた。2019年3月には「中国におけるコウモリのコロナウイルス」という総説(Fan et al. "Bat coronaviruses in China", Viruses 11,210,https://www.mdpi.com/1999-4915/11/3/210 が書かれて、警告されていたが、政策には反映されなかった。しかし、この準備があったために、COVID-19の解析は迅速であった。

● 実験室での感染防護策の発展。
・・・第二次大戦中の細菌兵器開発で始まった。アポロ計画でHEPAフィルターが開発された。宇宙からのサンプルの分析はまず未知の病原体の検査から始まる。癌ウイルスの探索の為にバイオハザード対策が進歩した。病原体と実験室の隔離はグローブボックスで行われる。更に実験室から室外に病原体が漏れ出さないようになっている。1989年にはグローブボックスよりも操作性が良い宇宙服タイプのレベル4実験室になった。警告マークが作られた。1967年マールブルグウイルスを機に危険度分類が出来た。CDCの設立は1946年。名前は、Communicable Disease Center, Center for Disease Control, Center for Disease Controle And Prevention と変遷している。

・・・日本では霊長類センターにおける輸入類人猿からの感染対策の為に調査が始まった。1974年である。著者はフォートデリックの細菌兵器の実験設備を見学し、設計基準を貰った。1976年、エボラウイルス発生を見て、「日本でもレベル4の実験室や隔離輸送車が必要である」ということで、著者は再度英米の施設を見に行った。
・・1981年には日本にもレベル4実験室が作られた。グローブボックス方式であったが、周辺住民からの反対運動が起こった。2015年に至って初めて使用された。それまでの間は CDCに「非公式に」依頼して切り抜けていた。今でも使用制限が大きい。
・・病原体安全管理基準は当事者の自主的なものであったので、著者は、「国としての指針を定めるべきだ」と提唱したが、長い間無視されてきた。1995年オーム真理教がエボラウイルスの入手を試みて失敗したことから、管理基準の無い日本は CDC からテロ容認国と見なされた。2003年~2004年にシンガポールや中国の実験室で実験室での SARS 感染が起きて、調査したところ、国内でも SARS ウイルスを保管していることが判った。事故が起きていれば国の責任が問われたと思われる。
・・日本では1987年の伝染病予防法があって、これはヒトからヒトへの感染症しか対応していなかった。野生動物が重要であるが、検疫についても、家畜伝染病予防法による家畜と狂犬病予防法に基づくイヌにしか対応していなかった。1998年に感染症法が制定されて、動物からの感染も追加された。また、管理体制の追加という形で病原体安全管理基準が出来たのは2006年であった。

● まとめ
・・・根絶された、あるいは根絶が可能な感染症は、ヒトからヒトへの感染に限られた感染症である。野生動物からの感染経路がある場合には、注意を怠れば繰り返し発生する。根絶ではなく共生が必要になる。COVID-19は「共生の時代」の幕開けと言える。

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