2013.06.29

      先日八丁堀の丸善に行った時に見つけた本、津田敏秀「医学と仮説」(岩波科学ライブラリー)を読んだ。疫学の立場から日本の医学研究者が陥りやすい誤った因果関係論(科学観)について述べている。

最初の例は『ピロリ菌の感染が胃癌の原因である』、という最近認められてきた因果関係である。これは1994年に国際的な癌研究センターIARCで疫学的追跡調査で認められていたが、日本の国立癌センターでは1996年に、明確な「因果関係」を実証するために介入実験を行おうとした。ピロリ菌は胃癌はともかくとして胃潰瘍などの疾患の原因としてはかなり以前から確立されていたわけであるから、ことさら人体実験を行うのは倫理的に許されない筈である。そもそも介入実験は有用かもしれない選択肢(医薬品など)の有効性を確認するときに限って許される。その説明として所長は、「動物実験で直接的に証明されたわけではないので推測に過ぎない。だからパニックにならないためにも確かめたい。しかし、サンプル数が多く取れる小型動物にピロリ菌を長期感染させるのは困難なのです。」と答えている。ここには何を直接的と考えるかについての大きな誤解がある。

     ここで私自身の経験に入る。そもそも、物理や化学の世界では統計的なデータ解析は殆ど使われていない。そんなものを必要としないくらいに再現性の高い実験系を設定することが出来るからである。そういう世界から企業の研究開発に入ってみると、そこでは観察に基づく直観が結構因果関係の推定に活躍せざるを得ないことに気付く。これは困った問題に対して早急に対策を立てなくてはならないからである。製品の欠陥が見つかれば、多数の製品の来歴を事細かに分類してどの来歴が欠陥と相関しているかを見つけるのである。統計的手法が工程の設計に使われる場合もある。網羅的な実験を効率的に設計し、はっきりした因果関係が判らなくても、線型計算によって主要な原因となる条件の目安を付ける事ができる。いずれにしても、そうやって見当をつけた条件を変えて実験してみて結果を調べて確認する。しかし、それは応急手段であって、本来その想定された因果関係が成り立つメカニズムを解明しておかないと同じような問題の繰り返しに対処できなくなるし、現象の理解が進まない、ということを私は強調してきた。もっとも、その手法もまた多数の異なる条件設定で実験する、ということではあるから余裕がないと出来ない。そのような中で生物系の人たちが因果関係の実証に直接的に統計的方法を駆使していることにやや違和感を覚えていた。これは生物においては個体差や来歴があるしメカニズムも完全に判ることは期待できないのだから、已むを得ないと考えていた。

退職後、ここ2年程医学データの統計解析をやってみて、因果関係については随分勉強したし、最近進展著しい計算手法にも驚いた。医学においては特に因果関係の立証にはメカニズムの解明は不要である。勿論あったに越した事はないが、メカニズムの解明には条件のはっきりした実験が必要であり、大抵の場合人間に対して行う事ができないのであるから、せいぜい近接した哺乳類で行うことになり、そういう意味ではメカニズムの解明自身の方がより間接的な証拠(補助的な説明)ということにならざるを得ない。これは極端な比喩かもしれないが、例えば社会現象における因果関係の証明のためにフィールドワークで採取された人々の行動データと人間関係を単純化した計算機上のモデルでの因果関係のシミュレーションとどちらが直接的か、を考えてみると判る。つまり、近親哺乳類での実験は後者に相当する。病気の原因の解明の歴史の中で、細菌やウイルス、細胞レベル、更には分子生物学的レベルまで、より要素還元的な立場が優位となってきたから、ともすればその細かい網の目を追求することこそが因果関係の究明である、という感覚が一般化しても已むを得ないという事情はある。しかし、因果関係というのは現象そのものではなくて、人間が世界を改変するための手段(言語のようなもの)なのであるから、あくまでもその有効性に従って定義されるべきものである。

     著者がこの本を書いた動機は、このような因果関係への誤解が大きな社会問題を引き起こしてきたように思えるからである。例は、タバコと発がん性、森永砒素ミルク中毒事件、水俣病事件、和歌山市カレー事件、少年に対するタミフルの副作用、と続いている。いずれも因果関係は最初から明らかであったのに、それを認めない口実として「メカニズムの解明がなされていない」ということが(それぞれの利益団体から)主張された、ということである。そういう言い訳が尤もらしく受け取られてしまうことが問題である。残念ながら欧米に比べて初動調査が遅れ、補償が不十分な理由がそこにあった。

日本の医学会が生理学のレベルから臨床までを医学界の内部で一貫してやってきた、という事の弱点が出ている、と著者は分析する。他方で、因果関係の意味を教えるべき科学哲学が大学教育の中に組み込まれていない、という事もあり、生理学的因果関係の研究成果に幻惑されて医者本来の目的意識が希薄になっている。医者は医者の仕事に集中すべきだという次第である。この部分には実を言うと私自身虚を点かれた感じを受けた。統計手法というのは他人を説得するために作られた一種の共通基準であるから、確かに重要なものではあるが、本心からいうと私自身もメカニズムの解明こそ重要だと思っていたからである。しかし、著者のいうように科学研究の目的は、特に医学においては、有用性にあるわけだから、その基準にしたがった因果関係を探索するために統計手法しかないならばそれを主とすべきであって、むしろメカニズムの解明というのは(対策を遅らせる口実に使われるならば)百害あって一利無しということにもなりかねないのである。

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