2019.08.20
毎年のことであるが、この時期は戦争に関するテレビ番組が目立つ。

『巨大戦艦 大和〜乗組員たちが見つめた生と死〜』(NHK BS1)。

      これはDVD(200分)になっている番組らしい。書籍化もされているらしい。途中から見た。『大和をさしたる戦闘もさせずに残しては海軍の名誉がすたる』というのが沖縄特攻作戦を決めた言葉であった。『その重油を有効に使って本土決戦に備える』という冷静な案は押しつぶされた。作戦会議に加わった人達にとっては海軍の面子の方が本国を守ることよりも大事であった。まして乗組員の命をやである。。。276人が生きのびた。最後の大爆発によって海面上に吹きだされたのである。作戦停止が命令されてから、駆逐艦に救助された。最後、生き残った者の負い目というのは、何なんだろう?日本人には特にそういうのが多いように思える。共同体幻想が強いからだろうか?英語にもある。survivor's guilt というらしい。ナチスのホロコーストを生き延びた人達にも見られた。

NHKスペシャル『全貌二二六事件』

      最近見つかった海軍による詳細な記録。終戦時一人の将校が隠していた。海軍は一週間前から、動きをつかんでいて、事件の最中も各所に張り巡らせた監視者からの情報を総合していた。昭和天皇は海軍が反乱軍に同調するのではないかと心配していたが、皇族の一人が海軍の中枢に居て、それは無いと言明、天皇の命により艦隊を東京と大阪に呼び寄せ、陸戦部隊を上陸させた。陸軍大臣を始めとして反乱軍に同調している者が結構居て、危なかったから、陸軍との内戦に備えた。天皇は、情勢によっては弟が担ぎ出されて、自らが退位させられるかもしれない、という恐怖を抱いていたのだが、海軍を味方に付けることで自信を持って、陸軍に鎮圧を命じたのである。確かに、軍隊組織というのは組織の長の指揮下にあって、天皇と言えども置き換えられる危険性がある。けれども、その背景にはやはり世論の支持がある。この事件の場合、世論はむしろ反乱軍に同調していたからこそ、天皇も危機感を持った。この事件は政府に軍隊による暗殺の恐怖を植え付け、天皇の権威を高めた。それを意識的に利用することで、軍隊組織が更に暴走することになる。海軍の記録から当事者が判り、現存する彼らへのインタヴューも出てきて、なかなかリアルである。

NHKスペシャル『昭和天皇は何を語ったのか』

      戦後最初に任命された宮内庁長官・田島道治による昭和天皇とのやり取りの詳細な記録が『拝謁記』として公表された。本人は亡くなる時に焼却を望んだたらしいが、弟に説得されて免れて、今年になってNHKが入手して先週の土曜日にドキュメント番組になった。今日は新聞で何ページにも亘って解説されている。ほぼ想像した通りではあったが、昭和天皇の人間的な苦悩が手に取るように判ると言う意味でも貴重な記録であるし、歴史に対する偏った見方を否定する意味でも重要な証拠になるだろう。中国侵略から太平洋戦争に至る過程については、本人としても忸怩たる思いがあった。初期の段階で陸軍を抑え込むべきだった、という。しかし、太平洋戦争に至る段階では、もはや止めようがなかったという。止めればクーデターが起こっただろう、東条英機を首相にしたのは、彼しか陸軍を掌握することができないと思ったからだったが、誤算だった、と。ポツダム宣言の受諾が遅れた事については、やはり少しでも有利な講和をしたかったという正直な気持ちを述べている。戦後については、自らの反省を国民の前で明確にして、共に戦争責任を考えさせるべきであったが、経済復興・社会の安定を優先する吉田首相に止められた。また、防衛を米国に依存しているのだから、基地に伴う負担も止むを得ない、とし、再軍備については憲法を改正すべきであるとの考えを持っていたが、これも長官に止められた。彼の怖れていたのはソ連共産主義の浸透であった。亡くなる前の頃の言葉として、『最近の世の中を見ていると大正から昭和の初めの頃と似ていると思う。自分が政治に関与できれば何とかしたいのだが。』と心配している。
 
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