2008.06.08

   今日はペンショントロールの森でコンサートであった。演奏したいグループが集まってお互いの聴衆になる。僕達のは最初で気が楽であった。エルガーの「愛の挨拶」は上手く行ったが、バッハの「アリア」ではやや楽器が動いてしまって音の繋がりが切れた部分があった。こういう弱音で長い曲は緊張の持続が難しい。フロイデンタール氏のチェロとピアノの為の「ララバイ」は5回目位で大分判ってきた。なかなか風情のある曲である。エリック・サティの曲に似ている。ローリーの組曲の「アレグロ」はフルートの音としてはなかなか厳しい。バイオリンのようにクッキリとは行かない。まあまあ何とかごまかした感じ。

    2番目のグループは市川在住のリコーダーグループで檜垣康彦さんという人がリーダーのようである。C.シンプソンの「パヴァーヌとサラバンド」は珍しいガンバの四重奏である。バイオリンに相当するトレブルガンバも登場した。初めて見る楽器で皆興味しんしん。この時代のサラバンドは随分テンポが速いので驚いた。W.バードの「5声のミサ曲」はレコーダー5重奏である。最後のは歌曲からの編曲で、僕の隣に居た飯倉正夫さんがギターをラテン風に付けていて面白かった。音楽はいかにも表題に相応しいものに思われた。C.ジャヌカンの「ひばり」、G.コートレの「元気をだして」、J.ヴァスケスの「緑の羊飼い娘よ」、H.イザークの「インスブルクよさようなら」。旋律はある種の身振りのようである。

    3つ目は霧降の森コンソートということで、近所の人達のグループである。渡辺さんのチェロも入る。シックハルトの「協奏曲5番」はなかなか面白かったが、アルトばかりなので、何となく落ち着かない。2曲目は新明清子さんという人が田島征三の「だいふくもち」という絵本を朗読しながら、間に清瀬保二の「リコーダー三重奏曲」を演奏する。渡辺さんのバスリコーダーが入ったのでなかなか落ち着いてよかった。曲もちょっとユーモラスなところがあって、物語に合っていた。怠け者がだいふくもちに小豆をやると美味しい団子を沢山つくるという話で、それで大金持ちになるのだが、欲が出てきて無理をして小豆を食わせたのでだいふくもちも本人も死んでしまうというお話。環境問題のパロディーみたい。

     最後のグループは千葉大のサークルのOB達で、中に檜垣さんもビオラ・ダ・ガンバで加わった。多彩な人達で充実していた。最初がマザーグースの「エイケン・ドラム」で、3人が前に立って大声で歌いだした。何だか人の声というのはともかく生々しい。まさに「エロス」である。意味不明の古代英語であるからなおさらかもしれない。続いてM.プレトリウスのスペインの「パヴァーヌ」、ゼンフルの「この世にどんな奇跡が残っているのか?」と続く。こういうルネッサンスの音楽というのは、ヨーロッパ文化の源流を感じさせる。近代以前の世界。そこにまたこういう日本の若い人達が惹かれるのは何故だろうか? J.プレイフォードの「ポールの尖塔」という曲には前田亨さんのバロックバイオリンが登場した。これは今日の演奏の中で一番印象に残った。次がアイリッシュで、ホイッスルがなかなか面白い。最後の方はどんどんテンポが速くなっていく。そういえば James Galway がよく吹いている。だんだん難しくなっていって、次は J.ファン・エイクの「笛の楽園より第2カリーン」とそのJ.プレイフォードのよる変奏曲「英国の舞踊教師」より、何ともこの人達はマニアックである。楽譜を探すだけでも大変であろう。最後はまたマザー・グースの「トムは笛吹きの息子」。

    そういえば古楽というのは近代化による物質文明の行き先の不安を反映して20世紀になって盛んになった分野である。そこには近代以降のヨーロッパ音楽に見られる個人主義や表現主義が見られない。音楽は音楽として自足していて、「自意識」とは無縁である。それはたいそうな芸術ではなくて庶民(というより貴族?)の娯楽である。教会音楽の体系が庶民に漏れ出して素朴な歌と結びついた。職業作曲家としてはテレマンが洗練されているという意味ではその集大成であろう。こういう音楽は安定したグループとして演奏を継続しないと面白くないだろうと思う。近代以降の個人の感情や思想表現には向かないから1人で楽しむことが難しい。音楽に近代が齎されたのはイタリアとフランスそれぞれの様式に負うところが大きい。しかし、それらの様式に個人の感情表現を持ち込んだのはやはりバッハではないだろうか?その背景にはどうしても宗教改革を想定せざるをえない。音楽家は音楽に没頭することで救われる、そういう近代的職業感は宗教改革の齎したものだから。バッハはその典型であった。普通の西洋音楽体験や教育を受けるとまずはバッハ以降の音楽しか興味が無くなるものである。大抵はその内原点となるバッハに回帰する。しかしそれ以前に戻るという動機の中には民族音楽的な影響があるはずである。こういう若い人達がそこに向かう動機には何があるのか?興味深い。

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